ビバ!迷宮の街角

小道に迷い込めばそこは未開のラビリント。ネオン管が誘う飲み屋街、豆タイルも眩しい赤線の街・・・。

甲府の夜(山梨県・甲府市)

2012年11月08日 | 飲み屋街
 甲府の「鏡温泉」に行きました。温泉といっても殆ど銭湯のような施設です。県民ホールの近くにあるというので、夜間に行くと、異変に気がつきます。役所などがひしめく場所に、夜間人通りが少ないことは納得が行くのですが、街灯が明らかに少ないのです。真っ暗な中を地図もなしに当てずっぽうにさまよっていると、これまた省エネモードの暗闇に浮かぶレトロ建築の建物がありました。明かりの漏れるドアの向こうはすぐ脱衣場になっていて、通りからお年寄りのご婦人のヌードを見たような見なかったような・・・。番台のようなものも無く、お金を払うときに女湯の脱衣場が見えまくりという困った作りの内部をどう説明したら良いでしょう?天井で回る送風機、鍵の壊れた木製のロッカーは文化遺産級・・・。昭和のレトロな作りの浴槽はアールを描いた豆タイル仕立てで、奥には源泉の打たせ湯がありました。しかし冷泉なので、一人で打たれていると滝修行・・・。何処へ行っても同じ雰囲気のスパ銭に飽きた方はお試し下さい。
 

 帰りは何か食事でも、と思ったのですが、とりあえず役所の裏通りを歩くとこれがなんと歓楽街でした。大通りは呼び込みがギロリと睨んでいたので、かろうじて小さな路地を撮影しました。あとで調べて分かったことですが、甲府駅(甲府城)の南側に位置するこの周辺は昔から旅籠屋に付属する歓楽街であったということです。南西部に穴切遊郭という計画的に作られた新地(戦後は赤線)がありましたが、業者は撤退したようで、今は区割りや古びた日本家屋で花街の面影を見る程度だと言います。
 
 
 オリンピック通り・・・カフェーとか直球勝負のネーミングセンス。
 

スナックシェルブール・・・よろしく・・・。小料理屋もありましたが、色っぽい外装。
  

柳小路飲食店街は民家ばかりで、青線酒場の成れの果てだと思います。

 次の日、一時間に一本しか来ないバスに愛想をつかして2キロ程歩くと、見えてきたのはぶどう畑ばかりでした。こちらは農家が吊るしている偽物です。のどかですね。

 

そこは昭和の大迷宮(新仲見世商店街・中野区)

2011年05月04日 | 飲み屋街
 本当に、どこもかしこも新開発新開発で、あれよあれよといううちに似たり寄ったりのタイル張りのマンションやガラス張りのテナントビルばかりになりつつある都心です。しかし昭和の香りをピタリと封じ込めたまま濃密なカオスを放ち続ける中野区に関しては、それは当てはまりません。昭和60~70年代に行われた大きな駅前開発から、トンと平成の洗練された町並作りとはご縁が無いようで、近未来的デザインがかえって古色蒼然となってしまった中野サンプラザや、中野サンモール商店街、そしてその奥に中野ブロードウェイが、口を開けて中野駅に降り立った人々を、昭和の世界に誘います。
 ・・・主婦は電話機にカラフルな水玉色の電話カバーをかけて
 ・・・昭和のウエイトレスはカレースプーンを水の入ったコップに入れて運び
 ・・・家具調テレビを見ないときはレースの覆いを画面にかぶせ
 ・・・ブルジョアの子はピアノのお稽古
 ・・・新幹線にフルコースを食べれる食堂車があって
 ・・・木曜日になるとUFO特集番組が子供たちを震え上がらせ
 ・・・ケシゴムを忘れた子はウルトラ大怪獣のケシゴムでテストに挑む
あったらいいなは殆ど無くて、無くていいものだらけ、人情やお節介がまだ市井に残っていて、旅行に行けばみんなが熊の木彫りやこけし人形を買い求めて、町中に配り歩いてた、毎日が完成できないパズルのようで、それ故に明るい未来を鼓舞していた昭和の世界に誘うのです。
 中野は街全体が異彩を放っています。まず中野駅前北口の中野五丁目に、中野サンモールとそれに続くマンションを有する巨大なテナントビルの中野ブロードウェイ、その東側の裏路地は櫛の歯のように、一番街、二番街、三番街・・・と裏路地が形成されています。

