ワニなつノート

嫌われる子どもの研究(その3)

嫌われる子どもの研究(その3)

(または、「自分を恥ずかしいと感じている子ども」の研究)



この「タイトル」に、
違和感を感じている人がいると思います。

「嫌われる子ども」というのは、
ある意味「障害児」よりも差別的な言葉かもしれません。

でも、学生の時から数えれば30年以上、
障害のある子どものそばで目にし、耳にしてきたことは、
子どもの「障害」とは、ほとんどなんの関係も
なかったような気がしているのです。

私の出会った子どもにとって、
その障害が、苦しみの原因ではなかったと思うのです。

では、子どもたちが苦しんできたのは何か?
差別されることです。
嫌われることです。
嫌がられることです。
関わりたくない、迷惑だ、
あっちへいけという態度であり、言葉であり、制度でした。

それは、「障害」の種類や、特性、発達、
どのような配慮が必要かといった話とは
まったく次元の違う話でした。

30年前に読んだ本のタイトルが、
ずっとどこかに引っかかっていました。
福井達雨さんの『嫌われ、恐がられ、いやがられて』です。

初めて目にした時、
なんか身も蓋もないタイトルだなーと思いました。
今回の記事を書きはじめて、何十年ぶりかで読み返してみました。

そういえば、学生のころ、付き合っていた彼女に誘われて、
何度か講演会に出かけたことがあります。
何かの宿泊研修のとき、福井先生の講義が終わり、
夕食を食べている時に、声をかけられたことがあります。
「君たちはつきあっているのか?」
「…はい」

まだ二人とも19歳でしたが、
「君たちは結婚するのか?」とも聞かれました。
なんて答えたのか忘れましたが、
「うん、君たちは結婚するな。そんな気がする。
私の予言は当たるんだ」と言われたのを覚えています。

残念ながら、福井先生の予言はあたりませんでした(>_<)
でも、私がいま考えていることは、
あのころいつも彼女と話していたことの「続き」で、
彼女がいなければ今の私は「ここ」にいませんでした。
その意味では、予言は半分は当たりだったのかなと思います。


    □    □    □

《…保育園に入ると、私の家に、
義人の友だちが遊びにくるようになりました。

私の家は、重い知恵遅れの子どもの施設・
止揚学園の中にあります。
私の家に遊びに来た子どもは、
止揚学園のグランドの遊具を使って遊びました。

初めの間、保育園の子どもの中に、
止揚学園の重い知恵遅れの子どもが近づきますと、
保育園の子どもたちは、
「アア、コワイ」「アア、キタナイ」と言って逃げました。

その逃げる子どもに、義人や生が、
「○○ちゃん、帰っておいでえなあ、
止揚学園の子どもは、ちょっとも恐いことあらへんで
汚いことあらへんで」と叫びますが、
皆は、「コワイ、コワイ、キタナイ、キタナイ」
と言って逃げます。


ある日、義人が目にいっぱい涙をためて、
「お父ちゃん、止揚学園の子は恐いんか、汚いんか」
と聞きにきました。
「そんなもん、恐いことあらへんがなあ、
汚いことあらへんがなあ」と私が言うと、
「そうやなあ、お父ちゃん。止揚学園の子どもはやさしいなあ、
きれいな服きてるなあ。そやのに、どうしてお友だちは、
恐い、汚いと言わはるんや」と聞きました。

義人の涙は、おそらく止揚学園の子どもたちが
差別されたその怒りが、幼いながら涙にあふれたのだと思います。
私はその義人の涙に答えてやることができませんでした。


その頃、よくこんなことが起きました。
町の子が、私に、
「おっちゃん、義人ちゃんや生ちゃんと一緒に遊んでやらんで」
「どうしてや」
「あのなあ、お父ちゃんやお母ちゃんが、
『止揚学園へ行ったらあかん。
あそこは、アホな子どもがいよるから恐いし、
汚いから気いつけや。あそこに行ったらアホがうつる』
と言わはったんや。
おっちゃん、義人ちゃんは止揚学園の子どもやろ。
汚いし、恐いし、一緒に遊んだらへんねん」というのです。


義人が1年生になりました。
…この小学校は、朝、集団登校なので、
止揚学園の子どもと義人は、手をつないで通学します。

学校に行くと、
「義人、汚いな。あんな子どもと手をつないで。
遊んでやらんぞ」
「オイ、お前ところのお父さん、アホと違うか。
嬉しそうにアホな子どもと手をつないで歩いてはったで」
「お前、こんな所で勉強せんと、止揚学園で勉強せ」と、
町の子どもが言います。

「勉強しなかったら、特殊学級に入れるぞ」
と先生が言います。

「悪いことしたら、止揚学園に入れるぞ」
と両親や大人が言います。

…義人は、だんだん学校へ行くのがいやになってきました。
3学期になると…、どうしても学校に行かなくなりました。


私は、この切り離された社会の中における切り離し教育こそ、
明らかに差別の教育だと思えてならないのです。
養護学校に切り離してしまいます。
施設に切り離してしまいます。
確かに養護学校ができれば、教育権は保障されるかもしれません。
しかし、障害を持たない子どもたちの心を、
差別をなくす心を、どこからもどうすることもできません。

障害児差別の問題は、障害児側の問題ではなくて、
差別をしている私たち側の問題なのです。

私たちがいかに変わるかということが大切な問題なのですが、
養護学校や施設に子どもが切り離されてしまうと、
私たちは障害児と接せず、「見ず」「知らず」で、
なんら変わる方向がないわけです。
「見ず」「知らず」こそ差別であり、罪なんです。

教育権という現象面的なものが守られても
養護学校や施設ができればできるほど、
本質的差別は、どんどん強くなっていくのです。



『嫌われ、恐がられ、いやがられて』 明治図書

     □    □    □


この本が書かれたのは、1976年です。
いまから34年前です。

比較する数字が思いつきませんが、
手元に最近の神奈川県の数字があります。


【特別支援学校の数】
1999年度《4615校》
2008年度《6700校》

【特別支援学級の数】+【通級指導教室】
1999年度《4289》+《1892》=《6181》
2008年度《8958》+《3692》=《12650》

養護学校も特殊学級も、急激に増える一方です。
特別な学級は、この10年でさえ、倍以上増えているのです。

子どもの数は、減り続けているのに、
「分けられる子どもの数」だけが、
増え続けていくのです。

何のために、こんなにも
金と労力を使い、子どもを分けるのか。

「お金がないから介助員はつけられない、
普通学級に入りたければ、親がつきそえ」
という一方で、
莫大な学校建設の費用を使い、
莫大な特別支援教育にかかる人件費を使いながら、
子どもを分けて、何をしようとしているのだろう。
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