謹んで新春のお喜びを申し上げます。
今回ご紹介するのは、足立区、北千住駅に近い「千住宿」です。現在の日光街道と平行に並ぶ商店街が、江戸時代の旧日光街道(現在宿場町通り)で、その周辺に形成されていたのが千住宿で、江戸四宿(新宿、板橋宿、品川宿、千住宿)のうちの一つです。震災と、戦火から免れた場所が多く、千住には歴史的な景観や細くて折れ曲がった路地が残っています。
駅、徒歩一分で連れ込み旅館とは下町パワー、いえ千住パワー。
「毎日通り飲食店街」が街道沿いの小道にありました。昔の歓楽街や色町を示すレトロな電柱がありました。
旅館の看板が郷愁誘う通り。屋根瓦にも風格があります。
街道近くにある氷川神社は大黒天が旧本殿に納められています。花こそ咲いていませんが、藤棚があって、風雅な雰囲気が感じられた神社です。
重々しい銭湯の建物と、歴史的建造物の横山家住宅。
宿場町ですから宿場女郎も当然居ました。大正10年に、旧日光街道沿いの宿場町に散在していた女郎達を、現在の日光街道を跨いでさらに西へ進んだ場所に指定地を設けて移動させ、「千住遊郭(柳新地)」とし、戦後は千住の赤線地帯として売春防止条例が発布されるまで繁栄したという事です。現在は千住柳町と言って、大門通り、いろは通り、仲通りなどといった、いかにも赤線的な名称の商店街が並ぶひっそりとした雰囲気の住宅地となっています。駅から15分も歩くような遠い土地ですから、スナックなども少なく、如何わしさは皆無です。
大門(おおもん)通りといろは通り。かつて柳新地だった千住柳町を取り囲む形で、様々な商店街があるのですから、赤線が地域にもたらした利潤には驚かされます。
美容室は女給さん達のため。寿司屋も花街周辺ではよく見かけます。
おどろおどろしいアパートの廃屋。電柱には古い地名の「廓」の文字。廓町って、露骨すぎですね。
柳町の隣町、大川町の物干し台が印象的な家屋。この遊郭にはお堀やどぶ川などの他の地域と色町を隔てた結界がありません。しかし目と鼻の先には荒川と隅田川が流れています。自然が生んだ結界という事でしょうか?
危惧していた通り、古い建物は相当建て替えが進んでいるようで、戦後のカフェーの建物は見当たりません。戦後の赤線の店舗はカフェー(特殊飲食店)といって、建築そのものは木造で、座敷があったりするのですが、窓は大きく、入り口は西洋風、または和洋折衷様式を基調としていました。モルタルでひさしに段を重ねたり、スペイン瓦や色とりどりの豆タイルで一階部分に装飾を施し、華麗なネオンサインで粋な店名を掲げます。しかし、ほんの僅かにカフェーの痕跡を残す店舗跡がある他は、曳船にある「鳩の町」のようなカフェー独特の建物にはお目にかかりませんでした。
複雑に折れ曲がった路地の中にカフェーと見まごうばかりの左官屋さんの店がありました。看板建築にありそうな中国風の文様を施した入り口、戸袋にコンクリートで擬似木をあしらったり・・・。
やっと目にしたお店はカフェーでしょうか?バルコニーやら二色に色分けされた外壁などが粋な感じでした。
通りから入り口は塀を建てて隠していましたが、ひさしのディテールが綺麗です。
ひさしがアール状である事を除けばまるきり新しい建物にも見えます。
ちょっと装飾が物足りないのですが、建て替えを免れるのはむしろこういう一見普通のお宅なのかもしれません。
灯篭と楓の木がむちゃくちゃな和風テイストをかもし出す珍住居。
色町には質屋が必ずあります。左官屋がイタズラしたようなポストの下に小さな擬似木の装飾のある普通のお宅。右端の建物は入り口が2つあるのがカフェーっぽいのですが普通の民家かもしれません。当時、女給が客引きを行うのは、ひとつの入り口につき一人と決められていたために、女給の多いカフェーは無理やり沢山の入り口を設けていました。
出前は敏速、そしてニコニコ商店街。
色町の粋。お風呂タイルを貼った染み抜き屋の入り口。竹の格子も数奇屋をイメージしたのでしょうか。
