ワニなつノート

「ひとりからはじまるデザイン」という「関係の肯定」(その1)


「ひとりからはじまるデザイン」という「関係の肯定」(その1)



まだ半分も読んでいない本について、メモを残しておきます。
たぶん「今年、一番面白かった本」です。

『「インクルーシブデザイン」という発想』
ジュリア・カセム  京都工芸繊維大学KYOTO Design lab.教授
フィルムアート社



最初に、あるデザインの課題について説明されています。

《…マルギットというおばあさん。87歳。一人住まい。
年齢による衰えはあるものの健康であり、可能な限り自立したライフスタイルを送りたいと望んでいた。
彼女は、緊急時にそなえて持たされた携帯電話を嫌悪し、常に電源を切っていた。》

この女性が「自ら使うことのできる」、インクルーシブな解決策を見つけるという課題。

老人の「使いやすい」携帯と聞けば、ドコモの「らくらくホン」が浮かぶ。
画面・文字を大きくし、明るさを増し、操作ボタンをシンプルに大きくする。

このデザインを必要とする「グループ」の老人は大勢いるだろう。
私の両親も使っている。

でも、マルギットはちがった。
マルギットは、その「グループ」にはいない。

マルギットの頭の中にある電話というものは、固定電話の形である。
受話器を上げて、ダイヤルを回し、目には見えないがつながり、電話の向こうにいる相手と話すことができて、受話器を置くと終わり。
それは、携帯電話のデザインとは別の物。

新たに携帯電話の機能と操作を理解するには、かなりの量の学習が必要になる。


でも、「マルギットは自分にとってメリットがほとんどないと思われる製品の操作方法を学ぶために、時間もエネルギーも使うつもりもなかった。」

           ★


「…自分にとってメリットがほとんどないと思われる製品の操作方法を学ぶために、時間もエネルギーも使うつもりもなかった。」


話しは変わるが、この2行を読んだ瞬間、今まで出会った無数の子どもたちのことがいっぺんに思い出された。

とくに、小学校1年生のころ教室からいなくなるタイプの子どもたちが次々と、私の頭の中に集まってきた。

「障害」とか「多動」とか「問題」と言われる行動。
「分からない授業がかわいそう」とか、「普通学級は無理」と言われる行動。

そんなことじゃないんだ。

「自分にとってメリットがほとんどないと思われる製品の操作方法を学ぶために、時間もエネルギーも使うつもりもなかった。」
それだけのこと。

マルギットというおばあさんが、携帯電話を必要としない生活を生きてきたのと同様、子どもたちにとって、過去5~6年の人生の生活スタイルに、「授業という生活」がなかったのだ。

だから、そのスタイルにすぐにはなじまない子どもを、別の教室に分けてしまうのではなく、どの子にとっても必要でたのしい「授業という生活」をデザインすることが求められていたのだ。

子どもを分けてしまうことで、百年変わらない「授業という生活」のスタイルやデザインしか、私たちは知らないままでいる。

その百年変わらない「授業という生活」のスタイルやデザインに、もっともこだわりが強い職業を、「学校の先生」と呼んでいる。

(つづく)

コメント一覧

yo
おはようございます。
カルタがお役にたてているようで、ほっとします。

こちらでは品切れになっているのですが、また印刷しようかな~という気持ちに傾きます。

でも、印刷するなら、手直ししたいと思ったりするからできないんですよね(・・;)

今日の集会、たくさん集まるといいですね。

kawa
ご無沙汰しています。
名古屋で先日、就学時健診の申入書を提出にいきました。提出したMさんの愛読書は『ワニなつカルタ』です。市教委の後、小学校の校長にも会いました。
動揺した校長の発言が、ワニなつカルタの一枚一枚と同じで、思わずみんなで笑ってしまいそうでした。
本当に何年も何年も障がいのある子は別に扱われてきたと思います。
でもこうしてその学校は、障がいのある子と普通に過ごす学校になってくれると思います。
校長先生に「4月から楽しみです。」と笑顔であいさつしてきました。•\(^o^)/
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「感情の流れをともに生きる」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事