《森の中のhide》or《普通学級で手に入れたもの》
or《親の思い》
(C)~(F)のつづき。
『こんなときどうする?』徳永進、より。
(G)
(75歳、女性、腎がん)
時と場合と人、人の人柄、病気の症状などによるが、ぼくはたいていこう聞く。
「死のことはどう思われますか?」
「死ぬことは恐くありません」と東口さんはスッと答えた。答えに力が入っていた。きっぱりだった。その力に驚いた。
「昔は恐かった。死ぬって、考えても恐かった」。「でも今は恐くない、ないです」と言ったあと、下くちびるがワナワナと細かく揺れ、揺れ続けた。ぼくはただ頷く。
そのあと東口とめ子さんがゆっくりと語り始めた話は、こんなことだった。
◇
東口さんは夫と長男夫婦と孫二人の六人暮らしだった。夫は脳血管障害から寝たきりとなり、近くの老人施設に入所して、それからは五人暮らし。働き盛りの五〇歳の長男が一年前に肺がんと診断された。肺がんは…全身に転移していき一年後に亡くなる。…とめ子さんにとっても大好きな息子で、主人とは比べものにならなかった。
死が近づいたころ、「死ぬのが恐い、死んだらどこへ行くんだろう」と息子がとめ子さんに聞いた。その時とめ子さんは息子の背をさすりながら答えた。
「どこにも行かあせんで、死んでからもみんながいっしょにおるだけえ。みんな、いっしょだけえ」。
それを聞いて息子は安心したようだったと。
そのころ、とめさんの腎がんが発見された。言葉にいえない複雑な気持ちで、息子の最期を看取った。
……
息子の葬式で、「親より先に死ぬっちゃなことは、ほんに親不孝だなあ。くじけずにがんばってよ」と村の者は励ましてくれた。
でも、わしは、息子が親不孝にどうしても思えん。肺がんで死んでいく時も、ほんとはもっと苦しみ痛みすると思うのに、やすらかな顔をし続けた。ほんとに孝行者だと思う」と言い、同じ村の人の中に違う言い方をしてくれた人があったと続けた。
「『とめさん、そんなことより、天国に行く道中、迷子になったり、置き去りにされたりして取り残されたらいけんけ、ちゃんとみんなにくっついて、離れんようにして行きんさいよって祈ってあげよう』、この言葉が心にしみました。そうだこれだと思いました。この言葉で心がホッとしました」。
東口さんは息子を見送ったあと、自分の病気が進行し、消えたと思った死についての恐さは何度もやって来ては去り、来ては去りを繰り返したそうだ。
「気が狂うか、と思うくらい悩みました。でも息子のことを思いました。息子に、みんながいっしょにおるだけえ、って言ったことを自分に言って聞かせます。息子も苦しかったろうに、あの世に行った。息子がいるあの世なら、恐くはない。みんながいっしょ、死んでもいっしょにいる、そう思うと、心が静かです」
『こんなときどうする?』徳永進 岩波書店2010年
◇
何度読み返しても、この言葉のあとに、なにも書かない方がいいよなーと思います。ただとめ子さんの言葉を、熱い美味しいお茶のように、飲み干してほしいなーと思います。
…そう思いながら、ひとり言を記しておきます。
たとえば、ここで、「息子の本当の気持ちはどうだったのだろう」と問う人がいるだろうか、と思ってみます。
「そんなこと言ったって、それは親の思いにすぎないんじゃないの?」
ここで、そんなふうに問う人は、どんな答えを求めているのだろう。
「問い」が分かることは大事なことだと、鶴見さんが言ってたな~。
【問題というのは、問題を問い返すという仕方でも答えが出るんですよ。
先日、テリー・ウィットモアーという脱走兵が日本にもどってきた。ヴェトナム戦争に反対して日本で脱走し、スウェーデンに行った黒人兵です。かれが約二十年ぶりに日本にやってきて、東京、京都で小さな集いをもったのですが…、終わり近くなって、「国家とは何ですか?」という質問が出た。いかにも日本らしいんです。
そのときテリーが「どの国家ですか?」と聞き返した。
これは答えになっているんですよ。日本人はふつう、「国家とは何か」と限定なしで聞くでしょう。テリーはそうじゃない。かれは高校までしか行ってません。高校を出てすぐヴェトナムに行って、ジョンソン大統領の手から勲章を授かった男なんですよね。あとで、その勲章を返して逃げちゃったんだけど……。
「国家とは何ですか」という日本人の問いに対して、テリー・ウィットモアーがいったのは、 Which state?
