運動会のダンス「ハイパー忍者」を検索してみたら
動画サイトにヒット。
それをみて、がぜんはりきるミニです。
パソコンの画面を見ながら何度も繰り返し練習。
「やー!」と掛け声も勇ましく。
去年のダンスは一年生らしい可愛いふりつけだったけど
今年のように「忍者」と見立てるイメージがはっきりしてる方が
ミニにとってもわかりやすいようです。
なるほど~~。
やってみてわかることって、結構多いな。
ミニの動きが早くて携帯カメラがついていけてない
動画サイトにヒット。
それをみて、がぜんはりきるミニです。
パソコンの画面を見ながら何度も繰り返し練習。
「やー!」と掛け声も勇ましく。
去年のダンスは一年生らしい可愛いふりつけだったけど
今年のように「忍者」と見立てるイメージがはっきりしてる方が
ミニにとってもわかりやすいようです。
なるほど~~。
やってみてわかることって、結構多いな。
ミニの動きが早くて携帯カメラがついていけてない
先週の金曜日、今年度初めての個人面談がありました。
実は同じ日にサポートブックのワークショップがあり
そちらにかかりきりで、すべりこみで臨んだ面談。
当然準備もぎりぎりで
何とか家庭での支援計画のみ持参しました
ので、最近の学校での様子を聞くのが中心に。
思ったよりは落ち着いて過ごしているようで良かった。
去年の教訓として、家では予定表を作っているけど(1日ずつカットしていって現在は写真のように)
学校では練習の予定表をつくり、終わったらがんばりシールを貼る、という形で
ミニをサポートしてくれていることを知りました。
なるほど~そっちか~~、と感心、感謝するとともに
今はお互い自発的にやってるわけだけど、打ち合わせて協働できたらもっといいのかな、って気もしました。
なんかお互い遠慮があるっていうか、あと一歩踏み込めてないような。
うーん
私が一歩踏み出すべきなんだろうなぁ、と思いつつ
楽しくお話して帰ってきてしまった。
先生からはこの一年でのミニの成長を話していただいて
喜びを共有することができたんだけど
私の方からもそういった情報を発信できたら良かったなぁ。ちょっと反省。
まぁ、ともかくは目の前の運動会です
実は同じ日にサポートブックのワークショップがあり
そちらにかかりきりで、すべりこみで臨んだ面談。
当然準備もぎりぎりで
何とか家庭での支援計画のみ持参しました
ので、最近の学校での様子を聞くのが中心に。
思ったよりは落ち着いて過ごしているようで良かった。
去年の教訓として、家では予定表を作っているけど(1日ずつカットしていって現在は写真のように)
学校では練習の予定表をつくり、終わったらがんばりシールを貼る、という形で
ミニをサポートしてくれていることを知りました。
なるほど~そっちか~~、と感心、感謝するとともに
今はお互い自発的にやってるわけだけど、打ち合わせて協働できたらもっといいのかな、って気もしました。
なんかお互い遠慮があるっていうか、あと一歩踏み込めてないような。
うーん
私が一歩踏み出すべきなんだろうなぁ、と思いつつ
楽しくお話して帰ってきてしまった。
先生からはこの一年でのミニの成長を話していただいて
喜びを共有することができたんだけど
私の方からもそういった情報を発信できたら良かったなぁ。ちょっと反省。
まぁ、ともかくは目の前の運動会です
日曜日、「かみをください」と要求し
自分の部屋で何かごそごそやってるミニ。
しばらくして「はい、えほんです」と持ってきた。
タイトルは「けーきのつくりかた」
「1.いちごとろうそくとなまくりいむいれます」
「2.おーぶんで1ぷんやく」
「3.できあがり」
たった3ページで終わる絵本だけど
ミニなりにストーリーをつくったり
色を使って絵を描いたりしているのに感動してベタぼめ(親ばかですもの)
気をよくしたミニは続けて3冊つくってくれました
三面鏡みたいなたたみ方をして、折り返しのページに
「おしまい」って書いてあるのもいいね
「このほんはとしょかんにありますので、かりてみてください」と
読み聞かせサークルのお母さんの真似をしてみたりして
