ワニなつノート

「この子がここにいる」確かさ (その1)

「この子がここにいる」確かさ (その1)


「この子がここにいる」
そう、その確かさに比べたら、「わからない授業はかわいそう」も、「将来の幸せ」も、「自立」も、二の次になる。
だって、「本人にとって、本人の姿がかわいそうかどうか」、そんなこと、誰か他の人が分かることじゃない。

この子が毎日ここにいて、笑ってくれる。
この子がここにいる。
私はこの子を、かわいそうだとは思わない。
私がかわいそうだとは思わないこの子が、ここにいる。

この子はここにいて、毎日、笑ったり、泣いたり、怒ったり、楽しみながら生きている。
私は、この子の、笑顔も、泣き顔も、怒り顔も、困った顔も、悲しい顔も、全部好き。
寂しそうな顔をみると、胸が苦しいときもあるけど、この子がいろんな気持ちを持ちながら、生きている姿はやはりうれしい。


この子が幸せかどうか?
私とこの子が、ここで家族と一緒に、安心して、暮らしているのに、私が助けを求めているわけじゃないことを、どうして「助けて」あげようとするんだろう。

この子が、「助けて」といわないことを、親の私もわからない。でも、この子の「不幸」を、どうして、あなたがわかると言えるのか。説明できるものなら、そのことをまず説明してほしい。
それができないなら、私はあなたの言葉を聞くつもりはない。

専門家?
専門家のいうことなんて、この子がここにいる確かさに比べたら、なんの意味もない。

コメント一覧

ai
そのとおり。
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