《表現は受けとめる人がいて、
はじめて表現になる》
感情を表現するとはどういうことか
気持ちを表現するとはどういうことか
言葉にならないおもいを、表現するとはどういうことか。
前回、感情について書いた後、夢のなかでつづきを考えていたようで、
まぶたの奥に3人の子どもの顔が浮かんだ。
そこに3人の母親の表情が重なる。
感情を表現することと、
気持ちを受け取ることがどういうことか。
わたしに教えてくれた場面がうかぶ。
お医者さんはいう。
この子は目も見えていないし、音も聞こえていない。
脳波をみればわかりますと。
この子は生まれてきても、一生なんの反応もないでしょう。
亡くなった上の子と同じで、生まれてもすぐに死んでしまうでしょう。
だから、あきらめた方が…と言われた子ども。
お医者さんが、顔面のけいれんとみなす子どもの表現を、
Iさんは、笑みと受けとる。
お医者さんが、眼振とみなす表現を、
鳥や雲を目で追っていると受けとる。
お医者さんが、マヒのためにつっぱるとみなす表現を、
伸びができるようになったと受けとる。
ごく初めの表現は、お医者さんの解釈も間違いではなかったかもしれない。
でも、その表現は、同じかたちのように見えながらも、
いつしか、母親の受けとるかたちにかたむいていく。
ひとりの表現、ひとりの受けとめ、ではなく、
ふたりの表現、ふたりの受けとめあうかたち、といってもいい。
やがてそれは、母親の勘違いではなく、お医者さんにもはっきりと見えてくる。
けいれんではなく、笑顔という表現にみえてくる。
眼振ではなく、人やものを目で追う表現にみえてくる。
マヒではなく、のびをしている表現にみえてくる。
どんなにささいな身体の変化も表情の変化も、
我が子の表現として受けとめる母親の力にかなうものはない。
わたしが彼に出会ったときには小学生になっていた。
生まれても長くは生きられないと言われた子が、ふつうの小学校に通っていた。
彼の家を訪ね、いっしょに遊び、いっしょに泳ぎ、いっしょに眠った。
彼が二十歳でなくなってから、もう二十年が過ぎる。
いまも、わたしのなかには、家族に愛されたふつうの男の子がいる。
出会ったころの、小学生の男の子、中学生の男の子の姿で笑っている。
感情の表現について、
ことばの(ない)表現について、
生活の場の表現について、
にんげんの表現について、
家族(だいすきなひと)をおもう気持ちの表現について、
ずっと、ずっと、わたしの話し相手でいてくれる。
(つづく)
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