電車の中で何を読もうかしらと書庫から引っ張り出してきたのが、森本哲郎著の「この言葉」
生き方を考える50の話が記載されているこの本は、購入してから何度も読んだはずなのに、
今この瞬間の自分の感性で読んでおりますので、捉え方が微妙に変わっているのが面白く、
知りたいように知り、聞きたいように聞き、見たいように見て、
分かりたいように分かろうとしているのだと、あらためてそんなことを思いました。
正岡子規の「この言葉」では、重度の脊髄カリエスを患いあまりの苦しさに耐えかねて、
何度も自殺を考えるも身動きできぬ身でただ悶絶するしかなく、そんな中で彼は
「 悟りといふ事は如何なる場合も平気で死ねる事かと思って居たのは間違ひで、
悟りといふ事は如何なる場合も平気で生きて居る事であった 」と。
森本哲郎著 「 この言葉 」 PHP新書
脊髄カリエスがどれほどの痛みや苦しみが襲ってくるものなのか、
自分の過去の苦痛と比較する程度の乏しい想像力しかありませんが・・・
悶絶するほどの苦痛と向き合いながら、全てを我が身の試練と受けとめ平気で生きて行く。
これから先いろいろな試練が待ち受けていると思いますが、
そんな時こういう「 この言葉 」 が脳裏に蘇ってきたら勇気づけられるような気がします。
言葉の出会いは大きいと思うのです。