学生のころ、永六輔さんの話を何度か聞きにいったことがある。
ずっとあこがれの「大人」の人だった。
永さんがパーキンソン病になって、その後の姿をテレビで見たり、本を読んでいると、自分が10代のころからあこがれていたものが、いまも全く変わっていないと思える。
昨日から「大晩年」という本を読んでいると、自分が子どもになって「大切なことは何かと教えてもらっている感覚になる。
ちゃんと書こうとすると、いつになるかわからないので、いま思いつくままに。
◇
《パーキンソンは意識はしっかりしてるんだけど、それを言葉に直したり歩いたりっている行動に移すのが下手になっちゃう。
だから、それを分析して、歩く、喋る、食べる、全部トレーニングが必要になるの。
子どものときからしてることなのに、それが、その記憶がなくなってんの。ものを食べるっていう記憶、技術がね。
…病院にそういう切り口で病気を語ってる人がいないんですよ。
全部数字、今。数字と…データ。
「数字とデータ」の医療を「人と人」に戻してほしい。
…で、そういうのは自分が病気にならないとわからない。》
(『大晩年』 永六輔 中央公論社)
◇
すごいことを、まっすぐど真ん中に言葉にしてしゃべれる人なんだなーと思う。
ここを読んで、最近自分が不思議に思っていた、特別支援教育の繁盛する理由がよくわかった。
子どもの教育を語る人たちが、みんな「子どものときからしてることなのに、それが、その記憶がなくなって」るんだ…。
幼い子どもが、どんなふうにこの世界と出会い、どんなふうに子ども時代を旅するのか。
自分とおなじ子どもの姿を、みかける、みつける、目があう、
声がきこえる、声をかける、声がとどく、
笑いかける、笑顔がかえってくる、
いっしょにあるく、走る、追いかける、逃げる、
いっしょにみる、いっしょに聞く、いっしょに怒られる、
いっしょに不安になる、いっしょに泣く、いっしょに笑う、
いっしょにほっとする…。
そういう無数の子ども宇宙の冒険を、「特別支援」「個別支援」はすべて「数字とデータ」に変えてしまう。
子どもの子ども時代を、子どもの出会いを、「数字とデータ」で埋め尽くす。
専門家は、「歩く、喋る、食べる」と同じように、自分が子どものときからしてきた当たり前の「相互関係」のすべてを忘れてしまい、「この子にはそれはいらない」と言ってしまえる。
自分も子どものときからしてきたことなのに、もし自分からそれを取ってしまったら、どういうことになるかを知らないまま、その記憶がなくなったように「教育」の仕事をしている。
そうか、きっと多くの人が、部分的にパーキンソン病の人と同じ症状になっているのかもしれない。
そんなふうに、思ってみたりする。
だって、そうとでも思わないと、つじつまがあわない。
『「数字とデータ」の医療を「人と人」に戻してほしい。
…で、そういうのは自分が病気にならないとわからない。』
「数字とデータ」の教育を「子どもと子ども」に戻してほしい。
…で、そういうのは、「専門家」は分けられる子どもにはならないから、永遠にわからない。
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