ビバ!迷宮の街角

小道に迷い込めばそこは未開のラビリント。ネオン管が誘う飲み屋街、豆タイルも眩しい赤線の街・・・。

美醜対決(渋谷区・表参道ヒルズ&代々木会館)

2011年01月19日 | 古い建物
 「青山同潤会アパート」が無くなってから、表参道周辺を行き来することが無くなって幾年月・・・。楽しかったハナエモリビルの企画展示の数々を見に行ったりの他は、なんとはなしに買い物や飲食をするでもなく、ただJR原宿駅から渋谷までよくブラブラしたものです。長年排気ガスを受けたためか、コールタールをまぶしたようにドロッとした外壁の同潤会アパートの通りに面した一階部分、絵画ギャラリーやアンティークギャラリーの窓から見えるのは、様々な絵やガレやドームのランプシェードの夢のような色合いで、夏には青々とした蔦が絡みセミがかしましく鳴いていました。都内の各所に震災後に建てられた災害に強い鉄筋コンクリートアパートの走りだった同潤会アパートが、いつごろからか急速に都内から姿を消してゆき、昭和2年に建てられた青山同潤会アパートも惜しまれつつ建て替えとなりました。2006年に表参道ヒルズとして安藤忠雄設計のオサレなファッションビルとして生まれ変わりました。
オサレと聞いて黙っていられるか。
 
 先日、たまたま青山のギャラリー巡りついでに表参道ヒルズを覗きましたが、細くとがった立地の建物の中は、広大な吹き抜け空間で、造船工場を上から覗いているように感じました。
    
 とても綺麗な照明設備と神秘的な音楽が流れていましたが、なんとなく落ち着きません。それは路地裏までガラス張りのテナントビルだらけになってしまった表参道周辺にも言える事です。明治神宮の参道として、江戸時代は林だった傾斜地を切り開いて出来た表参道が、こんな未来都市のように変貌するなんて誰が想像しえたでしょうか。
未来都市ですって、これだから田舎者は・・・。

 明治時代、参道は切通しで、斜面は石垣でしたが、その当時の姿を残しているビルです。
  

 同潤会アパートの遺構が、一部残されていましたが、綺麗に補修されていて、ちょっとがっかりです。汚く古びた雰囲気のまま残してほしかった・・・といってもテナントに活用する為にも補修は必要だったのでしょうが、なんだか白骨標本を見ているようでした。
  

 

 キラー通りの公団原宿団地も、建てかえです。
 

 代々木周辺にも足を伸ばしました。こちらは大きな変化といえばニューヨークの摩天楼のようなドコモビルが建った事でしょうが、駅前に非開発地域が僅かに残っています。専門学校や予備校の町なので、どこかしら垢抜けないのに加えて、西側のJR駅舎の外観は新しいながらも、周辺の高架下や東側の駅の出入り口は、未だにとてもクラシックなデザインです。 
 

 ドコモビルの足元には、一軒家まるごとカフェの古民家カフェ。築50年程度ですが、建て替えの多い都心では十分古民家です。板張りの垣根に風情があって隣の駐車場には屋敷守だったのか比較的小さなお稲荷様の社がありました。
 

 代々木駅の傍らにある、やはり築50年ほどの「代々木会館」のビルです。

2001年に解体予定でしたが、権利問題がこじれてまだテナントが入っていますが、2階の飲み屋街には明かりはなく、殆ど廃墟状態です。1970年代にTVドラマの撮影に使われていたようですが、その時から廃墟のような外観だったと言うことです。


 私が上京したての20年前には、軍関係の施設や、近代建築は各所にあり、このようなオンボロビルは珍しくなかったように記憶しますが、この古び方は、アジア的とでも申しましょうか・・・。
  

 勇気を振り絞って中へ。
 

 

 何ゆえに歪みが生じているのか、中途半端に螺旋のような階段・・・。
 あざ笑え洗練されたデザインを!ぶっ飛ばせ有名建築家のオサレビル!

