ワニなつノート

手をかりるように知恵をかりること

手をかりるように知恵をかりること


「〇点でも高校へ行きたい」という言葉と思いを、私は25年間聞いてきました。25年とは、15歳だった子が40歳になる「一つの世代」の長さにあたります。いま15歳の子どの親は、ほとんどが40代でしょう。子どもが高校生になることは、ごくありふれた自然な願いだと、社会が思えていいはずの時間の長さです。高校無償化とは、その答えの一つです。

でも、いまだに「障害児」だけは、「本当に高校に行きたいのか?」と問われます。その人は、自分が何を聞いているのか気づいていません。その鈍さは、どこから生まれるか。それこそが、「分けて育てられた」不幸であり、「みんなといっしょ」を知らない不幸です。新聞記者や高校教師になった「学業優秀」な人であれ、「点数を取って」普通高校を卒業した「学業優秀」な障害者であってもそこは同じです。「知的障害」とよばれる「仲間」を子ども時代に体験したことのない不幸です。

目の前に「高校生になりたい」と願う子がいるのに、「本当に行きたいのか。ちゃんと言葉で説明しろ。」と迫ること。それもまた、「分けた側」の不幸の一つです。目の前の子どもが、「自分と同じ子ども」と感じられないから、「みんなといっしょがいい」「みんなといっしょに高校生になりたい」という、人の心が見えないのでしょう。


この25年の間に、私が分かったことは、この子たちが高校生になるためには、「手をかすように知恵をかすこと」が必要だということです。でも、私たちがしなければいけないのは、私が「手をかすように知恵をかすこと」ではありません。高校受験に関しては、中学や高校の先生、そして教育委員会の人たちが、この子に「手をかすように知恵をかして」くれなければだめなのです。

でも、この社会のほとんどの人は、「分ける側」の教育を受けて育ってきたために、「手をかすように知恵をかすこと」の意味が通じません。それは、不公平なこと、不公正なことと教育されています。

そこで、私たちがしなければならないことは何か。私たち自身が、「手をかりるように知恵をかりること」をしなければならないのです。「手をかりるように知恵をかりる」という生き方をもって、高校や教育委員会に向かい合わなければならないのです。これは、親や支援者が、「一人」で切り開くことができない運動なのです。

私たちは、この子たちのおかげで、「手をかすことように知恵をかすこと」を、当たり前のことと思えるようになり、また普通にそうすることもできます。でも、難しいのは、私たち自身が「手をかりるように知恵をかりる」ことです。私たちが「手をかりるように知恵をかりる」やり方で、この子を、委ねること。相手を信じて、手をかりること。人を信じて、知恵をかりること。子どもを委ねること。それが難しいのは、やはり相手を信頼できないからです。私たちは、学校の先生や教育委員会の人、新聞記者や世間の人を、すぐには信頼できません。「0点でも高校へ」という言葉の中身が、すぐに理解されるとは思えないからです。

でも、私たちが「信頼できない社会」で、この子たちが手をかりるように知恵をかりる生き方ができるだろうか。そう考えた時、まず変わらなければならないのは私たち自身だと分かります。私たちが、人を信じ、(超難しいが)高校の先生や教育委員会の人を信じ、声をあげなければなりません。そこからしか、0点でも高校へという運動は始まらないし、そこにある壁は「一人」でがんばって切り開ける類の、壁ではありません。

障害児の高校受験は、子どもが点数が取れないから難しいのではありません。私たちの社会、私たちの生き方そのものが、「手をかりるように知恵をかりる」ことを許さないからです。


ここ数年、千葉はいいですね、と言われることが多くなりました。そんなとき、千葉だってひどいこと、理不尽なことは有り余るほどあるよ、と言ってきました。「千葉はいい」と言われるほど、いい所だとはぜんぜん思えない、と感じてきました。

でも、この文章を書きながら、千葉のいいところに気づきました。それは、一人の受験生と親がここにきたときに、何年も前から、「手をかすように知恵をかすこと」と、「手をかりるように知恵をかりること」が当たり前の仲間がいることです。その絆が、ここでは20年余りにわたって受け継がれ、伝えられていることでした。

新潟の集会の後、しゅん君たちが飛行機の時間を待つ間に、ポンポンと集会作戦をたてたとき、しゅん君のお母さんは、私たちに「背中を押された」のではなく、「蹴られた」と感じたそうです。先日、その言葉を聞いて「そっか~、やっぱり大変だったんだろーなぁ(・_・;)」と30秒くらい反省しました。私のイメージでは、やさしく「手をかすように知恵をかして」見送ったつもりだったのですが…。

でもよく考えたら、やっぱり私は、崖の上を「一人」で歩いているお母さんの背中に、思い切りとび蹴りをあびせたような気がしてきました。しかも両足で。タイガーマスクみたいに(o|o) だって、「一人」で歩いてたら、誰に押されなくても、いつか崖から落ちちゃうからね。

あの時、ちゃんと丁寧に説明すればよかったんだよね。崖から落ちても大丈夫。リュウさんやkawaさん、kukuさんというバンジージャンプ用のゴムはけっこう丈夫だよって(>_<)

コメント一覧

kawa
始発で向かった下関。
5時間の滞在でしたが、とても充実していました。
会場に着いたとき、そこは「千葉」のようでした。
初めての場なのに、千葉に里帰りしたような気分でした

山口で初めてということは、何をやっても
新雪の平原に足跡が残るように
シュンくんやシュンくんのお母さんが
がんばったことは、全て跡が残っていることでしょう。
そしてそれはみんな、高校につながっていくのだと思い
ます。
応援に行けて本当に良かったです。
私が大きなパワーをもらいました。
シュンくんの高校楽しみにしています。


kuku
丈夫なゴムでバンジージャンプを果たした
シュン君のお母さんに、
「yoさんは『丈夫なゴムだから大丈夫』と言い忘れたけど、
やさしく見送ったつもりだったらしいよ」と伝えたら、
「アハハ」 
「そうなんだ~」と大笑い!

「あのときは蹴られたくらいの衝撃を受けた」
「2週間立ち上がれなかったけど、
“迫力”を感じたから…」
「そうでなければ、やれなかったと思う」
「あの衝撃は私には必要だった」
と振り返っていました。

シュン君のお母さんが感じた“迫力”が何なのかは
yoさんのブログにちゃんと書かれていますね Y(^^)Y

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