ワニなつノート

物語としての自立生活ケア(10)


物語としての自立生活ケア(10)

高齢者のなかに、
介護ケアの専門家から「自分たちのつきあう範疇ではない」と
扱われてきた人たちがいます。

高齢者の介護の世界のなかに、介護・ケアの「対象」ではない、
と思われる「人間」がいるのです。

子どものなかにも、
保育・教育の専門家自身から「自分たちのつきあう範疇ではない」と
扱われてきた子どもがいます。

保育・教育の「対象」ではない、
と思われる「子ども」が今もいるのです。


生まれてすぐの小さな人たちか、
人生の終りに近づいている人たちかの違いはあっても、
ごくふつうの敬意を払わなくていいと扱われる人間が
そこにいるのは同じです。

ある条件の人間を排除することを、その業種の人たちが
ほとんど疑問に思わないできた「福祉」とか
「教育」そのものが、どこかおかしいのだと、
私は感じてきました。


『私たち遅れているの?』という本に
次のように書かれています。

「障害の種類や程度を含むすべての条件が同じだとすれば、
もっとも普通に近い生活を送れるのは、従来の福祉制度の
枠外からの援助を受けている人だということは明らかです。」

「遅れを招く環境は、州立病院にも、養護学校にも、
普通校の養護学級にもあります。

実に悲劇的なことには、
ほとんどすべてのサービスが遅れを招くようなものになっており、
さらに悲劇的なことには、
「お世話をする人」の態度の中にもそれが見出されます。

調査チームは、何度も何度も、
いかに親が自らの子の成長を阻んだかを聞かされました。」


高齢者の介護・ケアの業種のなかで、「分けられた人」たちを、
分けないで当たり前にケアしようと、取り組んでいる人たちの思いと、
障害児・者の介助・ケアに関わる人たちの中で、
「自立生活など無理」だと言われてきた人たちの支援・ケアを
しようとする人たちの思いは、
もっとも近いところにあるはずだと思うのです。

でも、前回紹介した本の著者は、
いわゆる統合教育には賛成ではないようです。
私は20年前に初めて『生活リハビリとはなにか』
という本を読んで以来、老人について書かれたことを、
障害のあるふつうの子どもに置き換えながら考えてきました。

だから、この人が「障害児教育」について
どう考えているのか気になっていました。

私にとっては、どんな教育の本よりも、
障害のあるふつうの子が普通学級で生活することのヒントとして
教えられることが多かったのです。

いま、ざっと家にある本を数えたら40冊以上ありました。
で、そのなかのどこかに一か所だけそういう表現がありました。

老人にとっては『リハビリテーションという幻想』
であることも、障害児にとっては「幻想」ではないと
考えているのでしょうか。

老人のケアのことと、
障害児が地域の普通学級に当たり前に通うことが、
まっすぐにつながっていることを書いているのは、
小澤勲さんです。

だから、小澤さんの言葉は、自閉症の子どもの学校の話も、
認知症の人の話も、安心して心地よく読めるのです。

子どもの話も、お年寄りの話も、何の違和感なく、
すぐ隣の話として伝わってくるのです。

考えてみれば、生活の中では、
本当にすぐ隣で生活しているのですから、
あまりに当たり前のことなのですが。

(つづく)
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