 中野サンモール商店街の時計店の装飾。
  
 裏路地は多くの店が定食屋、居酒屋などの飲食店ですが、部分的に風俗店と混合になってるようです。
 
 電信柱の新年飾りがとても似合う鰻屋の一角。
  
 そのひとつひとつのお店を見て歩くと方向感覚が失われるような眩暈のような雑多さを見せる裏路地の通りなのですが、とりわけ「新仲見世商店街」はその奇異な様子から多くのブログなどで紹介されています。

 平行に並ぶ路地裏の中、少し中庭のように開けた場所に、バラックのスナックが立ち並び、今は既に無い香港の九龍城もかくやと思わせるような不定形な佇まいに、誰もが声を上げます。

 ポスター貼りまくりでパリなんて文字まで浮かび佐伯祐三の絵みたいになってる扉。スナックユンケルにもご注目。
 
ワールド会館は群を抜いて奇抜な建物です。飲み屋ビルなのですが、ウルトラセブンの目のようなダイヤ形の階段を囲む外壁の装飾など、作られた当初はかなり豪華で斬新なビルだったのでしょう。
 
 こちらは路地のさらに北側、中野ブロードウェイのマンションビルの隣の再開発地域で、かつてあった飲み屋街を壊している最中です。建て壊しになった空き地を覆う白い幌布の向こう、ポツンと廃屋のような店舗で営業を続けている店もありました。

 まだ何かを語りかけてくるようでもあり・・・。
  
おでんとお酒を研究中。

 
 中野駅から北へ、古めかしい新井薬師あいロード商店街を抜けると、眼病に効果ありとされ、徳川家の加護を受け、江戸時代から信仰を集めた「新井薬師」(梅照院)があり、ちょっとした江戸情緒溢れるスポットとなっています。
 
 新井薬師の参道でしょう、薬師柳通りという商店街もありますが、そこの柳並木は芸者街があった名残で、もう営業をやめた裏の小道に花園湯という銭湯もあるので、その意味深な名前からして、芸者街と共に遊郭街も形成されていたようです。
 
 旅行や観光という概念が無い時代から、様々なご利益を詠うお寺や神社は人々の非日常への好奇心を満たす別天地で、それに付随する土産物屋や芸者街もその賑わいの恩恵を受けていました。俗な娯楽と尊い信仰、一見相反するものが一元化した所に大きな富が生まれるスタイルは今も同じです。逆に崇拝や信仰心の欠けている娯楽は、一過性のものでその生命は短いとも言えます。
 
 新井薬師は「西の浅草寺、東の新井薬師」なんて言われていた時代もあるそうで・・・。今でこそ新井薬師は小さな境内ですが、裏に大きな児童公園や北野神社があり、それが当時は全てお寺の土地であったと考えるととても大きな規模であったようです。

三鷹探索~その3(三鷹市)

2010年08月15日 | 飲み屋街
 三鷹を探索します。三鷹探索~2の続きです。
 三鷹には、駅南口を出て中央通り左側に数百メートル続く白いビルがります。地下~2階までが店舗で、その上は公団住宅です。遠目には白く輝きいかにも真新しそうなビルですが、所々見えるタイルが古風な豆タイルなので、不動産のサイトを見たら、建てられたのはS38年ということで、築年数ほぼ半世紀、名称はUR都市機構三鷹駅前第1~第3アパート三鷹センタービル。やはり、階段の部分などとてもレトロ、どちらかというと地下鉄や市民病院とかに近い作りでした。
  

 駅よりの第1アパートのテナント。子供マネキンの切なそうな表情。お店の名前はプリティ富士・・・。
   

 看板のカッティングの曲線がこれからの子育てへの期待にロマンを沿えて・・・。研ナオコ似は美人の系譜。プリティ富士・・・。
  

 赤ちゃんの誕生は、宝船がやってくるような喜びに満ちて・・・プリティ富士・・・。(手は?)
   

 三鷹はユニークな店舗デザインが楽しめる街です。笹団子の店舗は残念ながら閉店中。タイルに描かれた鰻の文字は面白いです。(仲町通り)
   

 清楚な髪型は聖女(マドンナ)の証。白百合美容室。(仲町通り)
   

 修理部は大会に向けて修理の日々?
  
