ワニなつノート

自分へ。忘れないように。

自分へ。忘れないように。


いま、私に何ができるのか、何かしたいと思うとき、忘れてはいけないことを確かめておくために、18年前の奥尻からの報告を読み直しています。

※【北海道南西沖地震】
《1993年7月12日、北海道奥尻町北方沖の海底で発生した地震。マグニチュード7.8、火災や津波で大きな被害を出し、死者202名、行方不明者28名を出した。》

     □     □     □


『災害救援』野田正彰・岩波新書(1995)から。

《救援者役割と被災者役割》

…私は大地震と津波の夜から五日目に現地に入った。海に面した漁民たちの集落はミキサーにかけられたかのようにくだかれ、家々の破片が海草とからみあって浜辺に打ち上げられていた。特に青苗地区は、海沿いにあった300世帯の(青苗地区の半分)が家を失っている。

私は遺体安置所に座り、また、寺で行われた合同慰霊祭に出たのだが、青苗の人々が非常に静かに悲しみを受けとめているのに印象づけられた。津波からまだ五日しかたっていない。震度3から4の余震が、なおも続いている。災害での遺族は、遺族であるとともに被災者であり、生き残った者でもある。そのため、被災反応の精神状態にあり、茫然自失している。
それにしても、死別をじっと耐えている。この耐える力は、漁村の地域共同体からくるものであろう。事故死と違って、喪失の悲哀は個別化しきることなく、集落全体の悲哀となっている。

海から引き揚げられ、身元確認の終わった遺体を、家族は受け取っていく。棺に崩れ落ちてわっと泣き出す人はいない。ハンカチーフで顔をおさえながら、海の人は棺に寄り添って出ていった。

          ◇

…それでは、被災者たちが恐怖の体験を語りあい、自分たちで支えあって立ち直っていけるように、外部からの精神的な援助は行われていただろうか。

実際はそうではなかった。公務員たちや公共事業体の職員は救援者役割に専心していた。救援者は被災者に、今後どのような生活を送っていくのか、考える余裕を与えようとはしていない。救援者は、被災者が元の生活レベルに戻ることができれば、それでよいと信じている。再建のイメージに衝き動かされて混乱を処理していこうとする。

他方、被災者は先に述べてきたような精神状態にあり、救援者と決定的に違うのは、喪失したもの《家族や思い出の家》は二度と取り戻せない、と思っていることだ。

救援者が再建イメージを勝手にふくらませて、対象消失《愛着の対象であった人や観念あるいは理想を失うこと》の悲哀が切り捨てられていけば、被災者もやがてそれに巻き込まれて被災者役割にはまっていく。それと同時に、あとに深い無力感を残す。

          ◇

…救援の思想をどう変えていくべきか、具体的に考えてみよう。
被災者が一カ所に集められることはどこでも同じだが、奥尻の場合も被災者は丘の上の中学校体育館に集められ、そこで寝泊まりしていた。二、三泊で、帰る元の家があるならば、プライバシーのまったくない集団の避難もやむをえないだろう。

だが、奥尻のように家族の何人かを喪い、家財をすべてなくした場合、できるだけ家族でまとまり、話し合える条件を整える必要がある。使っていない教室を仕切り、家族の空間をつくることもできたはずだ。

被災者たちと一緒に体育館の床に泊まっていたとき、夜更けて、「津波の後、呻き声がきこえた」と話している人がいた。生き残った者のこのような無力感や罪責感は、十分に表出され、癒されなければならない。マイクで呼びかけられ、救援用の食料や毛布が配給される集団的処遇では、被災者は被災者らしくなることはあっても、心的外傷を自覚できない。

大災害の後、ほとんどの被災者は自己のよりどころを家族の結合に求めようとする。狭くとも家族でまとまる場を提供したうえで、一方では被災者が小グループで集まり、恐怖の体験を語り合う機会もつくらねばならない。

子どもたちは、大人や老人のように精神麻痺になることはないが、不安は強く、後に心身症(頭痛、腹痛など)になったり、引きこもり傾向や攻撃的な行動を示したりする。そのため、子どもたちで集まって、被災の体験を絵や作文にかき、それを話題に話し合ったりする精神療法が必要である。語られ共感されることのない苦悩の体験は、反復して個人を苦しめるからである。

奥尻の被災に関して、もうひとつ、家を失うことの意味を考察しておこう。
家は単なる物ではない。住むための建物ではない。家とそこに置かれた家財道具は、家族一人ひとりの自己確認の根拠になっている。物の配置のすべてが、その人との聖域としての世界を構成している。そのため、引っ越しの後に、うつ病になる主婦もいる。

          ◇

…まして津波のために一切の持ち物を失っている。人は災害によって三つのものを失う危険性がある。家と地域社会と家族である。…自然災害で家を失った人には、残された二つのよりどころをさしあたって強化してあげる必要がある。

そのためにどんな援助が考えられるだろうか。

例えば、家族のアルバムを再現する援助はどうだろうか。親族や友人が協力すれば、その家族の写っている写真はかなり集まるものだ。マスコミが呼びかけ、フィルム会社が協力して、親族の誰かが中心となり、その家族のアルバムを届ける。アルバムの再現過程に、かかわって人と被災者との心の交流がある。
そして、アルバムを受けとった被災者家族は、小さな過去の写真の何枚かを通して、家族のアイデンティティを守っていくだろう。

考えてみれば、言葉はフォーマルな家族の歴史を語るのに対し、アルバムの写真は家族の情緒的な歴史を表現するようだ。

結婚、誕生、七五三、入園式や入学式、卒業といった生活上の大きな出来事の写真だけでなく、家族の成長と成熟、そして老いを伝えるちょっとした写真に、人々は日ごろ忘れていた人生の軌跡を読み取る。

お友達が遊びに来た、愛犬の何何がいた、お母さんこんなに若かったの、若いときのお父さんに意外と似ているな、亡くなったおじいさんは散歩が好きだった……こんな回想は家族をひとつにする。
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