  

 

  パ・・・。

恐れ雑司ヶ谷の鬼子母神(豊島区)

2011年01月17日 | 寺社仏閣
 恐れ入谷の鬼子母神、ではなく今回ご紹介するのは、東京都豊島区雑司ヶ谷にある威光山明法寺の「鬼子母神堂」です。アクセスは都電荒川線の鬼子母神前駅が便利です。
 
駅前の古い美容院は豆タイルで覆われて、窓からパーマの美人がこちらを幻惑。
  

 雑司ヶ谷鬼子母神は、その歴史が古く室町時代からありました。駅から続く参道とけやき並木は江戸時代の雰囲気を今に残しています。現在参道の左右は商店半分、民家半分と寂しい感じです。白い壁面装飾が印象的な長屋や仕立て屋の建物は大正モダンなデザイン。
 

 参道は一度左折、すると鬼子母神堂の境内が正面に姿を現します。 
 

 
 入り口に山門は無く、小ぶりな石作りの仁王像が睨みを利かしています。視界を遮るものが何も無い故に、眼前に広がるいかにも江戸時代に建造された極彩色の装飾を有したお堂の眺めは素晴らしいです。鬼子母神堂を管轄する明法寺は残念ながら震災と空襲で往時の姿をとどめていませんが、鬼子母神堂は江戸時代のまま。参道も含めての景観美を残す場所は、柴又の帝釈天が有名ですが、こちらの鬼子母神もなかなかです。

 

 掲げている鬼子母神の文字の鬼の字には、一画目のツノがありません。またお堂のいたる所に石榴の意匠があります。それは古来インドのお釈迦様の説話に所以します。かつて大勢の子を持ちながら人間の子をさらって食らう人食い鬼の母が居て、人々に恐れられていました。そんな彼女をいさめるためにお釈迦様は母が一番可愛がっている末の子鬼を隠してしまいます。母は我が子が居ないことに気づくと、気も狂わんばかりにお釈迦様に助けを求けます。お釈迦様は「お前には大勢の子がありながら何故たったひとりの子の為に嘆き悲しむのだ。お前は、泣きじゃり取り乱しながら、末の子供の名を呼んでいた。その涙は今までお前が食べた子の母親たちが流した涙と同じだ。これからは人の子をけして食べてはならない。」と諭します。鬼子母神は悔い改めた後、安産子育ての神様として人々に崇められる事になります。鬼子母神が食人への欲望を抑えられなくなると、お釈迦様が石榴を与えて気持ちを静めさせた事から、石榴は鬼子母神の象徴となりました。実は近年女性ホルモンの働きを助ける効果があると注目を浴びる石榴、お釈迦様の教えには科学的根拠もあったのでしょうか?
まあこれぞおそれいりやの鬼子母神ね!