いろんなところから影響を受けますね~
自分の部屋で何かごそごそやってるミニ。
しばらくして「はい、えほんです」と持ってきた。
タイトルは「けーきのつくりかた」
「1.いちごとろうそくとなまくりいむいれます」
「2.おーぶんで1ぷんやく」
「3.できあがり」
たった3ページで終わる絵本だけど
ミニなりにストーリーをつくったり
色を使って絵を描いたりしているのに感動してベタぼめ(親ばかですもの)
気をよくしたミニは続けて3冊つくってくれました
三面鏡みたいなたたみ方をして、折り返しのページに
「おしまい」って書いてあるのもいいね
「このほんはとしょかんにありますので、かりてみてください」と
読み聞かせサークルのお母さんの真似をしてみたりして
いろんなところから影響を受けますね~
昨日、ミニと図書館に行ったついでに
併設されているカフェ(福祉作業所)でお茶しました。
メニューを見てホットケーキを頼んだミニ。
セットのドリンクのストローをじっと見て
「どうやってするの?」
曲がらないストローは初めてじゃないけど
曲がらないのが不思議、って顔。
「こうやって」と見せると、ちょっと不安そうな様子で飲んでいました。
困った時、わからないことがある時、ヘルプを求める。
これも彼らにとって大切なスキルなんだろうな~。
課題をする時もヘルプカード使ってみようかな。
通園時代はちゃんと設定してもらってたのに、今更ですが。
卒園してから、当時のサポートの意味がしみじみわかることが
結構ままあります。
併設されているカフェ(福祉作業所)でお茶しました。
メニューを見てホットケーキを頼んだミニ。
セットのドリンクのストローをじっと見て
「どうやってするの?」
曲がらないストローは初めてじゃないけど
曲がらないのが不思議、って顔。
「こうやって」と見せると、ちょっと不安そうな様子で飲んでいました。
困った時、わからないことがある時、ヘルプを求める。
これも彼らにとって大切なスキルなんだろうな~。
課題をする時もヘルプカード使ってみようかな。
通園時代はちゃんと設定してもらってたのに、今更ですが。
卒園してから、当時のサポートの意味がしみじみわかることが
結構ままあります。
講演会の記事、続きで~す。
最近、国立特別支援教育研究所の出版物を読んでいて
「教育環境整備は、自閉症へのエチケットといわれるまで一般的になりつつある。その代表的手法が構造化である」という一節に出会い、
いやいやいや、現場と中央はまだまだ乖離があるよ~~?と苦笑&ため息。
保護者サイドだって、構造化への誤解や偏見はありますし。
知的障害を対象とした従来の手法で押し切ろうとする先生がたも存在してます。
佐々木先生は、構造化は全ての障害に必要とおっしゃる。
ご自身を例にあげ、「老い」という障害によって
浴室に「手すり」という構造化が必要になったこと、
「手すり」があることで自分たちがどれだけ安心感を得ているか、を話されました。
そうなんだよね~~。
車椅子の人に「車椅子に頼らず、自分の足で走れ」って言うひとはいない。
耳の聞こえない人に「補聴器なんか使わず、努力して耳をすませ」って言うひとはいない。
自閉っ子にとっての視覚支援は「車椅子」や「補聴器」と同じ役割なんだよ、ってなかなか気づいてもらえない。
気づいたひとが地道に伝えていくほかないんでしょうね、きっと。
「絵カードがないとできないようになっちゃうんじゃない?」みたいなことを言われた時、とっさに「車椅子や補聴器とおんなじだよ」って返せない自分はまだまだだと思う。とほほ。
さて、今回もありました、二次的な情緒障害のお話。
何だか、杉山登志郎先生のお話とダブって聞こえる部分がすごく多かった。
おそらく、お二人とも「二次障害は本来はなかった障害=今後の努力次第で発生を十分に防げる」という思いが強いのだと思う。
たとえば、佐々木先生は「一人の子どもに対して担当する先生が六年くらいは同じというシステムを作ったらいい」とおっしゃる。
自分の教育した子どもが成長し、どういう状態になるか、検証するためのシステム。
