《2・子どものよろこびは…》
子どものよろこびは、はじめに母親とのあいだに生まれるのだろう。
母や父、兄姉という身近な人から関心をもたれ、
「ここに いる わたし」を感じるところから、
子どものよろこびは、はじまる。
同時に、「わたしが ここに いる」ことが、
相手の関心への何よりの返事であり、
そこから生まれる自負がまた子どものよろこびを生む。
自分もまた人に関心をもち、
「あなたがいてくれてうれしい」とわらうことが、
相手の笑顔につながるとき、
子どもはありのままでここにいてよろこばれるわたしを感じ、
ここにいるわたしに、自信をもつことができる。
まなざされること、みみを傾けられること、ふれられること、
そして、だいすきなひとたちと
おなじなかまのひとりであるじぶんを、じぶんにきざむこと。
何をするとか何をなすとかのまえに、
みんなとここにいる自分を自分に刻みながら、
子どもの時間は豊かになっていく。
豊かさの彩りの違いを、個々の能力や個性という。
彩りの違いはそれぞれだけど、よころびのもとはおなじ。
ここにいるわたしのよりどころ。
それは、わたしのなかにあるのではなく、
わたしをまなざし、はなしかけ、うなずき、
わらってくれる人とのつながりのなかにある。
相互にくりかえすよろこびを、「関係の肯定」という。
喜びは「いること」(存在)と、
「ともにいること」(関係の肯定)からうまれる。
わたしはいま、「子どものはなし」をしている。
「しょうがいじ」のはなしではなく、ただ「子どものはなし」をしている。
「子ども」にとってたいせつなものは、
すべての子どもにとってかけがえのないものだと忘れないように。
わたしが出会った子どもの誰ひとりこぼれおちないように、
わたしが出会ったすべの子どもから、
たいせつなものはなにか、耳をかたむけている。
生まれたときから(ときに生まれる前から)、
「この子はみえないし、きこえないし、何もかんじない」と
お医者さんに言われた子どもたちが、
わたしの「子どものはなし」の真ん中にいる。
生まれたときにいちばん大切な親をなくす子どもがいる。
そのときには親以外のだれかが、
「あなたがいてくれてうれしい」と伝えなければいけない。
おさないときに親をなくし、また家族をなくした子どもたちが、
わたしの「子どものはなし」の真ん中にいる。
わたしたちは、子どもがなくしたものを、取り戻してあげることができない。
わたしたちにできることは、子どもが「いること」(存在)と、
「ともにいること」(関係の肯定)をこれ以上なくさないように守ること。
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