ワニなつノート

『子ども救援』について考える(1)




1・ 子ども救援と障害児への支援

「障害児」と「普通児」という2種類の子どもがいるのではない。

障害をもつ「ふつうの子ども」と、
障害をもたない「ふつうの子ども」がいる。

両親のいる「ふつうの子ども」と、
母親だけ、または父親だけがいる「ふつうの子ども」と、
両親がいない「ふつうの子ども」がいる。

では、「ふつうの子ども」でない子どもとは誰か?
妖精とか悪魔とか、背中に翼のある子ども。
または、大人のなかに住んでいる「小さな子ども」(インナーチャイルド)。
だから、障害児とは、
「障害」をもっている「ふつうの子ども」のことなんだよ。

そして、「ふつうの子ども」の生活の中では、
ある日、大地震が起きたりして、
救援が必要な「ふつうの子ども」になることがある。

そこでは、地域によって、また被災の状況によって、
救援が必要な「ふつうの子ども」と、
救援を必要としていない「ふつうの子ども」がいる。

また、子どもが虐待にあったり、
事件に巻き込まれたりすることがある。
性虐待を受けたり、誘拐されたりした子どもにとって、
そこでも、救援が必要な「ふつうの子ども」と
救援を必要としない「ふつうの子ども」がいることになる。

ここに自力では呼吸ができない「ふつうの子ども」がいる。
その子どもの命を助けるために、気管切開して、人工呼吸器をつける。
その子は、「ふつうの子ども」から「障害児」に変ったのではなく、
そこに人工呼吸器が必要な「ふつうの子ども」がいるだけなのだ。

あとは同じ話。
ダウン症と言われる「ふつうの子ども」がいる。
出産時の事故により脳性麻痺になった「ふつうの子ども」がいる。
話すことや読むことなどが苦手な、知的障害とよばれる「ふつうの子ども」がいる。
自閉症と言われるいくつかの共通した特徴をもった「ふつうの子ども」がいる。
目の見えない「ふつうの子ども」がいる。
耳の聞こえない「ふつうの子ども」がいる。
………

さて、そこで、
救援を必要とする「ふつうの子ども」への救援の思想を考えてみたい。
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