ワニなつノート

この子がさびしくないように (最初のメモ)

この子がさびしくないように (最初のメモ)


この子がさびしくないように。
わたしたち(両親)がいなくなっても、
この子が孤独になりませんように。
この子の人生が孤独ではありませんように。
子どもたちが誰も、孤独で、寂しいまま、
一人で死んでいくことがありませんように。


私が子どものころから探していた問いに、
ようやくたどり着きました。

手をかすように知恵をかすこと。
手をかりるように知恵をかりること。
そのことがかけがえようがなく大切だと思うのは、
そこに温もりが生まれるからでした。

この子がさびしくないように。
この子が孤独でないように。
この子の体からも心からも温もりがきえないように。

8歳のときに私が感じた恐怖は、孤独への恐怖でした。
今までは、「分けられる恐怖」という言葉で考えてきました。
毎日一緒に遊んできた近所の友だちと遊べなくなること。
クラスの友だちと分けられること。
大好きな女の子と、二度と会えない別の世界にいくこと。
父ちゃんや母ちゃん、妹と分けられること。
その「分けられる恐怖」とは、孤独への恐怖でした。
自分を助けてくれる人は、
この世に一人もいないという恐怖でした。

子どもの屈辱をわかってあげる感覚が足りないこと。
それは、私にとって、子どもの孤独を
わかってあげる感覚が足りないということでした。

何が子どもを孤独にするか、
その孤独がどれほど人の人生をさびしくさせるか。
「個別」で、能力を伸ばしてあげようという人には、
通じない世界の話しでした。

養護学校の義務化に疑問を感じ、金井康司のニュースに、
どうして学校くらい入れてあげないのかと不思議に思ったこと。
それは、どうして世の中の人たちがよってたかって、
1人の子どもを孤独にさせるのかということでした。

子どもが虐待されること、
子どもがたたかれることにこだわってきたのは、
子どもが孤独にならないように、ということでした。

水俣病や土呂久の公害のことを考え、死刑のことを考え、
災害救援のことを考え、私は自分の人生をかけて、
何を知りたかったのか、何を求めてきたのか、
世界がどうあってほしかったのか。
自分が望むことは何だったのか。

その「問い方」が、ようやくわかった気がします。

この子がさびしくないように。
わたしたち(両親)がいなくなっても、
この子が孤独になりませんように。
この子の人生が孤独ではありませんように。
子どもたちが誰も、孤独で、寂しいまま、
一人で死んでいくことがありませんように。


自分が8歳のときに願ったことは、そういうことでした。
自分に娘が生まれて願うことは、そのことでした。
学校で子どもたちのそばにいたとき、
児相やホームで子どもたちのそばにいたとき、
私が願っていたことは、ただそのことでした。

「さとう、おれもいい人になれるかな」
と言われた言葉が、ずっと心に残っているのは、
「おれも、孤独でない人になれるかな」
という言葉だったからだと、いま思います。

5年生の彼が、それまでどれほど孤独だったか。
たった5年生の子が、
「まだ、間に合うかな」と口にするほど、
「孤独」だった気持ちを、
私はあのころ、気づいてあげることができませんでした。

彼が言った「いい人になりたい」とは、
自分も誰かとつながりたい、人を信じてあげたい、
その自分の思いを信じてもらえる人になれるかな、
ということだったのだと思います。
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