ワニなつノート

「消極的能力」と「援助」


「消極的能力」と「援助」



昨日、「消極的能力」について書いたら、次々といろいろな場面を思い出しました。
わたしが、きちんと説明したいと願ってきた「授業という生活」ということばも、「消極的能力」の豊かさを考えることでつながりが見える気がします。

授業が、「教える-教えられたことを理解する」とだけみれば、それは「積極的能力」を育てることだと
いえます。

でも、「教えてもらうからわかることと、教えてもらわなくてもわかることがある」ということを、わたしたちは体験的に知っています。

日常の生活や体験、やさしい人や恐い人、面白い人や変わった人、いろんなタイプの人に出会うだけで、教えてもらわなくてもわかることは無限にあります。

大切なことは、わかり方はひとつではないということを忘れないこと。
そして、そのことは「知的障害」といわれる子どもにとっても同じだということを忘れないこと。

       ◇

精神医療の本にも同じようなことが書かれています。

「援助職に必要なのは偏った専門知識ではなく、自らの知識の限界を知ることである。」

「援助とは人を助ける仕事である。しかし、人を助けているうちに自分の至らなさ、傲慢さにきがついてゆくものである。

世の中にはここに悩まない医療者が大勢いるが、気がつかない人より、そこに悩む人の方がよほど上等である。

失敗もするだろう。
私の出会った摂食障害の人の多くは、失敗を非常に恐れていた。
病気から回復する過程でも失敗をしてはいけないと思い込んでいた。
しかし、病気にも仕事にも失敗はつきものである。
失敗してもよいのだ。
大切なのは失敗をしないことではなく、自らの失敗にいかに誠実に対応するかである。」 ※



そうだよな、とおもう。
まったく、そのとおりだよなとおもう。

そして、「自らの失敗にいかに誠実に対応するか」が、いかに難しいかをおもう。
失敗するのは簡単にできるのに。
何十年も失敗ばっかり繰り返してきて、
そのうえ最近は「自らの失敗にいかに誠実に対応するか」とおもいながら、
それさえも毎日のようにやりそこねている。

たぶん私たちは、子どものころから失敗を悪いことと教えられすぎたのだろう。
安心して失敗して、その失敗にみずから誠実に向き合う、
そんなことを教えられた覚えがない。

失敗しないで成功すること。
失敗しないで理解すること。
失敗しないでできること。
それが積極的能力を育てるということなら、

安心して失敗すること。
なんどでも失敗して、友だちの手をかりたり、知恵をかりる経験をすること。
いっぱい失敗しても、取り返しのつかないことはそう多くはないという安心感を手に入れること。
そうしてはじめて、自分の失敗・できない体験から、自分に向き合う姿勢をまなぶこともできるだろう。

それが、何になる?と言われれば、さて何になるのだろう。
点数にはならない。
いい成績にもならない。
何かができる、ようにもならないかもしれない。
でもテストをしたら0点なのは同じでも、
同じ0点でも0点の奥行や豊かさはぜんぜんちがう。

100点をとるのが、積極的能力をのばす教育なら、
0点の奥深さと豊かさと、0点の安心を教えるのは、消極的能力を育てる教育かな。



※「鶴見俊輔に学んだ精神医療」 大河原昌夫 日本評論社
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