自分の教育の方法が正しかったかどうかは、それを通してわかる、という。
杉山先生の著書「発達障害の子どもたち」では、小児科医が成人期までのフォローアップもせずに通常学級をすすめることに警鐘を鳴らしておられます。
検証という科学者ゆえの見地、かつ子どもに寄り添った形での姿勢。
臨床の現場にいる方ならではの真摯な使命感、が伝わってくる。
(ちなみにこのお二人、子ども虐待のケアに関してチームを組まれた経験もあるそう)
ひきかえ、親である自分はどこまで誠実な姿勢でいられるかしら、と冷や汗。
お二人の発言を見聞きしてるとわかります。
二次障害ははっきりと原因がわかっていて、防ぎようがある。
周囲の理解さえあれば起こらないはずの障害。
だからこそ先生方はここを強くおっしゃる。
不幸な事態に陥る子どもを一人でも少なくしたい、救いたい、という願いで。
今の時点でできることを為そうという姿勢は、本当に科学者そのもので感銘を受けます。
佐々木先生は、自閉症児の特性を理解せず、かつ情熱を持って指導にあたっている先生(あるいは保護者、その他の支援者)というのが厄介だと断言されていました。
善意でやっているのだから、なかなか行動が改まらない。
なんてマイナススパイラル。
本当はそういう先生方にぜひ聞いてほしいんだけど
いかんせん、該当する先生はなかなかこういう場には来てくれないんですよね。
そういうの、どうすればいいのかな、ってよく思います。
近年犯罪と発達障害の関係がとりあげられるけれど、
障害と犯罪に関連性があるのではなく、
周囲の無理解さと犯罪に関連性がある、
という言葉が、すごく重かったです。
講演で先生が出された結論は
「自己肯定感情、自尊心が育つように支援する。それが養育、教育、支援のすべてである」
でした。
自閉症の療育としてはよく言われることです。
でも、その重要性は本当に身にしみるお話でした。
これから来る思春期、青年期に怒りうる問題を今から憂えるのではなく
今、できることをして、それを積み重ねていくのが大事。
自然にそんなふうに思える講演会でした。
講演会の数日後、ある現場の先生とお話した時
構造化や視覚支援がなかなか進まない現状を嘆いて
「先生方にも、このやり方でずっとやってきたっていうプライドがあるから、難しいですよね」と言ったら
「でも、教育者の本当のプライドってそうじゃないよね。どこまで子どもに寄り添えるか、でしょう」
と言われて、ちょっと感動しました。
子どもの気持ちや困り感に寄り添っていけば、どういった支援が必要かおのずと見えてくる。
良い支援者は良い観察者でもあるのだなぁ。
いちいち自分の身に置き換えて、ひやっとしますけど
長文&まとまりがない記事ですみません。
ぜひ佐々木先生のお話を一度聞かれることを、お奨めします。
最近、国立特別支援教育研究所の出版物を読んでいて
「教育環境整備は、自閉症へのエチケットといわれるまで一般的になりつつある。その代表的手法が構造化である」という一節に出会い、
いやいやいや、現場と中央はまだまだ乖離があるよ~~?と苦笑&ため息。
保護者サイドだって、構造化への誤解や偏見はありますし。
知的障害を対象とした従来の手法で押し切ろうとする先生がたも存在してます。
佐々木先生は、構造化は全ての障害に必要とおっしゃる。
ご自身を例にあげ、「老い」という障害によって
浴室に「手すり」という構造化が必要になったこと、
「手すり」があることで自分たちがどれだけ安心感を得ているか、を話されました。
そうなんだよね~~。
車椅子の人に「車椅子に頼らず、自分の足で走れ」って言うひとはいない。
耳の聞こえない人に「補聴器なんか使わず、努力して耳をすませ」って言うひとはいない。
自閉っ子にとっての視覚支援は「車椅子」や「補聴器」と同じ役割なんだよ、ってなかなか気づいてもらえない。
気づいたひとが地道に伝えていくほかないんでしょうね、きっと。
「絵カードがないとできないようになっちゃうんじゃない?」みたいなことを言われた時、とっさに「車椅子や補聴器とおんなじだよ」って返せない自分はまだまだだと思う。とほほ。
