「介助」者から「対話」者へ(その3)
《こだわりの溶ける時間》
ふつう学級における「こだわりの溶ける時間」のプロセスは、子どもと子ども、子どもと大人の対話のなかで起きていたことだった。
あることを、個人が「できる・できない」と迫られ、「習得できたり、習得できなかったり」ということが問題なのではなかった。
あることを、習得するにしても、そもそも興味が持てないとしても、クラスとして、集団としての子どもたちが、その時その時代をともに切り抜けた体験を共有し合う実感のなかに、大切なものがあった。
お互いのこだわりはそこから溶けあうのだった。
共に切り抜けた子ども体験の共有しあう関係は、その時そこにいた者たちしか持たない宝物だった。
私たちは、それを言葉で軽々とやってのけてきた。
だから、それがどれほどの重みがあるかを、知らないできた。
そこには、同じクラスの一員という帰属感情がある。
同じ一年生だね、同じ仲間だね、というあふれる信頼感の行き交い、
子ども集団で表現されるあらゆる感情の表現、
言葉による感情表現、
身体による感情表現があり、
みんなで笑い合う時間、集団の中で身構えを忘れる油断してしまう感情がある。
ふつう学級の「介助員」という名前で働いていたときに、私がしていたことは、「教える、介助する、支援する」ではなかった。
「おはよう」から始まる、ふつうの対話に過ぎなかった。
根性悪の先生に「いるだけ」でいいのか、と問われ、「いるだけで上等だぜ」と言えたのは、「いま・ここ」で対話を始めなかったら、何も始まらないと知っていたから。
子どもが子ども時代から人生をはじめないで、どうするのか。
子どもの子ども時代とは、子ども同士の関係の時代なんだから。
だから、信念をもって「いるだけ」ってすごいよねと、喜び合ってきた。
そうして、お互いが「いること」、出会えたことの祝福から、対話は始まっていた。
(つづく)
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