ワニなつノート

一週間遅れの報告(^^)v


一週間遅れの報告(^^)v


「0点でも高校へ」「109人合格」記念集会が無事に終わりました。
参加者は132人。
「109人」のなかの現役高校生とOBも30人くらい来てくれました。

千葉の会で初めての「浪人」をしてくれた淳くんは34歳。
ヒデやマキト、こうちゃんやゆう君たちもいわゆるアラサー。

会場には、当日参加できなかった人たちから届いたアンケートや高校の卒業証書、アルバム、作品や通知表などが並び、集会というより、会の同窓会という雰囲気でした。

集会の報告が遅くなってしまったのは、あの日、会場にあふれていた、懐かしさと心地よさ、「普通学級」と「0点でも高校へ」という思いの確かさと希望、そんな思いがあふれ過ぎていて、どこから何を言葉にしていいのか悩んでいました。

たとえば「懐かしさ」と書きました。
私はほとんどの子どもたちの6歳から高校、二十歳、三十前後を身近でみてきました。
その時々…6歳の子どもに、12歳の子どもに、15歳の子どもに向けられた差別や理不尽な圧力。
その相手は、学校・市役所・法律・国という、個人では抗いようのない巨大な壁でした。
そのひとつひとつの攻撃に負けず、踏みとどまり、子どもを守り続けてきたのは99.9%「母親」でした。
このことは、改めて記しておいていいことだと思います。
私の体験では、「国」や「法」や「行政」「学校」から子どもを守り切ってきたのは、100%「母親」でした。
母親と一緒に、ごくまれに父親に出会うこともありました。
でも、「父親だけ」という出会いは…、思い出せません。

就学相談会で出会って以降、私の耳に情報が入ってくる時というのは、なにか「問題」が降りかかったときでした。どれも理不尽で腹の立つことばかりでした。
特殊学級や養護学校への勧め、普通学級ではかわいそうだというお節介、ただ手をかすことができないという性格の悪い大人たち。
今の地点から振り返ってみると、改めてその出来事のどれもが、この子たちの「障害」ゆえの苦労ではなかったと確信できます。
ただ、大人が、社会が、学校が、教師が、未熟で度量の狭い大人だったというだけのことでした。

特別な支援や教育は本当にいらなかった。
ただ、その時々の状況に応じて、ほんのちょっとの手助けだけが必要だっただけ。
それだけでよかった。
それだけだったからこそ、よかった。
そのことが、彼らの現在の自信にあふれた姿をみているだけで、確かに感じることができました。

(つづく)

コメント一覧

yo
aiさん

遠く本州の端から集会への参加、ありがとうございました。

「○の過ごした小中学校生活が、こんなに大事なものだったなんて。」

この言葉を読んで、「普通学級で過ごすことの本当の良さは学校を出てからよけいに分かるものよ」という言葉を思い出しました。

そのころ、20代の私にはピンとこない言葉でした。

でも、その後も、何人もの人から、同じように語られる言葉を聞き、小さな子たちが、大人になっていく姿をみながら、ようやく私にもその意味が少し感じられるようになりました。

そのことを感じてしまったら、高校もあきらめるわけにはいきませんよね。

(集会の報告が遅れたため、「コメント」があちこちに飛んでしまってるので、とりあえずここで失礼します。)



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