ワニなつノート

「ここにいる私」と「…できる私」 (その7)

「ここにいる私」と「…できる私」 (その7)

◇[まるごと]の私


特別支援教育は、「ここにいる私」をまるごと受けとめる、ことはできません。

親が子どもを「大事にしていない」というのではありません。
子どもを「受けとめていない」というつもりではありません。

ただ、普通学級で「ここにいる」ことが認められないから、
特別支援教育の場に行かされる仕組みがあるのは事実です。

だから特別支援教育は、「ここにいる私」を限定的にしか育てることができないのです。
この社会に「まるごといる私」ではなく、特別な支援が必要な「私」の役割だけを担わされることになります。


極端な例をあげてみます。
24時間人工呼吸器をつけた子どもが家に帰り、近所の保育園に入園できたのは、平本歩さんが初めてだといいます。

【「人工呼吸器をつけた子が外出・外泊できる!当初は思いもよらなかった事でした。」

これは、1989年、『バクバク』創刊号の冒頭で、当時、3才で淀川キリスト教病院に長期入院中だった平本歩さんのお父さん(バクバクの会初代会長・弘冨美さん)が記した一行です。

当時、人工呼吸器と言えば、病院据え置き型のもので、人工呼吸器が欠かせない子どもたちは、病院で天井を見ながら一生を終えるしかないと考えられていました。

そのような中、子どもたちの生活を少しでも豊かにするために子どもたちを戸外へ、家族のもとへ連れ出すことはできないかと考えた医師たちの提案がきっかけとなり、子どもたちのくらしを広げる試みが始まりました。

その後、ポータブルの人工呼吸器の開発とともに、少しでも子どもらしい生活をさせてあげたいという一致した思いの下、医療スタッフと家族がともに努力や創意工夫を重ねた結果、やがて、子どもたちは、家族と一緒に病院からの外出や外泊ができるようになりました。

………とはいえ、当時は、「ひとりの子ども」として当たり前に、家族揃って家で暮らすとか、保育園や学校へ通うことまでは、思いもよらないことでした。
全国的にみると、養護学校のベッドサイド授業でさえ、拒否されることのあった時代でした。】(バクバクの会HPより)


それ以前は、一生、病室で過ごすしかありませんでした。
親が365日付き添い、兄弟は病室から学校に通い、学校から病室に帰るという生活もありました。呼吸器につながれて離れられないのですから、親子にはどうしようもありませんでした。

そうした状態で、親が子どもを受けとめていない、などと私も絶対に思いません。
親は子どものまるごとを受けとめて、そこで家族でせいいっぱい生きていたのだと思います。
そのとき、その子をまるごと受けとめることができなかったのは、医療(機器)であり、社会であり、閉じられた学校、でした。

歩さんが切り開いた時代が進み、いまは、京ちゃんやみーなちゃんのように、呼吸器が車いすと同じように生活の道具になり、自宅から保育園や学校に通えるようになりました。

いまの時代、子どもをまるごと受けとめるなかに、親や家族だけでなく、保育園や学校にも、つまり社会のまんなかに、「この子がいる」ことを伝え、受けとめてもらうのでないと、「まるごと」受けとめることにはなりません。

すべての「個別の配慮」とは、「共にいることのニーズ」を満たすためにこそあります。

人工呼吸器という制限について、書きましたが、すべての「障害」について、私は同じだと思っています。

子どもの「ここにいる私」を育てるには、どうしても「まるごと」の受けとめが必要です。
「病室」や「施設」の中だけで一生を生きていくしかない子どもにとっては、その場の親だけ、家族だけ、医療関係者だけ、が、まるごとの世界だったのかもしれません。

でも、いまは、社会へ、世界へ、出ていけるのです。
去年、折田涼さんの講演を聞いたとき、ハワイに行ったときの楽しそうな表現がとてもすてきでした。
呼吸器をつけて、地球を駆け回る信頼、その人類と環境への信頼を育てたのは、両親であり、普通学級、普通高校という環境と仲間だったのだと思います。

まるごと、とは、それ以外にありません。

どんな障害があれ、まるごと、とは、親だけでなく、私たちの社会が問われていることです。
地域の小学校、中学校は、「選択」ではありません。「選択」にしてはいけない、と思います。
子どもはみんな、まるごと、親に、家族に、地域に、社会に、受けとめられるべきなのであり、まるごとに、「選択」の入る余地はありません。

虐待された子どもの問題が、その親だけの問題ですまないように、受けとめる私たちが問われているのです。

私が、ホームで出会う子どもたちを、「まるごと」受けとめられるように、・・・


      ◇     ◇     ◇


《まるごと》

【まるごとというのは、
その人の手も足も、
いやその指のひとつひとつ、
においをかぎとる力とか、
天気をよみとる力とか、
皮膚であつさ、さむさ、しめりぐあいをとらえる力とか、
からだの各部分と五感に、
そしてその人特有の記憶のつみかさなりがともにはたらいて、
状況ととりくむことを指す。

その人のこれまでに受けた傷の記憶が、
目前のものごとのうけとりかたを深めたり、ゆがめたり、
さけたりすることを含む。】


(「教育再定義への試み」鶴見俊輔 岩波書店)

コメント一覧

ai
○が普通学級へ行ってから、なぜ、もっと早く気付かなかったんだろうと思ったことがたくさんあります。

今日のyoさんのコメントにあるようなこともその一つ。

丸ごと受け止めてほしい。と願いつつ、教育現場が、なかなかそうなっていかないことへのいら立ちと失望は常にありました。

丸ごと受け止めている?
自分は、どう?
ちっともできていないじゃない。
「ただ、一緒にいるって言うだけじゃないか。」と、ある保護者から言われ「それで何が悪い。」と顔で笑って心で泣いたこともあります。

ところが、子どもたちはそうじゃなかったんです。

昨日、今日と初めて出会った子どもたち。
○を、文字通り、○ごと受け止めていました。
子どもたちの垣根のない姿に、私、いったい今まで何していたんだろうなって。思いました。

条件付けでしか受け入れられない大人たち。
不安が不安を呼び、起きてもいないことを先走って苦慮する愚かさ。

そんなことの繰り返し。
もう止めないとね。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「関係の自立」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事