ワニなつノート

普通学級と自立生活 (メモ4)

普通学級と自立生活 (メモ4)

「助けてと言えない」(Ⅲ)
 


 ◆

……金子さんが、何の相談もせずに姿を消した。

「私は理解できないよ、こんなこと。仕事は決まった、自活する準備が整って、本当にこれから自分の力で生きるという段階にまで入っていたのに。生活保護を切ることだってできたのに…」
始めは、理解できないと言っていた奥田さんだが、やがてこんなふうに語り出す。

「でも、すべてを理解してからでないと、物事って始まらないのかな? 金子くんのこと理解できないけれど、理解してからじゃないと彼の手助けしたらアカンのかな? 理解できるかどうかと、一緒に生きるかどうかは、きっとちょっと別物なんだな」

失踪から三週間後、発見された金子さんは、何も言い訳をしなかった。「全部置き去りにしてここから逃げ出したいと思った」失踪中にビルから飛び降りようとしたが、死ぬことはできなかった。「こいつはダメだ。できないヤツだ、とレッテルを貼られるのが怖かった」
一度は社会からこぼれ落ち、ホームレスになった金子さん。介護ヘルパーとして働き始めてからも、自分が周囲からどう思われているのか不安でしかたなかったという。期待にこたえられているか、自分は役にたっているか。そうした不安が積もり、奥田さんにも打ち明けることができなくなった。

「生活保護」「自宅」「連絡先」「再就職」。これらの要素が揃ったとしても、前進できない理由が彼らにはある。それは「自分が存在しているんだという実感」がないということだ。

…彼らの心のサポートこそが、ホームレス状態に陥った三十代の若者たちの自立に欠かせないものだと確信した。これが欠けていては、自立できない。

「生活保護などの制度だけでは彼らは助かっていかない。社会が彼らを救うのではなくて、人との絆が彼らを救うことにつながる」
奥田さんは、多くの三十代ホームレスと接するなかからそのことを実感し始めていた。

金子さんが発見されてから、再び奥田さんの家で暮らすようになる。
一ヶ月後、金子さんの変化に、伴子さんがきがつく。
「なんかね、最近、金子くん、お母さんの話ばっかりするんよ」
「なんだか思い出すことが多くて」
「お母さんのこの料理は美味しかったとか、こういうところが優しかったとか」
「まだお袋にあわせる顔はないかな……でもいつか会いたいです」

このとき、失踪する前には存在しなかった思いが金子さんのなかで生まれていた。
「生きたい」ホームレスだったころには思いもつかなかった言葉だ。

金子さんが本当に一人立ちするまで、これからもさまざまな出来事は起こってくるだろう。奥田さんはそのつど、金子さんのそばで、「ダメだこりゃ。次いってみよ~」と励まし続ける。
それでも金子さんが迷うことがあれば、一緒になって、「生きる希望」を探そうとするだろう。
困っている彼らにとって、「何が必要か、誰が必要か」という作業を何度も繰り返す。そうした関係性のなかで人は必ず生かされていくはずだ。


『助けてと言えない いま30代に何が』(186~190抜粋)

              

ここに書かれているのは、30代のホームレスへの支援の話です。でも、私にはhideたちへの支援と同じ大切なものを感じています。「べてる」の人たちの書いている「支援」も同じでした。

一つ一つを、障害児への「支援」と置き換えるのもセンス悪いかなと思うのですが、やはりカルタの【り】が浮かんだりします(>_<)
【り】《理解は後からついてくる》
【り】《理解はこの子がつくるもの》


《「生活保護」~「再就職」。これらの要素が揃ったとしても、前進できない理由が彼らにはある。それは「自分が存在しているんだという実感」がないということだ。》
「自分が存在しているんだという実感」、それは私の中では、「人と人とのつながりのなかで生きている自分の実感」だと感じています。

hideも「生活保護」と「障害年金」と「他人介護料の厚生大臣特別基準」等を利用して、自立生活を生きている。とくに「他人介護料の厚生大臣特別基準」を、知的障害者として認定されているのは、日本でhideただ一人です。どうしたら、自立生活ができるのか、と問われる時、hideにどういう「支援」が必要なのか、と問われる時。私は、介助者の存在や自立センターの存在と同時に、hideのなかにある「人と人とのつながりの中に自分がいることの実感」が、hideには身体中に染み込み行き渡っているということを、話したいと思うのです。

何かが「できる」から、いい「条件」が整っているから、重度障害のあるhideが自立生活をさせてもらっているのではなく、hide自身と親がその「人と人とのつながりの実感と信頼」を何より大事に作ってきた、その結果のカタチが、「いま」の生活のカタチなのです。

そうしたことは、hideを「障害者」としてだけ、見たり、語っていては、見えてこないことのようです。この本に出てくる若者たちのように、「健常者」で、「一人で勉強も仕事」もできて、それでもなお、生きづらいものを、どう支援するのかという話の中に、いくつもヒントがあるように思います。
(つづく)
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