≪HalとNaoちゃんの待ち時間≫(2)
Halはこの3年で何を手に入れたのだろうと、
ずっと考えてきました。
はじめに思ったのは、2年生で失くした「学校の自信」から、
自分であることの自信」「自分だけの自信」を取り戻したのだろう、
ということでした。
多分、小学校の始めの1年半で失くしたものの一つは、
「学校の自信」だったと思います。
1年生の子どもの目から見れば、
自分以外は、みんな友だちがいっぱいいて、
集団で仲良く遊んでいるように見えます。
自分以外のみんなは、当たり前のように
100点をとっているように見えます。
実際、1年生なら、ほとんどの子どもが
当たり前のように100点を取っているでしょう。
そうした中では、そうした状況にいる子どもの気持ちを
意識している先生がいなければ、
子ども一人で、自分の居場所を保ち続けるのは難しいことです。
それは、「100点が取れない」から、難しいのではありません。
数字の評価が、その人間の評価や、
この先の人生とは別物であるということが、
まだ分からない子どもたちを、数字で競わせ分ける教育が、
無神経すぎるのです。
そうした無神経な学校という圧力(脅迫)に奪われた
「学校の自信」から、
「自分であることの自信」「自分だけの自信」を
取り戻したのだと思います。
父ちゃん、母ちゃん、妹のおかげで、
ぼくは、何がどうあれ、ぼくなんだと。
そうして、ぼくはぼくのまま、みんなのなかで、
ぼくでいていいんだと、いうことを取り戻したのだと思います。
学校をずっと休んでも、変わらない家族、家、地域、
そして「3年」という子どもにとって果てしない年月が過ぎても、
学校も自分のクラスもそこにあることを、
Halは自分で「発見」したのでしょう。
そこに、「いるだけ」、
「あり続けるだけ」で、
分かることや見えてくるものがあります。
大人や先生が授業や教科書で教えてくれなくても、
余計なじゃまさえなければ、
子どもは、自分で自分を感じることができます。
信じて見守ってくれる人がいれば、
自分の中から、大切なことを思い出し、取り戻すことができます。
そうして、はじめて
子どもは自分の苦労と向き合う準備ができるのです。
自分の持ち合わせの苦労、
誰も助けてくれない自分の苦労と向き合いながら、
自分の人生を生きることができるのだと、
私は思います。
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