ワニなつノート

『関係障害論』に学ぶ (2)




三好さんが若いころ、
特別養護老人ホームで、困った老人への対応のために初めて行った
「ケース会議」のこと。
そのころは、ケース会議という名称もなかったという。

会議では、職員の不満や愚痴が噴出したが、
いい解決策はみつからなかった。
ところが、その後から、その老人が変わった、という。

それは、なぜか。

相手が変わったことは確かなのだから、
たぶん職員の側の何かが先に変わったはず、だと考える。

それを三好さんは、無意識の変化ではないかという。
職員が、愚痴や不満、悪口を吐き出して気がすむ部分があり、
それまで知らなかったその人の苦労を聞くことで、
そのおばあさんへの接し方が変わったのではないかと。

その人への不満がたまっていたり、
顔を見るのもイヤという気持ちを抱えながら接しているのとは、
やはり違うだろうと。
具体的には、声の調子、まなざし、
呼び止められた時の振り向き方、その他いろいろ。

同じようなことはその後もあり、
中には、翌月のケース会議は誰々さんと予定していると、
会議の前に、「もう問題はなくなりました」ということも出てくる。

そのことを、三好さんは次のように説明する。



「要するに、一ヵ月後のケース会議に出て、
 その人について、何かしゃべらなければならない。
 その時に、悪口や愚痴ばかりではカッコ悪いですから、
 その人のことを観察したり関わってみたりして、
 何かきっかけをつかまなければいけませんね。

 そうすると、みんなその人のところに行って、
 顔色を見たり、話しかけたりするようになります。
 それだけで、どんどん良くなったというケースがいっぱいあります。
 
 これをぼくらは「関係の力」と呼んでいます。

 そうすると、「関係」の出発点というのは「無意識」です。
 逆に言うと、無意識のうちに老人をダメにするということが
 いっぱいある、ということです。

 関係から逃げたり、関心を持たないことによって、
 人間はどんどんダメにされていきます。

 逆に関係が豊かになり、
 興味や関心をもってくれる人がいるというだけで、
 お年寄りは元気になっていきます。

 それくらい大きな力を目に見えない関係は持っているのだ。」



ここには、普通学級の担任が、子どもを「問題児」としてみるとき、
どうしたらいいか、ということが書いてある。
その子どもとどう関わっていいか分からないというとき、
どうしたらいいか、ということが書いてある。

ふつうにつきあえばいいということ。
普通学級に40人の子どもがいるということは、
先生がその子に関心をもって関わるだけで、
40人の関心がその子に向くこともあり、
そこにどれだけ「豊かな関係」を生み出すことができるか。

そして、また、いわゆる「重度」といわれる子どもが
普通学級でうまくやっていけて、
「軽度」といわれる子どもがうまくいかない、
という理由のひとつもこの話で説明できる。

それは、その子がどれくらい字が読めるとか、
計算ができるという「能力」とは別のところで、
子どもたちの学校生活、
「授業という生活」が営まれているということなのだ。(つづく)
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