 有楽地下街はマッミがお勧め・・・・。(本町通り)ファンタジーサロンは夜も微笑む美女の顔が目印・・・。(三鷹駅北口)
   

 男のおしゃれ、デザインパーマ、カット、アイパー。黒タイルできめた店舗はKING理容館。(仲町通り)
   

 手書き看板がレトロなナガシマ。(連雀通り)
  

 三鷹の丸正がこの度、長崎屋を制圧いたしました。看板としての機能をまるで無視しているようなアバウトさ。(中央通り)ナガシマも看板の地にうっすら英字の文字が見えます。こういう所を都心の外れのルーズさと見るか、それとも大らかさと見るか・・・。
 

神の目は見ていた(国分寺市)

2010年08月14日 | 飲み屋街
 
 中央線国分寺駅、北口の秘境のご紹介です。中央線新宿~八王子間の駅の殆どの主要な駅が北にロータリーがあり、商業施設などが充実していますが、国分寺駅北口はロータリーも無く、タクシー乗り場も草ボウボウで、殆ど駅前としての機能を満たしていません。南口は若干整備されていますが、東に湧き水と徳川家の鷹狩の場所であったことで有名な「お鷹の道」、西に三菱創始者の別邸であった「殿ヶ谷戸庭園」と歴史のある場所があるので面目が保たれています。国分寺駅は、そもそも国分寺崖線の上に立ち、駅を出ると周囲の道は崖から転がるように下り坂へ転じるという地形の理由もあるのかもしれませんが、前々からなされている北口再開発計画が現在も宙ぶらりんであるというのが、北口が秘境である大きな理由かもしれません。
     

 そんな北口に、ようやく再開発の兆しです。市制のHPを見ると、大型商業施設のビルとロータリーを有する構想模型が掲載されていました。今現在、北口は多くの土地が空き地のまま放置されていて、北口から徒歩数分の所にあったサウナとボーリング場施設の国分寺パークレーンが更地になり、隣接していたピンク街や飲み屋街の店舗も大部分が撤退しているようです。
 しかし、待てども暮らせども、肝心の工事のほうは着工してない様子で、店舗が更地になって日照が良くなった結果、わずかに残った建物を蔦が覆いつくし、風の谷のナウシカに出てくる腐海のようにこのまま国分寺北口界隈は草木で覆い尽くされてしまうのでしょうか。このまま密林化したら、「ココ分寺」とか言われそうな勢いです。そのうち多摩スネークセンターとか国分寺オラウータン研究所とか出来るかもしれません。

駅前のシュロの木やバラックの民家が南国ムード。
 

 タクシーのロータリーにある2メートル未満の電柱は街を明るく見守って・・・。
   

 時勢の勢いは何処へやら・・・密林化まっしぐら。水牛の鳴き声が聞こえてきそうです。
  
 
 国分寺本町の飲み屋街もサバンナ気味。
  

 ジャングルの進出を止めようとするバリケードも空しく・・・ビルがジプリ化(緑化)。
  

 自然(ジャングル)との共存を提唱する名曲喫茶。家庭菜園ならぬ家庭ジャングル付き。
   

  
 
国分寺の移ろいを見守る神の目も再開発で姿を消すのか、あるいは消えるのは人間のほうで、残るのは自然のみなのか・・・。
 

 南口の岡部眼科の看板がある北口の神の目の下、パチンコ店ナポリの脇にある細長い階段を上ると、古風な喫茶店アミーがあります。内装外装が古城風で、看板代わりのコーヒーミルがユニークです。
   

セピア色の街(荻窪銀座商店街・杉並)

2010年08月02日 | 飲み屋街
古い通りやレトロな街を称するときに、われわれは映画「三丁目の夕日」を引き合いに出します。三輪自動車のカブが往来を走って、駄菓子屋があって、TVには力道山のプロレス中継・・・しかしあれは映画の中だけの事じゃありません。今現在も東京タワーが出来る前の時代の空気そのままに、営業を営む商店街が荻窪にあります。それもJR荻窪駅の北口前に。


