ワニなつノート

感情について (メモ00-01)


子どもの感情を豊かに育てるために、いちばん必要なこと。
それは、子どもに感情を表現してもらうこと。
気兼ねなく、のびのびと表現してもらうこと。

思いきり笑ってくれること
気兼ねなく泣いてくれること
全身で怒ってくれること

感情は、ひとにむかって表現される。
はじめは感情も、表現も、子どもの手持ちは少ない。
いつもそばにいる親の反応もまた、手持ちは少ない。

でも、幼稚園や学校には、いろんな子どもがいる。
ある感情の表現に対する反応や受けとめられ方も、
子どもの数だけちがう。

もちろん、さいしょはお互いに、きづかない。
自分のことでせいいっぱい。
自分の表現で、せいいっぱい。
自分の守りで、せいいっぱい。

でも、だんだんときづく。
あれっと、感じる自分の気持ちにきづく。

自分の感情の表現を、自分の感情にそってうけとめる反応と、
自分の感情をはねかえす対応があり、
それにきづいてしまうとき、
すでに自分の気持ちがちょっとちがうことに気がついていく。

あれっ?
いつもと、なんかちがう…

あれっ?
この人は、なんかちがう…

表現しながら、とまどいながら、
ゆびのすきまから、ちょっと気持ちがのぞいてみたくなる


感情を表現し、
気持ちを表現し、
ほかの子どもと表現を見せ合い、
(感情をぶつけあい)
交流することで、
感情も、気持ちも、表現も、よろこびも豊かになる。


ひとりで持ってるだけじゃ、感情は豊かにならない。
自由に表現し、自由に受けとめてくれる仲間と交流しない限り、
感情は豊かにはならない。


個別で感情表現を訓練しても、感情は豊かにはならない。
なぜなら、どんなにがんばっても、
おとなに子どもの代わりはできないから。

一人の大人は、一人の子どもにもかなわないのだから、
まして十人、二十人の子どものいきかう宇宙にかなうはずがない。

子どもが表現してくれればくれるほど、
受けとめる私たちの共感もまた豊かになっていく。

普通学級で「困る」と考えられている行動のほとんどは、
子どもの表現だ。
泣いたり、怒ったり、パニックと言われる場面もあるだろう。
落ち着かなかったり、学校中を探検したりもするだろう。

それは、困った行動だろうか?
それは、問題行動だろうか?

困っているのは誰か?
問題にしているのは誰か?

子どもの感情表現を、自由にはさせない、
と決めている人が困るのだろう。
一年生は泣かない、怒らない、先生に従うべき、
と決めている人が問題にするんだろう。

でも、子どもが表現してくれなければ、
私たちは、子どもが何を恐れているのかが分からない。

子どもが何にとまどい、何に困っていて、
何に興味があり、いまは何が落ち着かないのかが、
分からない。


だから、私たちは子どもの表現から学ぶことから始める。

子どもの行動やことばや表現から学ぶには、共感が必要であり、
学べば学ぶほど、わたしたちが共感を豊かにすることができる。


そこでは、わたしが子どものときに忘れてきたものに出会う。

分けられた子どものときに、
出会い損ねた子どもたちとの豊かな共感の世界に、
もう一度出会うことができる。





(そもそも「情緒障害」という障害名で子どもを呼ぶことに違和感を持たない専門家の感情は、豊かとはいえない。

一方的に「情緒障害」と名付けられた「子ども」たちの、
「はじめは未熟にみえる表現」のうちにある、
豊かな感情世界に、出会ったことがないのかな。)
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