ワニなつノート

失くしたものは (5)



【SCENE6 ここにいる自信】

何かができる自分、できない自分ではなく、
ただここにいる自分。
何かをする自分、しない自分ではなく、
ただここに在る自分。

ここにいるわたし。
ここに在るわたし。

ここに確かに存在しているわたし。
確かに受けとめられているわたし。

受けとめられている?
誰に? 何に?

この子が失くしたものが「自信」だと言うとき、
その「自信」とは、ここにいる自信。
「ここに存在している自分を、確かに受けとめられている自信」
だということを、
特別支援教育の関わる人たちにも、
ぜひ分かってほしいと思う。

もし、緊急避難として、通級に通う子どもがいたら、
特別支援学級にかけこんでくる子どもがいたら、
そこで、ちゃんと受けとめてほしいと思う。
何かができる自分、できない自分ではなく、
何かをする自分、しない自分ではなく、
ここにいる自分。
ここにある自分。
ここに確かに存在している自分。
ここに確かに存在している自分を、
確かに受けとめられている自信。

それを、感じさせてあげて欲しい。
ここに確かにいる自分、感じられる自分と自信を、
取り戻させてあげてほしいと願う。

そして、その場所で自信を取り戻すことができたら、
ちゃんと、その子が本来いた場所を取り戻してあげてほしい。

その場所で、その避難所で、その仮設住宅で、
確かに存在し、受けとめられる自分を感じることを取り戻したら、
そのときには、もともとその子がいた場所へ、
帰れるように、戻れるように、
元の生活を取り戻せるように、手伝ってあげてほしい。

私は自分が8才のときに、特殊教育の世界には行きたくないと恐れた。
大人になってからも、特殊教育の場ではなく、
普通学級がいいと30年近く言い続けてきた。
それが新しいトクベツシエン教育という名前に
変わって普通教育の中に入ることも反対だ。
だけど、特別支援教育の現場で、
子どものために、子どもと向き合っている人を敵だとは思わない。
私自身、情緒障害児学級や適応教室で子どもたちとつきあってきた。
いま、小学校4年生の私の甥っ子は、
2年生の途中から「ことばの教室」を勧められ、
不登校になり、いまは適応教室に通っている。

子どものために、普通教育も変わらなければいけない。
この巨大な子ども差別の仕組み。子どもの自信、
エンパワメントの力を奪う仕組みを変えるために、
そのからくりを壊すために、
特別支援教育も普通教育とともに変わるべきだと思う。
いまの普通教育も特別支援教育も、
すべての子ども差別をなくすために考えること。
誰もが安心して、いっしょに過ごせるように。
一人の子どもがやりたいことを、
いまできることを大切にしながら、
子どもの学びを援助する場を創ること。

統合教育とは、障害のある子とない子を同じ場に置くことではなく、
普通教育と特殊教育が統合して、
どの子もみんな、同じ場所で生活すること、
学ぶことを創造することだ。
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