ワニなつノート

わたしのものがたり

  
「見るべきものは、みんな見せてきた」を、
航くんのお母さんが転載してくれていました。
http://ameblo.jp/little-my-handmade/

自分で書いたものを、他の人のHPで読むと、自分には見えていない景色がみえることがあります。

「見るべきもの…」も、Hrくんのお母さんのおかげで、より多くの人の心に届いているように思います。

で、航くんのお母さんのブログで「見るべきもの…」を読んだら、ふと、「わたしのものがたり」を思い出しました。

3年前のものです。


     ◇     ◇     ◇



わたしのものがたり


先日の相談会でのこと。
ある方が静かに次のように話されました。

「普通高校を受験すると、不合格になる場合もありますよね。
発表を見にいって、自分の番号がないと、
本人はショックを受けるんじゃないですか…」

その言葉は、私のなかにすっと入ってきました。

「だから無理なんじゃないか」と、
その先のことを話しているではなく、
ただ、その場面の子どもの辛さへの思いが感じられました。

だから、私も肩に力が入りすぎることなく、
静かに話すことができました。

    ☆

そうですね。
一回で合格、というのはほとんどないですね。
自分の番号がないのは、それはショックだと思います。
辛いですよね。
だから、何度も何度も掲示板を確かめる子もいます。
何度も確かめて、ないって分かって帰りかけても、
校門からまた戻って、番号を探す子もいます。
『○○番あります』と、自分の番号をくり返す子もいます。

子どもにそういう思いをさせるのは、
かわいそう、ですよね。
私も、そう感じます。
かわいそうで、できればそんな思いをさせたくはないと、
そう思います。

しかも、それまでに、本人が勉強できないことで、
傷ついたり、悩んだり、学校に行けなくなったりしてきた姿を
間近で見て、寄り添ってきたのであれば、よけいに、
人生の一大事である大事な入試の場面で、
大勢の子どもたちが発表を見にきている中、
自分の番号がない、という場面は、
想像するだけで苦しくなりますよね。

でも…、子どもは立ち上がるんです。
だから、私も信じて、後押しできるんです。
子どもが倒れたままだったら、
私も、子どもの手をつかんで、
「ほら立ち上がって、もう一回がんばれ」
とは言えません。

だけど、子どもたちが、
立ち上がるんです。


…そんなことを、話しました。

そのことを思い出しながら、
自分がうまく話せなかったこと。
自分でも言葉にできていないこと。
それを言葉にしたいと、書き始めてみました。


 ☆   ☆   ☆


わたしが傷つくことも、
私の私自身の人生の物語のひとつとして大切に思っていてね。

私が傷つくことも、ちゃんと見ていてね。

つまづいたその時には、
わたし大声で泣いてしまうかもしれない。
もう何もかもいや、って叫んじゃうかもしれない。

つまずくこと、ぶつかること、傷つくこと、
思い通りにいかないことを、
おおらかに受け止めるなんて、わたしはできない。

だから、世界の終わりみたいに泣いて、
落ち込んでしまうかもしれない。
ご飯も食べれないと思う。

だけど、泣くだけ泣いたら、
きっとまた、顔をあげて歩くから。
歩きたいと、心が思うから。
それでも、立ち上がれないときに、
そばにいてね。
わたしを信じて見守っていてね。

どんなに私が、頼りなく見えても、
泣いてばかりいても、
ごはんも食べられず落ち込んでいても、
それで終わりになるなんて、思わないでね。

「何もかもいや」、そう思って、
泣いて、叫ぶのは、わたしだから、

だから、お母さんは、「だいじょうぶ」って思っていてね。

どんなに私が頼りなく見えても、
どんなに私が小さい子どものままに見えても、
でも、「この子は大丈夫」って、
今までみたいに、平気な顔をして見守っていてね。

わたしは、いつも、お母さんの「大丈夫」がすき。
「あなたはあなたのままでいいのよ」、
「みんなと同じにできないことがあっても、
あなたはあなたのいいところがいっぱいあるのよ」
そういって、小さい頃のように、
あなたは大丈夫っておまじないを繰り返してね。

