ワニなつノート

hideの講演会(その4)

hideの講演会(その4)

◇ 「選択」について


普通学級に行くということは、「選択」ではないし、「特別なこと」でもありません。でも、「特殊・特別支援教育」を断って「普通学級にいく」ということは、ある種の事柄を「選択」していることにはなります。

ただし、その「選択」は、我が子の「学校を選択する」という個人的な話ではありません。そこで「選択」しているのは、この「社会」の在りようを選んでいるのです。障害を理由に、子どもを分けて教育する社会への異議申し立てという選択です。

「親のエゴ」だという言い方や、「養護学校を差別している」という言い方を幾度も聞いてきましたが、それがいかに的外れな非難であることか。養護学校やそこにいる子どもたちが嫌だと言っているのではありません。むしろ、自分の思いとは別にそこに行かされている子どもたちのためにも、この社会の在りようを変えるための「選択」なのです。ときに6歳の子どもを親から引き離し、家族から引き離し、寄宿舎での教育を受けさせることが「障害児のため」と認める「社会」を変えるための「選択」なのです。

我が子だけが地域の普通学級に入るための「選択」ではなく、すべての子どもが安心して家族と一緒に、地域の子どもたちと一緒に暮らせる社会を求めての選択を、私たちはしてきたのでした。

それは、親である私たちの同世代が育ってきた、この社会を変えたいという「選択」でした。私たちの親が疑問を持たずに、私たちに伝えた「障害=不幸」「できないこと、人の手を借りることは恥ずかしいこと」という教えを、子どもたちに伝えないための「選択」でした。

我が子と、同じ世代の子どもたち、そして、今日これから生まれくる子どもたち、明日以降に生まれてくる子どもたちへの、新しい関係を信頼するという「選択」です。

何百年、何千年の差別の歴史を経て、ようやく、「同じ学校」、「同じ子ども時代」を生きられる「歴史の今」に、私たちはようやくたどり着いたのです。それを「選択」というのであれば、私たちは、地域の小学校の普通学級を「選択」しています。

障害の問題、差別の問題が、我が子の数年の教育で終わるわけはないのです。子どもには、学校を出た後に、何十年という長い人生を、自分で生きていかなければならないのです。

そのときに、誰かの手を借りることがどれほど大切なことかを、子どもたちに伝えたいと思います。そして、知的な障害や苦手ことがあるなら、「手をかりるように、知恵をかりること」もまた、とても大切で当たり前のことだと伝えたいと思います。

障害児の親ではない私も、娘を「地域の小学校の普通学級」を選択しました。そこで、いろんな子どもと出会うために。その「選択」は、障害児だけの「選択」ではありません。新しい子どもたちの未来への選択です。私たちが「選択」をしてきたとすれば、そういう選択をしてきたのだと思います。

そして、hideが知的障害者としては、日本で初めて「他人介護料厚生大臣特別基準」を認定されたことは、「選択」の一つの答えなのだと思います。このことは、厚生労働省の職員のなかでも「話題」になったということです。しかし、hideに続く人はまだいないようです(o|o)
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