ワニなつノート

ワークショップ(2) 

ワークショップ(2) 



遊ぶ子ども、育つ子ども、
世界に出会う子ども。

必要なときに
できることを
手伝うために
ここにいる。

跳ぶ子ども、つまづく子ども、
みんなと出会う子ども。

必要なときに
できることを
手伝うために
控えてる。



     ◇


今回のワークショップのチラシを作るとき、はじめは「障害のある子どもへの当たり前の支援」というタイトルで作ってみました。

他に、
子どもの「いま共に」を支援できなければ、将来の「共に」は生まれません。
とか、
「私たちの考える《当たり前の支援》をいっしょに探しましょう」
と書きました。

チラシを見る人が、特別支援教育をよいものと思っているとしたら、少しでも違う視点での「支援」「援助」というものを考えましょう、と呼びかけたかったのだと思います。

で、一晩で作ったチラシをRyuさんに送ったところ、こんな返信が届きました。


《今「支援」という言葉に拒絶感を抱いているので、特別支援も普通の支援も、支援という言葉がつくと、上から目線を感じてなんだか嫌だなと思ってしまっているのが実情です。

「支援」される人、する人、対等じゃない感じです。

子供達にとっては、支援でも配慮でも工夫でもなく、介助でもなく、ただいることが当たり前の生活なんだろうなと思うと、何か他の言い方はないのかなと思ってしまいます。》



そりゃ、そうだよな(・.・;)と、
素直な私はすぐに悔い改めて、新しいチラシ案を作り直して送りました。

で、その後に届いたRyuのメールが、私のチラシよりずっと分かりやすく、ワークショップで語り合いたいことを表現しているので紹介します。


      ◇


《チラシ作り直しまでしていただいてすみません。ありがとうございます。
バッチリ、ぴったりの表現を考えていただきました。
・・・・

今、私は時間がある限り相談をいただき、学校、教育委員会に同行させていただいています。

そこでは「支援の必要な子」という見方そのものと戦っている感じです。

重度の身体障がいのお子さんも、聴覚障がいのお子さんも、支援はいらない、というところからやっとひとりの子供として見てもらえるようになる感じです。

それだけ学校は支援的見方で溢れかえっています。

その時に、クラスのひとりの子として、
必要な時にちょっと「手を貸して」とか
「邪魔しないで」とか「普通に声をかけて」
「小学校4年生の子供です」「そのままで大丈夫」とか
「ほっといてほしい」とかいう言葉を使っています。

使いながら、これってyoさんの書かれたものにある言葉がベースだよなと思います。

そうやって話していると、親も学校も教育委員会もだんだん支援という言葉を使わなくなります。

支援から解放されると、親は子供を「障害をもつ普通の子供」とみられるようになり、先生はクラスの一員として考えてくれるようになります。

そうすると子供も親も楽になっていきます。

ワークショップ、色々な方に参加していただきたいです。
人集め頑張ります。よろしくお願いします。》
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