わたしは、そのおまじないを頼りに、また顔をあげるから。
そして、かならず、大丈夫に向かって、歩き出すから。

だから、はじめから、私が傷つかないように、
「それは無理だから」「あなたには無理だから」
「無理しなくていいから」って、
そんなふうに言わないでね。

お母さんには無理に見えるかもしれないし、
本当にお母さんの言う通りかもしれないけれど、
でもね、お母さん、私がしたい無理は、私にさせてね。

私が傷つくことがわかっていても、
私を説得しないでね。

私が私の希望を、夢見ることをあきらめる理屈を、
私に教えないでね。

そのかわりに、ただ、私が夢見て傷つくことを見ていてね。
私が倒れたら、抱き抱えて、家に連れて帰ってね。
重くて、お母さん一人じゃ大変だったら、
お兄ちゃんにも手伝ってもらって。

私が傷ついても、もうだめって思うくらい傷ついても、
それでも、私には立ち上がる力があることを、
私に試させてね。

そのまま倒れたら?
ううん、一人でも本当に、わたしを応援してくれて、
見守ってくれる人がいれば大丈夫だって。
そういう人が一人もいない人や、
本当はそばにいるのに、気づかないで、
ひとりぼっちだって間違ってしまう人は、
取り返しがつかない道を選んでしまうけど、
でも、一人でも、私を信じてくれる人がいて、
寄り添う人がいれば大丈夫だって。
先生がそう言ってたよ。
だから、わたしは大丈夫でしょ?

だから、私に無理もさせてちょうだい。
できないこともさせてちょうだい。
みんなと同じに、夢見て、いきたいから。
みんなだって、夢がかなわなかったり、失恋したり、
幸せに結婚して子どもがいたって
離婚してしまう人だっているでしょ。
でも、それでもその人たちが全部不幸で、
すべておしまいって訳じゃない。
そうでしょ。

みんなと同じ場所で、
同じ子どもでいるなかで、
いろんなこと夢見て、あこがれて、希望をもって、
すべてがかなう訳じゃないってことくらい、
子どもだってみんな知ってるんだから。
私だって、それくらい知ってる。
でも、無理だからって、
はじめから夢みちゃいけないわけじゃないわよね。

でも、やっぱり私、泣き虫だから、
失敗したら、きっと泣いちゃう。
だけど、それもわたしだし、
わたしはどんなときも、笑っているときも、
泣いているときも、わたしはわたしだから。

泣いている私も、大切に見守ってね。
お母さんが、泣いている私を、
小さい頃みたいにやさしく包んでね。
それから、もうあなたは大人なんだからって、
そう言って信じてくれたら、
そしたら、きっと私も泣いている私に、
いっぱい泣いていいよっていえて、
それから私はもう大人なんだから、
自分の人生は自分で歩きだそうって、
きっとそう思えるようになるから。

だから、わたしが傷つくことも、
わたしの物語だからと
大事に見守っていてね。
いつか、わたしも、そうやって、
誰かの涙を、それもあなたの大事な物語だからって、
暖かく見守れるようになりたいから…。

コメント一覧

ai
またまた、おじゃま虫がひとこと。

立ち上がる力の源は、
こどもたちなんですね。

昨日も今日も、
大人たちに凹まされた○が
こどもたちに支えられ、見事に立ち上がる姿に
見とれてしまった親ばかです。

私自身、長い間凹ます側でした。
今でも、yoさんや、ここに来るお母さんたちに比べたら、情けないことこの上ないけれど。

立ち上がる○の原動力は、
並大抵のものではないことを痛感しています。

出会いって嬉しいよね。
yoさん、体調大丈夫ですか。
パソコンは、身体にさわるので、
お大事になさってくださいね。


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