日本のインテリ、大学での質問を受けて、大学に行ってないふつうのアメリカ人の答えは「どの国家ですか?」
どの国家のどのやり方についてどういうふうに反応するか、それが答えなんです。
かれが出した答えは、ヴェトナム戦争のときにアメリカ国家に反対して脱走することだったんです。
動きによって答えが出ている。そういう問題の解き方があるんです。】
『期待と回想』鶴見俊輔 朝日文庫
◇
「動きによって答えが出ている」
「そういう問題の解き方があるんです」
そうか、だから、私は一つも揺るがない答えを知っていたのだ。
「動きによって答えが出ている」。
毎日の暮らしの中で、言葉のない子ども、言葉で表現することが苦手な子どもを、生まれた時から育て、そのなかで何よりも子どもの気持ちを大切にしてきた親が、受験する時も、不合格にされたときも、子どもの気持ちによりそって動いてきたその「日々の生活」のなかに、いつも答えは出ていました。
「本当に高校に行きたいと言ったのか?」
「浪人してまで高校に行きたいというのは、本当に本人の意思か?」
「それは、親の思いなんじゃないのか? 親なんじゃないのか?」
最初の二つの質問の答えは、「動きによって答えが出ている」のです。
「動き」を知りたいと言われれば、私はこの25年の間に出会った100人余りの子どもたちの「動き」を話してあげようとおもう。
そして三つめの質問には、「親だよ」と自信を持って思います。
「言葉のない子ども、言葉で表現することが苦手な子どもを、生まれた時から育て、小学校に入るだけのことでさえ、国家のやり方に反対し、国家よりも我が子の思いを大事にしてきた親だよ。何よりも子どもの気持ちを大切にしてきた親だよ」
そして、鶴見さんの言葉を読んで、もうひとつの答えがあることに気づきました。
「それは親じゃないの?」と聞かれたら、「どの親?」と聞き返してみればいいのです。
あなたの問いは、「子どもの気持ちじゃなくて、親の考えを子どもに押しつけている親じゃないの?」と聞こえるけれど、あなたは「誰の親」の話をしているのだろう?
「あなたが知っている『親』は誰?」
あなたが聞いているのは、hideの親やしゅん君の親ではなく、だれか違う「親」の話じゃないのかな。だから、私と話が合わないんだよ。
私が知っている「親」は、子どもの気持ちを大切にする人のことを言うんだよ。
◇
そんなことを考えているときに読んだのが、とめ子さんの言葉でした。
「みんな、いっしょだから」
もし、とめ子さんに、息子がみんなといっしょだったことを疑う気持ちがあったら、その言葉をまっすぐに言うことはできなかっただろうと思うのです。
まして、死を前にした息子に、迷いなく「あなたもわかっていると思うけど小さいころから、あなたも、わたしも、ずっとみんなといっしょに生きてきたよね。小学校も、中学校も、保育園も、高校も、そしてその後もずっとこの町で、一年一年をみんなといっしょに暮らしてきたよね。」
ずっとみんなといっしょだと、迷いなく言える暮らしを共にしてきたからこそ、とめ子さんは息子にそういって見送ることができたのだと、私は思うのです。
それは親にとって「障害」があるとか、ないとか、関係のない話なのです。だから、hideのお母さんも、しゅん君のお母さんも、堂々と「子どもの気持ち」を受けとめた上での「親だよ。子どもの気持ちを大事にしたい親の気持ち、親の意思だよ」と言えるのだと思います。
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ai
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