さて、今回もありました、二次的な情緒障害のお話。
何だか、杉山登志郎先生のお話とダブって聞こえる部分がすごく多かった。
おそらく、お二人とも「二次障害は本来はなかった障害=今後の努力次第で発生を十分に防げる」という思いが強いのだと思う。
たとえば、佐々木先生は「一人の子どもに対して担当する先生が六年くらいは同じというシステムを作ったらいい」とおっしゃる。
自分の教育した子どもが成長し、どういう状態になるか、検証するためのシステム。
自分の教育の方法が正しかったかどうかは、それを通してわかる、という。
杉山先生の著書「発達障害の子どもたち」では、小児科医が成人期までのフォローアップもせずに通常学級をすすめることに警鐘を鳴らしておられます。
検証という科学者ゆえの見地、かつ子どもに寄り添った形での姿勢。
臨床の現場にいる方ならではの真摯な使命感、が伝わってくる。
(ちなみにこのお二人、子ども虐待のケアに関してチームを組まれた経験もあるそう)
ひきかえ、親である自分はどこまで誠実な姿勢でいられるかしら、と冷や汗。
お二人の発言を見聞きしてるとわかります。
二次障害ははっきりと原因がわかっていて、防ぎようがある。
周囲の理解さえあれば起こらないはずの障害。
だからこそ先生方はここを強くおっしゃる。
不幸な事態に陥る子どもを一人でも少なくしたい、救いたい、という願いで。
今の時点でできることを為そうという姿勢は、本当に科学者そのもので感銘を受けます。
佐々木先生は、自閉症児の特性を理解せず、かつ情熱を持って指導にあたっている先生(あるいは保護者、その他の支援者)というのが厄介だと断言されていました。
善意でやっているのだから、なかなか行動が改まらない。
なんてマイナススパイラル。
本当はそういう先生方にぜひ聞いてほしいんだけど
いかんせん、該当する先生はなかなかこういう場には来てくれないんですよね。
そういうの、どうすればいいのかな、ってよく思います。
近年犯罪と発達障害の関係がとりあげられるけれど、
障害と犯罪に関連性があるのではなく、
周囲の無理解さと犯罪に関連性がある、
という言葉が、すごく重かったです。
講演で先生が出された結論は
「自己肯定感情、自尊心が育つように支援する。それが養育、教育、支援のすべてである」
でした。
自閉症の療育としてはよく言われることです。
でも、その重要性は本当に身にしみるお話でした。
これから来る思春期、青年期に怒りうる問題を今から憂えるのではなく
今、できることをして、それを積み重ねていくのが大事。
自然にそんなふうに思える講演会でした。
講演会の数日後、ある現場の先生とお話した時
構造化や視覚支援がなかなか進まない現状を嘆いて
「先生方にも、このやり方でずっとやってきたっていうプライドがあるから、難しいですよね」と言ったら
「でも、教育者の本当のプライドってそうじゃないよね。どこまで子どもに寄り添えるか、でしょう」
と言われて、ちょっと感動しました。
子どもの気持ちや困り感に寄り添っていけば、どういった支援が必要かおのずと見えてくる。
良い支援者は良い観察者でもあるのだなぁ。
いちいち自分の身に置き換えて、ひやっとしますけど
長文&まとまりがない記事ですみません。
ぜひ佐々木先生のお話を一度聞かれることを、お奨めします。
今日、NHKの福祉ネットワークでシンガソングライターうすいまさとさんが
紹介されるそうです。
発達障害のお子さんのパパでもあるうすいさんの歌う『脳の歌』
とても興味があります。どんな歌なんだろ~~。
今晩20時からです。
興味のある方はぜひご覧下さい。
紹介されるそうです。
発達障害のお子さんのパパでもあるうすいさんの歌う『脳の歌』
とても興味があります。どんな歌なんだろ~~。
今晩20時からです。
興味のある方はぜひご覧下さい。
先週の土曜日、佐々木正美先生の講演会に参加してきました。
去年はパパが出張で涙を飲んだ経験のある私。
今年もばっちり休日出勤日とブッキングでしたが
二年連続であきらめるのは悔しすぎる!
