《ぎゅっとしたらいいのにの物語》②
《木から遠くにいる子ども》
《FAR FROM THE TREE》という本と映画がある。
「リンゴは木から遠くには落ちない」ということわざがあるが、これは「木から離れた場所」に落ちた子どもと親の物語。
作者のアンドリュー・ソロモンが生まれた1963年には、同性愛行為はまだ犯罪だった。ニューヨークで同性愛が精神病のリストからはずされたのは1973年。しかし、彼はゲイであることを両親に拒否され何年もうつ病で苦しむ。そんななかで彼はろう文化に出会い、「いろとりどりの親子」にインタビューをはじめる。
【ろうの子どもの90パーセント以上は聴者の両親をもつ。
彼らが最初にろう者の流儀にふれるのがろう学校である。
多くのろうの子どもにとって、学校は深い孤独の終わるところだ。
「私はここに来るまで、自分と同じような人がほかにいるなんて知らなかった」
「世の中の人たちはみんな、私以外の耳の聞こえる人と話したいんだと思ってた」】
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【5歳になったジェイコブは、「ママはろう者なの?」と訊いた。
自分はろう者ではないと答えると、彼はさらに「ぼくはろう者なの?」と尋ねた。
そうよと答えると、ジェイコブは手話で言った。
「ママもろう者だったらいいのに」。
そのときのことを思い出したメーガンはこう言った。
「なんて健全な反応だろうと思ったわ。『ぼくも耳が聞こえたらよかったのに』ではなく、『ママもろう者だったらいいのに』と言ったのだから」】
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また、こんなふうに語る親もいる。
【「それまでろう者に会ったことがなかったの」。それまでの人生は音にあふれていたから、「動揺し、打ちのめされた」。
「この子に何が起きるのか。どうしたらこの子を守ってやれるのか。」
母は「この子は障害者施設に行くしかないだろうね」って言った。母の年代では、そうするのがふつうだったから。…でも、私の息子は青い目をしたこんなにもかわいい子で、ただひたすら、にこにこと私に笑いかけてくる。
「この子のどこが問題なの?」という言葉が出るまでに、長い時間はかからなかった。】
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また父親と自分が低身長症の子どもの言葉。
【幼い息子はときどき、「小さいのはイヤだ」と泣いた。レスリーもいっしょに泣きたかった。「ママも心が痛むんだとジェイクにわからせるのは、悪いことじゃないでしょ? 子どもが感じていることは受けとめてやりたい。
でも、『その気持ちをパパに言ったことはある?』と訊いたら、ジェイクは『ないよ。ぼくは、ぼくみたいになりたくないから泣いている。それはパパみたいになりたくないってことだ。パパが傷つくよ』って」】
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また別の低身長症の子どもの言葉。
母親が癌になり、化学療法の前に頭を剃らなければならないと知ると、自分にやらせてほしいと申し出た。
【そしてそれが終わると、自分の頭も剃ると宣言した。
「ママは私の手術にとことんつきあってくれた。それががんの原因でないといいけど…。私はずっと、人とちがうと感じながら生きてきてから、それがどんなにつらいことかわかる。ママの仲間になりたかったの。自分だけちがうと思ってほしくなかったのよ。」
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この本を読みながら、「あんたも、ぎゅっとしたらいいやん。絵本の中でならぎゅっとできるやん」という言葉を思い出していた。
ぎゅっとされたから、ぎゅっとできる。
無条件にぎゅっとされた子どもは、無条件にぎゅっとできる。
(つづく)
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