「ここにいる私」と「…できる私」 (メモ002)
「まるごと」について、鶴見さんの本からもう少し紹介します。
◇ ◇ ◇
「まるごと」と「全体」
まるごと(whole)と全体(total)とを区別して考えたい。
明治のはじめには、手ばやくつよい国家をつくるために、集団として型にはめこむ教育が、小学校だけでなく、中学校、高等学校、大学に必要となった。
この場合、教師は集団として養成され、教師用の教科書(マニュアル)をもって、同じ教科書を使って集団としての生徒に対する。
授業は規格化され、採点も同じ基準によってなされる。
生徒は、おちこぼれるものを別として均質化される。……
集団としての生徒の数学における、あるいは英語における達成度は、規格によってはかることができるようになり、ここにひとりの生徒がいると、その生徒の位置は、達成度によって同年齢のものの中のこのくらいのものと確定することができる。
それは全体(total)の中での位置づけである。
まるごとというのは、その人の手も足も、いやその指のひとつひとつ、においをかぎとる力とか、天気をよみとる力とか、皮膚であつさ、さむさ、しめりぐあいをとらえる力とか、からだの各部分と五感に、そしてその人特有の記憶のつみかさなりがともにはたらいて、状況ととりくむことを指す。
その人のこれまでに受けた傷の記憶が、目前のものごとのうけとりかたを深めたり、ゆがめたり、さけたりすることを含む。
………
「まるごと」と「全体」について、日本の英語教育の歴史から例をあげよう。
十四歳の漁師万次郎たちが難破して無人島でくらし、アメリカの船に出会ったとき、英語を知らない万次郎たちはからだの力、心の力をかたむけて、異人に自分たちの状況をつたえ、空腹をうったえた。
そのうったえはとどいた。
ここにはまずコミュニケーションがあって、それから英語がある。
日本人の誰もが、まずコミュニケーションがあって次に日本語をまなんだ。
明治から百年余りの学校教育はこの順序を転倒させて、まず英語があってそれから外国人とのコミュニケーションがあり得ると考え、その考えにもとづいての学校での英語教育は百年にわたって失敗した。
この百年間、中学校、高等学校、大学の教育は、英語からコミュニケーションに転じる道をつくりださず、この期間に英語は数学とならんで、入学試験でのおとす道具として使われる役をにないつづけた。
これほどの長期にわたる失敗を、他の国の同時代史に見ることができるだろうか。
その失敗の自覚が、敗戦と占領をへても日本にいまだにない。
ながいあいだつづいた大きなあやまちをしっかりと見ることはむずかしい。
(「教育再定義への試み」鶴見俊輔 岩波書店)
◇ ◇ ◇
先日の(メモ001)の答えは、ここに書かれているようです。
『「評価とは別のもの」をちゃんと理解する方法を知りたい』と私は書きました。
私が書いた「評価」とは、《全体(total)の中での位置づけ》のことであり、「別のもの」とはまるごと(whole)ということなのでしょう。
小学校の先生が、「自分よりも、子どもたちの方が、障害のある子の《ことば》をよく聞き分け、よく理解している」と表現することがよくあります。
小学校だけでなく、幼稚園、保育園でも、そうした表現はよく聞きます。
それは、先生(大人)が、まず日本語でコミュニケーションをしようとするのに対して、小さな子ども同士は、まずコミュニケーションがあって、それを「日本語」として先生に伝えてくれていることを表しているのでしょう。
特殊教育の失敗が、分離、差別の問題だけでなく、そもそもコミュニケーションについての考え方が間違ってからだということも、この英語教育の失敗の話からよく分かります。
この百数十年間、日本の障害児教育は、子ども同士の育ちあう中からコミュニケーションを育てる道をつくりださず、むしろそのコミュニケーションを捨て続けてきました。
「ながいあいだつづいた大きなあやまちをしっかりと見ることはむずかしい。」ですね。
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