 お正月に点された提灯に、華やかな石榴の意匠を見ることができます。
 
 
 境内には、お稲荷さんもあります。
 

 絵馬の絵柄に惹かれます。

 
 都電荒川線に乗り、庚申塚駅で降りると、かつての民間信仰を見ることが出来ます。「巣鴨猿田彦大神庚申堂」です。
  

 庚申堂、または庚申塚は、街道筋など各地にあり、「庚申講」という古い民間信仰が行われた場所を示すものです。庚申講は道教の教えで、庚申の日に寝ると、体の中の虫が悪さ(秘密を勝手に告げ口)をするというので、村人一同集まって、寝ずにお茶を飲んだり宴席を催すなどして、その日をやり過ごすという風習になりました。一年に数度訪れる夜通しの会合は、地域の青年団と同じく、打ち明け話などをして村人の結束を固める意味もあったのでしょうが、戦後、村のくくりは崩壊し、庚申講は廃れていきます。庚申講で信仰されていたのが、猿田彦天神で石造りの庚申塚には必ず彫りこまれる姿ですが、同時に申も信仰されました。(動物が主神と同列に信仰される例では稲荷信仰があります。)申は十二支の寅、鬼門の反対側の裏鬼門の方位ですから、魔よけの意味があります。そこで、見ざる言わざる聞かざるの3匹のお猿さんを庚申塚に掘り込んだり、狛犬のように左右に鎮座してお堂を守らせたりしました。
 関西では今も続く地蔵信仰、商売の神様として関東では人気のある稲荷信仰と違い、一気に廃れた感のある庚申講ですが、此方の庚申塚ではまだその信仰が残っています。
 しかし沿道が時が止まったような景色です。パチンコ天国・・・・・・。
 

 歩を進めると、「刺抜き地蔵尊」(曹洞宗萬頂山高岩寺)がある参道としてお年寄りから絶大な支持を仰ぐ「巣鴨地蔵通り商店街」になります。ちなみに境内でご婦人がこすり続けるお地蔵さんが刺抜き地蔵かと思いきや、本堂の中にある絶対秘仏が、刺抜き地蔵であると言う事です。
 巣鴨は、板橋宿の手前、旧中山道の休憩所として栄えた町で、お寺も多いことからお婆ちゃんの原宿と異名をとる以前から賑わう場所だったのです。

 
この商店街の心憎い飾りつけ。毎日が縁日のにぎわいです。
  
 
 江戸六地蔵尊の一つ、「眞性寺」の提灯。またJR巣鴨駅周辺には刷りガラスの模様がなんとも言えないすし屋がありました。
  

日の出優良商店会(豊島区・東池袋)

2011年01月02日 | 古い建物
 豊島区、かつて巣鴨プリズン(東京拘置所)と呼ばれていたサンシャインシティの東、造幣局跡地が現在、東池袋駅東池袋駅再開発で、建設中のアウルタワーを始め、高層ビルが沢山建てられています。それと同時に行われている道路の拡張による民家や商店の立ち退きやらで、周辺は殺風景を極めています。以前ラーメンブームの時などは、ラーメンの名店大勝軒がある町としてよくTVでも取材があった場所です。しかしそんな中、奇跡的に開発を免れた場所があります。アップダウンが大きい土地で開発に適していなかったのが幸いしたのでしょう。昭和の雰囲気が色濃く残っているそこは、都電荒川線東池袋四丁目駅近く、かつて「日の出町」と呼ばれていた場所です。元旦にご来光を仰ぐ意味で、この日の出町に訪れました。

 
 道路拡張され見晴らしが良くなった通りの場所に、ポツンとある鮮魚屋。物干し台がいい感じです。この建物のさらに先に吸い寄せられていくと・・・都電荒川線と造幣局跡地との間に帯のように広がる非開発地域です。

  
 すでに町名として消えてしまった日之出町を偲ぶ「日之出ハウス」の文字のアパートや、蔵のあるちょっといかした工場など、不思議な雰囲気です。

  
 城壁のような石組みの下は窪地で、下った先は個性的な建物がひしめいていました。

 
 
    
 中華食材の工場、明らかに2階から上は建て増しで、強度が足りなくて震度5ぐらいで崩れてきそうな・・・。

    
 開楽・・・股に挟んで餃子を作っていそうです・・・。線路脇の不安を駆り立てる倉庫。

   
 荒川線が見えました。線路脇の建物の色合いが抹茶色。

     
 線路を渡ると日の出優良商店会です。松本零二の漫画に出てきそうなオンボロ商店街と再開発された近代都市との対比が凄いです。 

     
 ボロくもあり、懐かしくもある個性的な店舗の数々。都電沿いの商店街はかつては想像もつかない賑わいがあったと言います。隣町の大塚には芸者町の三業地もあります。


10円玉で日本旅行。

  
 強力ヂアトミン。スナックやすらぎは霊場の雰囲気でおもてなし。