ワニなつノート

 《8才の子ども 五十年目の糸》(その3)



《…夢のようです》




「特別支援教育」が、子どもを「分ける」ことになるとは、「考えもしなかった」という人がいます。
「ふつう学級」という考えが、そもそも「なかった」という人もいます。
「ふつう学級に行ってもいいんですか……」の後に、「夢のようです」と書いた人がいました。

それくらい「別の世界」の話なのに、なぜか小さなチラシや記事を見かけて、相談会に来る人がいます。


そして相談会を終えるころ、本当は忘れてなどいなかったことを、思い出します。

遠い昔に、しまいこんだもの。
ある「キーワード」を聞くと、「忘れる」ように、親になる前から準備されたもの。
そういう暗示は、いくつもあります。

介護される立場になったら、もう「ふつうの生活」はできない。
まして認知症になったら「ふつうの生活」は無理。
癌になったら、もう「ふつうの仕事」はできない。
子どもに障害があったら、ふつう学級は無理。
その他いろいろ。


ここでいつも、千葉敦子さんの言葉を思い出します。
「癌末期を特別と思わないで。ふつうにいつもの日常のように接してほしい」

クリスティーンさんも同じように言います。
「認知症を特別と思わないで。ふつうにいつものように接してほしい」



「ふつうの生活」とは何だろう?
人の手を借りたり、知恵を借りると、「ふつうの生活」はできなくなるのだろうか? 


私たちが知っている「ふつうの生活」を壊すもの。
それは、戦争や災害や原発事故であって、「手を借りること」ではありません。

むしろ、災害や事故の後に、人びとが「ふつうの生活」を取り戻すのに、一番大切なことが「手を借り、知恵をかりること」「手を貸し、知恵を貸すこと」だという体験を、私たちは繰り返しています。




また、「夢のようです」という言葉を思いだすとき、私が8歳のときに目の前に置かれたものを思いだします。

「これは、あなたのものではない。間違いだった。だから、すべて忘れてしまいなさい」
「ここは、あなたがいるべき場所ではない。間違いだった。だからもう夢はみないように」
「みんなと一緒」を失くしかけ、あきらめかけた子どもにとって、確かにそこは「夢のような」世界でした。


もし知能テストの数字が、あと何点か足りなかったら、私は分けられていたでしょう。
あの時、分けられていたら、私が生きてきたこの人生は「ないもの」だったのです。

戦争でもないのに、なぜ「友だち」と過ごす日常をあきらめなければならないのか。
津波でもないのに、なぜ大好きな友だちや仲間を失わなければならないのか。

ワールドカップにもオリンピックにも出たことはないし、一等賞も金メダルももらったことがないけれど、私にとって、この50年の人生は本当にふつうのありふれた「夢のような」人生だったのだと、小中学校の同級生に会うたびに思います。


私にとって、この人生がかけがえのない夢のようなふつうの人生だったように、目の前の子どもたちにも、大切な人生があります。夢のようなふつうの出会いが、きっと待っています。


(つづく)
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