ということで、ミニはレスパイトへお願いし、意気揚々と行ってきました。
良かった。
本当に、良いお話でした。
佐々木先生のご本やぶどうの木さんでのコラムを読んで
知識としてはわかっているつもりの「自閉症児の困り感」
でも実感として寄り添えていない自分に気づかされます。
予期せぬことが起きた時、どんなに本人が疲れるのか。
決め事(常同行動)をしている時は、楽しいわけではなく、むしろそうせずにはいられないほどの不安にかられていること。
治そうとするのではなく、持ち味が発揮できるようサポートすべき。
いちいち身につまされます。
でも、先生のお話を聞いていると
日常生活で子どもと関わる際「困っていること」の解決への道が
頭の中でさーっと開けていく。
「最近、ミニっておしゃべりが止められないかんじだよね~、困ったな~」で完結していた思考が
「喋った言葉は消えてしまうから、不安で喋り続けるのかもしれない。だったら、紙に書いて固定してしまえば、目で確かめられて安心するのかな?」と発展していく。
なるほど、日ごろの私の思考は振り返りが甘いのか、と腑に落ちたり。
実際の高機能の当事者の方の事例をいくつも説明され、
自閉症児(者)の困り感が、本当にひしひしと身にしみました。
「紙に書いた情報が彼らにとって、どんなに大切なのか」という事例が
個人的にとってもずしんと響いた。
ミニの障害特性がそうだから。
でも、ミニは会話である程度意思の疎通がはかれるので
ついついそちらへ流れがちの私。
自分が楽な方へ行っちゃってるよね。
紙に書くのなんて、そんな大変なことじゃない。
お金も手間もかからないし、簡単なことじゃん。
すっごく、反省しました。
朝、目が覚めると、まず指先で宙に文字を書くミニ。
何やってんのかな~、と眺めていたけど
本人なりに、安心を得るためにやってるんだよね。
ミニにとって、「書いた文字」(視覚情報)は本当に大事。
ミニは、そういう子なんだ。
忘れることがたやすい「定型脳」の私が、この日の気持ちを忘れない為には
どうしたらいいんだろう。
そんなことを考えました。
何だか長くなってしまいそうなので、分けますね。
去年はパパが出張で涙を飲んだ経験のある私。
今年もばっちり休日出勤日とブッキングでしたが
二年連続であきらめるのは悔しすぎる!