 荻窪駅北口ロータリーの脇、青梅街道とJR中央線の線路の間に、戦後闇市が形成されました。そのマーケットに、アーケードをかけた通りや、公共の井戸を有する昔ながらの飲み屋街の一角が「荻窪銀座商店街」です。バラックの個人商店や飲み屋の中に、大手チェーン店の飲食店やパチンコの大型店舗も入り、新旧の建物が入り乱れています。大きく懸念されていた、北口ローターリーの再開発の用地から逸れてくれたようすですが、北口駅の出口に大きく陣取っていた立ち飲み屋の「鳥元」や古い不動産の建物をそのまま居抜きで使用していた飲み屋のバラックは流石になくなりました。

 北口出口より。以前は、立ち飲み屋や果物屋などが駅の出口に迫っていましたが、現在撤去。幾分すっきりしてしまった荻窪商店街の遠景です。


線路側から、衣料店の並びを眺めます。




アーケードの架かる北口駅前商店会。半透明のトタン屋根が時代を感じます。隣のアサヒ通りは薄暗いピンク通り。

  

 共同井戸のある飲み屋の通り。荻窪は辺り一帯、飲み屋や焼き鳥屋が多く、町全体が白煙を吹き上げるといった感じです。店の前に椅子を出して飲むお店が多く、夜はアジアの屋台町のような活気があります。
 

 一番奥に男子専科いずみやの店舗が見えます。夕刻は電飾看板が虹色に辺りを染めています。


 荻窪銀座商店会にある富士食堂。


 富士食堂の真向かい、純喫茶の邪宗門です。狭い間取りの3階建て(店舗は2階まで)で、急な階段を上がるのも一苦労。テーブル席につけば、不思議な窮屈さに落ち着くような・・・白雪姫が迷い込んだこ小人のお家のような空間です。ローマ皇帝の文様が入ったカップがコーヒーの味わいを深めます。
 

酔って前後不覚になったら、ベニヤに手書きの地図が道案内。


セピア色の街、バラックが誘う昭和の香り・・・。

三鷹探索~その2(三鷹市)

2010年07月25日 | 飲み屋街
 三鷹探求です。
三鷹探索~その1の続きです。三鷹の南口は1990年に駅前の歩道が高架化したと同時に、駅前の様相は一転、戦後の写真などを見ると、三鷹周辺の鎮守である八幡神社へ向かう参道口の赤鳥居にネオン看板が掲げられていて、もし現在もあったらさぞキッチュで面白い光景であったあろうと思います。駅の下を北西から、南東に流れる多摩川上水から分離して、三鷹市を南東へ流れる品川用水路を暗渠化したさくら通り周辺も、経済の破綻のため、北口の光景同様だだっ広い駐輪場が広がっています。
 
しかし、さくら通り沿いの小道に入れば、ちょっと昭和ムードの小料理屋やスナックがひしめいています。旭町、本町通り、すずかけ通りと並ぶ三本の小道、この周辺こそ、まさに三鷹で最後の日々を送り、愛人と情死を遂げた太宰治の縁の地域だと知ると、
デカダンな香りにクラクラします。大衆酒場、「斜陽」に出てくるヤサグレ男が出てきそうな雰囲気です。「斜陽」に出てくる居酒屋は高円寺にあったようですが。


