ワニなつノート

寄る辺なさをうめるもの (メモ1)

寄る辺なさをうめるもの (メモ1)


寂しさ(孤独)と悲しみと絶望と、自分への後悔とあきらめ。
そんなものだけに取り囲まれていたら、人は生きてはいけない。

たとえどんなに悲しくて絶望しかないと感じていても、その人の心を支える糸が一本でも残っていれば、その人をここへつなぎとめておくことができるだろうか。

支えるものは、何だろう。


寂しさ(孤独)と悲しみと絶望と、自分への後悔とあきらめ。
そうしたものを、一言で表わす言葉を、寄る辺なさという。

自分の大切な人を失い、一人ぼっちになってしまったときの寂しさと悲しみと孤独と。
寂しさと不安と自信のなさ、希望のなさにのみ込まれ、誰一人たよる人もなく、何一つすがる糸もない。
そのことを、一言で表わす言葉を、寄る辺なさという。

圧倒的な寄る辺なさを抱えている子どもがいる。
圧倒的な寄る辺なさを抱えているお年寄りがいる。
圧倒的な寄る辺なさを抱えている人がいる。

寄る辺がない、ということ。
この世に、寄る辺がないということ。
この世に、自分を必要とする縁も繋がりもないということ。

寄る辺なさ=(Helplessness)
Helpがないこと。希望がないこと。孤独であること。

そのことが生きる意欲を徐々に奪い、自分の自信と自分の人生と出会いのすべてをあきらめ、手放してしまうことにつながる。



寄る辺なさをうめるものは、なんだろう。
「寄る辺」なさ、というのであれば、
「寄る辺」がある、とはどういうことなんだろう。

Helplessness、というのであれば、
Helpとはなんだろう。

たった一人でも、その子のそばに誰かがいること。
まずは、ただ、そこに、一緒にいること。
何かをする前に、何か出来るかと考える前に、
まず「いること」がある。

寄る辺なさをうめることのできる、「いること」の意味を知らない人は、ときに「いるだけでいいのか?」と疑う。
疑うことが、寄る辺をまた一つ消す。
いること。
いるだけからはじまる、つながりを感じられる何かがある。

自分がここにいることを、何より大事に思ってくれる人の存在。
そのことが、「いる」ことを、生きることを支える。
「いるだけでいい」と信じてくれる人の寄る辺があって、はじめて、何かに「向かう」意欲がうまれ、自分の中にある希望を取り戻すことができる。

私にできること。
それもまた、いること(いるだけ)から始まる。
そこに、この子がいてくれる、そのことを何より大切に思うことから、自分に「できること」ことがはじまる。
「支える力」は、相手が私を受けとめてくれた地点からはじまる。
「助ける力」は、私の中に元々ある能力ではない。
この子がここにいて、わたしがここにいて、
お互いがお互いの寄る辺となるとき、
そのあいだに生まれる力が、「援助」とか「支援」といわれるものの中身だろう。

力のある側が、力のないものを「助ける」とか「支援する」ものと間違えていると、
相手の力は、なくなっていく。

あなたはあなたを支える力がある、
あなたは自分を助ける力がある、と、
ありのままを肯定できる力があって、はじめて、人と人との間にうまれる力がある。
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