ということで、ミニはレスパイトへお願いし、意気揚々と行ってきました。
良かった。
本当に、良いお話でした。
佐々木先生のご本やぶどうの木さんでのコラムを読んで
知識としてはわかっているつもりの「自閉症児の困り感」
でも実感として寄り添えていない自分に気づかされます。
予期せぬことが起きた時、どんなに本人が疲れるのか。
決め事(常同行動)をしている時は、楽しいわけではなく、むしろそうせずにはいられないほどの不安にかられていること。
治そうとするのではなく、持ち味が発揮できるようサポートすべき。
いちいち身につまされます。
でも、先生のお話を聞いていると
日常生活で子どもと関わる際「困っていること」の解決への道が
頭の中でさーっと開けていく。
「最近、ミニっておしゃべりが止められないかんじだよね~、困ったな~」で完結していた思考が
「喋った言葉は消えてしまうから、不安で喋り続けるのかもしれない。だったら、紙に書いて固定してしまえば、目で確かめられて安心するのかな?」と発展していく。
なるほど、日ごろの私の思考は振り返りが甘いのか、と腑に落ちたり。
実際の高機能の当事者の方の事例をいくつも説明され、
自閉症児(者)の困り感が、本当にひしひしと身にしみました。
「紙に書いた情報が彼らにとって、どんなに大切なのか」という事例が
個人的にとってもずしんと響いた。
ミニの障害特性がそうだから。
でも、ミニは会話である程度意思の疎通がはかれるので
ついついそちらへ流れがちの私。
自分が楽な方へ行っちゃってるよね。
紙に書くのなんて、そんな大変なことじゃない。
お金も手間もかからないし、簡単なことじゃん。
すっごく、反省しました。
朝、目が覚めると、まず指先で宙に文字を書くミニ。
何やってんのかな~、と眺めていたけど
本人なりに、安心を得るためにやってるんだよね。
ミニにとって、「書いた文字」(視覚情報)は本当に大事。
ミニは、そういう子なんだ。
忘れることがたやすい「定型脳」の私が、この日の気持ちを忘れない為には
どうしたらいいんだろう。
そんなことを考えました。
何だか長くなってしまいそうなので、分けますね。
金曜日はデイサービス利用だったミニ。
恒例の母の日プレゼントを持ってくるんだろうなぁ、と待ち構えていた私。
ドアをあけた途端
「どうぞ!」とミニが差し出したのは荷物のぎっしり入った手提げバッグ。
後ろでデイのスタッフさん爆笑。
どうやらドアをあける前にプレゼント渡す算段をしていたのに
本番でミニが間違ったよう。
本人はわりと淡々とプレゼントを渡してくれました。
「わぁ、嬉しい」と言うと
「ママ、いつもありがとう」だって。
今年は手作りの花と花瓶でした。
カードのイラストぬりえ、上手に塗れたね。
どうもありがとう。
恒例の母の日プレゼントを持ってくるんだろうなぁ、と待ち構えていた私。
ドアをあけた途端
「どうぞ!」とミニが差し出したのは荷物のぎっしり入った手提げバッグ。
後ろでデイのスタッフさん爆笑。
どうやらドアをあける前にプレゼント渡す算段をしていたのに
本番でミニが間違ったよう。
本人はわりと淡々とプレゼントを渡してくれました。
「わぁ、嬉しい」と言うと
「ママ、いつもありがとう」だって。
今年は手作りの花と花瓶でした。
カードのイラストぬりえ、上手に塗れたね。
どうもありがとう。
GWが終わって、ママはほっと一息
でもミニは今日から運動会の練習で、
ストレスの多い生活になります
去年の経験が、少しでも安心のもとになっているといいんだけど。
ミニのストレス軽減に少しでも役立てば、と予定表をつくってみました。
運動会の練習がある日にはピンクのシールを貼って
「うんどうかいのれんしゅう」と書きました。(ちょっと目にうるさくなった)
いつまで練習があるのか、本番はいつで、それが終わればお休みをはさんで
通常の授業に戻ること、これで一目瞭然……だといいな
切り替えが苦手なミニ。
見通しを持てたら、少し安心できるはず。
雨天順延のパターンは今回あえて無視。
もし、雨になりそうだったらあらためて予告することにして。
一日終わったら、切り取って行こうかな~。
でもミニは今日から運動会の練習で、
ストレスの多い生活になります
去年の経験が、少しでも安心のもとになっているといいんだけど。
ミニのストレス軽減に少しでも役立てば、と予定表をつくってみました。
運動会の練習がある日にはピンクのシールを貼って
「うんどうかいのれんしゅう」と書きました。(ちょっと目にうるさくなった)
いつまで練習があるのか、本番はいつで、それが終わればお休みをはさんで
通常の授業に戻ること、これで一目瞭然……だといいな
切り替えが苦手なミニ。
見通しを持てたら、少し安心できるはず。
雨天順延のパターンは今回あえて無視。
もし、雨になりそうだったらあらためて予告することにして。
一日終わったら、切り取って行こうかな~。