 まず三鷹駅から東へ程近い処、玉川上水上水のとある場所に文学碑のようなものがあります。


 この近辺に、玉川上水の傍、山本雄三文学館がある閑静な住宅街の近くに最後の居を、婦人と共に構えていた太宰治。しかし家族との折り合いが悪かったのか、太宰は三鷹駅前に住まう山崎富江という女性の元(野川住宅)に転がり込んで来ます。やがて訪れる2人の入水事件(昭和23年)の場所が、この玉川上水となります。
 今現在は、浅い流れの用水路ですが、当時は水中で土手に向かって深くえぐれる構造で、梅雨時は流れも強く、入水の場所は確認できたものの、遺体の発見まで6日要しました。文壇の寵児であり、文壇仲間に慕われていた太宰は素早く立派な葬式を出してもらえたものの、方や富江のほうは、遺族が田舎から見取りにくるまで4日も、土手近くに晒されていたと言います。作家として揺るがぬ地位を確立していた太宰を死に至らしめた罪を擦り付けられる形で、富江の素性が、およそ教養の欠片も無い刹那的な女のようなイメージを流布されるに至ります。しかし実際の富江は、戦前、大きな産業だった映画会社に結髪の技術者として出入りしていたキャリアウーマンでした。本郷に店を構えていましたが焼け出され、終戦を境に三鷹へ移った後も、昼は中央通沿いのミタカ美容院、夜は三鷹市役所近辺にあった進駐軍の将校専用のグランドキャバレーニューキャッスルのホステスの美容師として忙しく働いていました。このような女性がはたして入水自殺などを太宰に促したりするのでしょうか?
 太宰は戦前、アカと呼ばれる共産党運動に加担していたことで、三鷹に移り住んだ後も要注意人物として政府からマークされ、太宰は痴情事件と見せかけて暗殺されたとも言われ、真相は闇のままなのです。
 その次の年、昭和24年には、暴走する無人車両が三鷹駅西側にある車庫から民家に激突するという三鷹事件が起こっています。この事件もまた未解決で、当時国鉄職員の中に居た共産党員を投獄する所謂、アカ狩りを行っていた進駐軍による捏造事件であるとも言われています。戦後のドサクサ、不穏な空気を象徴するような事件として、太宰の死の謎と共にここに書き添えて置きます。

 駅前の小道、本町通りの光景ですが、富江の下宿先であった野川住宅跡、太宰が通っていた伊勢元酒店跡(現在太宰治文学サロン)もあります。
 

 本町通り、西部開拓時代の飲み屋のような光景です。
 

 レンガ模様のトタン張り、旭町通りのお店です。正面の店の奥にも赤提灯があってお色気たっぷりです。
 

 道行く人が「こんな店のホステスは婆さんだ。」と大声で言っていましたが、そんな事大きなお世話、婆さんだろうが若い女だろうが飲ませるのは同じお酒!しかし三鷹の何が凄いって、どんなにボロそうなお店も現役であるという事です。夕方にもなるとご高齢気味のママ達が、店の前のアロエの植え込みに水をやったり、いそいそとのれんをあげる光景がそこかしこで見られます。

 
 一見うらびれた通りでも、まだまだ元気。右奥の小料理屋桃川も営業中です。
  飲み屋の秘境三鷹はその3へ続く。

ファンキーな横丁(武蔵野市・吉祥寺)

2010年06月20日 | 飲み屋街
 私はあまりお酒は飲みなれないので、酒場は眺める場所と決めています。眺めてるだけで酔えるのですからこんな安上がりな事はありません。(店の前でウロウロする冷やかし客と嫌がられますが。) 
 
 JR吉祥寺駅北口前に迷宮のような酒場があります。中央線吉祥寺駅の駅前に開けた戦後の闇市が、そのまま商店街を形成した「ハーモニカ横丁商店街」です。店舗数100件ほどが、平和通りとダイヤ街チェリーナード商店街に挟まれる形で、南北をハーモニカのように並んで、それぞれ名前のついた細い通りが何本も貫いています。

 
駅から出てすぐ、まず目に飛び込んでくる賑々しくも雑然とした光景、南側の平和通に面した部分は古くからの看板をそのまま使い、粗末なバラックの建物が物々しく、まさにハーモニカのように小さな入り口が並んで口を開いています。一方北側はダイヤ街に面した部分で、サトウのメンチカツなど行列のお店が何軒もあって、人通りは昼夜絶えず、毎日が縁日のようです。
 
 そしてハーモニカ横丁の内部、仲見世通りやのれん小道といった通りは、薄汚い裏街道の集積所かと思いきや、内装にこだわった多国籍バーやデザイナーやミュージシャンが集う、開放的な雰囲気の焼き鳥屋がひしめいて、とてもお洒落な感じがする飲み屋街です。

 一方吉祥寺駅北口から東へヨドバシカメラの裏側の土地が歓楽街なので、さらにディープな感じがお好きな方はそちらへどうぞ。ハーモニカ横丁は休日ともなると家族連れで、この戦後からずっと現役選手の小迷宮をおっかなびっくりウロウロしている姿も沢山ありました。

 昼に平和通りから撮影すると、餃子屋さんのその向こうのダイヤ街の商店街が見えます。通りを飾る提灯もいかにもな赤提灯ではなく、ポップで可愛らしい感じです。