今回ご紹介するのは、足立区、北千住駅に近い「千住宿」です。現在の日光街道と平行に並ぶ商店街が、江戸時代の旧日光街道(現在宿場町通り)で、その周辺に形成されていたのが千住宿で、江戸四宿(新宿、板橋宿、品川宿、千住宿)のうちの一つです。震災と、戦火から免れた場所が多く、千住には歴史的な景観や細くて折れ曲がった路地が残っています。
駅、徒歩一分で連れ込み旅館とは下町パワー、いえ千住パワー。
「毎日通り飲食店街」が街道沿いの小道にありました。昔の歓楽街や色町を示すレトロな電柱がありました。
旅館の看板が郷愁誘う通り。屋根瓦にも風格があります。
街道近くにある氷川神社は大黒天が旧本殿に納められています。花こそ咲いていませんが、藤棚があって、風雅な雰囲気が感じられた神社です。
重々しい銭湯の建物と、歴史的建造物の横山家住宅。
宿場町ですから宿場女郎も当然居ました。大正10年に、旧日光街道沿いの宿場町に散在していた女郎達を、現在の日光街道を跨いでさらに西へ進んだ場所に指定地を設けて移動させ、「千住遊郭(柳新地)」とし、戦後は千住の赤線地帯として売春防止条例が発布されるまで繁栄したという事です。現在は千住柳町と言って、大門通り、いろは通り、仲通りなどといった、いかにも赤線的な名称の商店街が並ぶひっそりとした雰囲気の住宅地となっています。駅から15分も歩くような遠い土地ですから、スナックなども少なく、如何わしさは皆無です。
大門(おおもん)通りといろは通り。かつて柳新地だった千住柳町を取り囲む形で、様々な商店街があるのですから、赤線が地域にもたらした利潤には驚かされます。
美容室は女給さん達のため。寿司屋も花街周辺ではよく見かけます。
おどろおどろしいアパートの廃屋。電柱には古い地名の「廓」の文字。廓町って、露骨すぎですね。
柳町の隣町、大川町の物干し台が印象的な家屋。この遊郭にはお堀やどぶ川などの他の地域と色町を隔てた結界がありません。しかし目と鼻の先には荒川と隅田川が流れています。自然が生んだ結界という事でしょうか?
危惧していた通り、古い建物は相当建て替えが進んでいるようで、戦後のカフェーの建物は見当たりません。戦後の赤線の店舗はカフェー(特殊飲食店)といって、建築そのものは木造で、座敷があったりするのですが、窓は大きく、入り口は西洋風、または和洋折衷様式を基調としていました。モルタルでひさしに段を重ねたり、スペイン瓦や色とりどりの豆タイルで一階部分に装飾を施し、華麗なネオンサインで粋な店名を掲げます。しかし、ほんの僅かにカフェーの痕跡を残す店舗跡がある他は、曳船にある「鳩の町」のようなカフェー独特の建物にはお目にかかりませんでした。
複雑に折れ曲がった路地の中にカフェーと見まごうばかりの左官屋さんの店がありました。看板建築にありそうな中国風の文様を施した入り口、戸袋にコンクリートで擬似木をあしらったり・・・。
やっと目にしたお店はカフェーでしょうか?バルコニーやら二色に色分けされた外壁などが粋な感じでした。
通りから入り口は塀を建てて隠していましたが、ひさしのディテールが綺麗です。
ひさしがアール状である事を除けばまるきり新しい建物にも見えます。
ちょっと装飾が物足りないのですが、建て替えを免れるのはむしろこういう一見普通のお宅なのかもしれません。
灯篭と楓の木がむちゃくちゃな和風テイストをかもし出す珍住居。
色町には質屋が必ずあります。左官屋がイタズラしたようなポストの下に小さな擬似木の装飾のある普通のお宅。右端の建物は入り口が2つあるのがカフェーっぽいのですが普通の民家かもしれません。当時、女給が客引きを行うのは、ひとつの入り口につき一人と決められていたために、女給の多いカフェーは無理やり沢山の入り口を設けていました。
出前は敏速、そしてニコニコ商店街。
色町の粋。お風呂タイルを貼った染み抜き屋の入り口。竹の格子も数奇屋をイメージしたのでしょうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます