ワニなつノート

8才の子ども以来 ~ こだわりの理由



8才の子ども以来 ~ こだわりの理由


分けられる恐怖。
分けられる悲しみ。
家族や友だちと分かれる淋しさ。

それでも……すべてが終わるわけじゃない
受け入れるしかないその後に、守りたいものが子どもにはある。
絶対に手放せないものが子どもにはある。
つなぎとめておきたい願い。
そのことを、いま、ようやく言葉で気づく。

父ちゃん、母ちゃんがいること。
妹がいること。
友だちがいること。
大好きな女の子がいること。

その世界がなくならないように。
その世界とつながっている自分が、消えてなくらならないように。
その最悪に比べれば……分けられても終わりじゃない。

たとえ、同じ家で暮らせなくなっても、たとえ毎日学校で会えなくなっても。
その世界の光と温もりと安心と幸せのなかに、確かにいた、ことを知っている。
ずっと当たり前にそこにあったものたち。
そこにいた自分が消えてなくなりませんように。

私が感じていたのは、「分けられる」怖さだけでなかった。
先生や親が命じることに、抵抗してもかなわないことは分かっていた。
でも、それでも、分けられても、分けられても、私にはあきらめられないものがあった。
分けられてもあきらめられないもの、
それだけは譲れないもの、捨てられないもの。
それを失くしたら、終わる。
そんなことを、私は感じていた。
らしい。
いつごろか。本当にちゃんと意識していたのか。
そう問われれば、自信はない。

でも、自分が感じてきたことの正体を知りたくて、私は今日まで、分けられることにこだわり続けてきた。分けられる子どもの「助けて」という声を聞いたら、どんな海にでも飛び込もうと思ってきた。

そうして、ようやく分かってきたことの一つは、普通か養護か。そんなことより大切なことが確かにあるということ。
分けられないこと。それも、子どもが必死で守りたいものには違いない。でも、その先に、もっと守りたいものが、ある。
分けられても、守りたいものは、あり続けるこということ。分けられても、「つながっている思い」は、消えようがないこと。

今の特別支援教育のあり方は、その子どもの思いをみない。
今の普通学級が決していいところとは限らないから、子どもにとっても、親にとっても、一時避難が必要なこともある。でも、それはやはり、子どもの思いを大切にしたい形で、守り続けることには、つながらない。

それは、私自身と、私が出会ってきた「分けられた子ども」たちの、必死の抵抗を思い出せば、例外は、ない。

           

昨日、T君のことを書きました。
7歳、8歳、9才、10歳、11歳、12歳、13歳、14歳、15歳という長い抵抗の時間、自分を守るための時間。その果てしない無限の暗闇と夢の中で溺れ続けている感覚。

それは「教育」や「コミュニケーション」や「発達」の話なんかではありません。
私は現実に、一日も「分けられた」訳ではない。たった半日、「分けるべき子どもかどうか」を調べられただけです。それでも、50歳になってもこうしてこだわり続ける動機になります。
この場所を一歩も離れられないでいます。
T君のことをこうして「考えた」だけで、とてつもない恐怖に身がすくみます。
誰も、彼の気持ちが分かる、などと言わせない。私も含めて、分かる訳がありません。

今の時代、当事者主体とか自己決定という言葉があふれています。
そうであるなら、何よりT君たちの言葉を聞け、と思う。
7歳のT君の思いを聞けと、思う。
普通にしようか、特別支援にしようかを、「迷われる」子どもたちの声を聞けと、思います。
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