ワニなつノート

「わたしのものがたり」と裸の王様 (5)


「わたしのものがたり」と裸の王様 (5)


「年配の人間の方が、経験も豊かなはずだから、
人生もよりよく理解できるはずだ、
という思い込みは、非常に早い時期に植え付けられたものです。
そのために、私たちは、現実を知った後にも繰り返し、
この思いこみにしがみつくのです。」
(アリスミラー)


障害児は「教育不可能」と見られた時代に、
「障害児にも教育を」と、時代を切り開いてきた人たちを、
私も心から尊敬します。

教育どころか、そもそも普通の「人間」としてさえ
扱われていなかった時代。
その最初に闘った人たちの存在があったからこそ、
私はいま「障害のあるふつうの子ども」たちに
当たり前に出会えるようになりました。

でも、明治、大正、昭和のはじめに、
障害者福祉、障害児教育を、初めて始めた人たちは、
「ノーマライゼーション」という考え方を知っていたでしょうか?
「統合教育」という発想を持てていたでしょうか?
ADAという法律の実現を想像できたでしょうか?
障害の当事者が、哀れみはいらないと、
ひとり人間であることを求めて立ち上がるということを
思うことができたでしょうか?

50年前、100年前の社会に生きていた人のうち、
どれだけの人が、いつか「黒人がアメリカの大統領になる日」
が来ると思えたでしょうか?

その人たち自身、障害者を全く人間扱いしない社会で、
子どものころから育ち、大人になってから
「障害者福祉」に出会ったのであって、
子ども時代から、当たり前に「障害児」とふつうに出会い、
育ちあう経験をしたのではありませんでした。

そもそも「障害者」という言葉すらなかったのです。
今なら放送禁止用語であったり、
差別語として、書き換えられるような言葉しか、
障害をもつ人間を表現する言葉を
持たない「遅れた社会」だったのです。

そこに生きる人間には、やはり誰であれ、
時代の限界というものがあります。
あのコルチャック先生ですら、
「精神薄弱児」はふつうの子どもの害になるから、
いっしょにしないと信じていたのですから。
(コルチャック先生は、私のもっとも尊敬する人ですが、
長くなるのでまたの機会にします。)

いま、保育園や幼稚園、小学校で、
同じ日常で当たり前に、育ち合っている子どもにとっては、
私たち古い大人が、「発見」したり、「反省」したり、
「考えを改め」ながら、苦労して、
頭で理解できるようになった大人とは、
違う大人になるでしょう。

明治、大正、昭和の時代に、
福祉を切り開いてきた大人たちとは
「違う」感性と進化をするのだと思います。

「わがままでおばかさんだけど、
そこがなっちらしくて好き」と、
そのなっちのお母さんに、くったくなく言える子ども。

その子たちが、「障害をもつふつうの子ども」や
「障害をもつふつうの大人」の生活や教育を考えるとき、
私たちにはない発想と感性で、
共にいる社会を仕組みを築いていくのでしょう。

その子たちのじゃまをしないために、
私たち自身が少しでも、福祉や障害児教育の先達の、
「分けること」前提にして始まった取り組みを、
見破る作業をしなければいけないのだと思います。

(つづく)
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