ビバ!迷宮の街角

小道に迷い込めばそこは未開のラビリント。ネオン管が誘う飲み屋街、豆タイルも眩しい赤線の街・・・。

戦後派な街(池袋・豊島区)

2011年05月10日 | 赤線・青線のある町
 現在山の手線沿線上では、新宿、渋谷につぐ大繁華街の池袋ですが、その発展の歴史は最も新しく、大正~昭和頃と言われています。1885年にようやく鉄道が開通されますが、駅は無く、赤羽、田端のほうがいち早く貨物用の駅として整備され、1903年にようやく新宿~田端間に池袋駅が出来たということです。それまでは田畑が広がるだけの池袋はかつて、巣鴨村と呼ばれ、中山道の板橋宿の手前の休憩所を擁し、巣鴨地蔵尊のある信仰の場所として大いに賑わった巣鴨界隈と違って、辺ぴな場所であったようです。江戸時代には旅人をねらった辻斬りが横行し、歴史に残る未解決事件の供養塔として建てられた四面塔尊のお堂が今も駅東口の小さな公園にあります。
 しかし転機は訪れます。埼玉方面のターミナル駅として当初目白が起点となるはずでしたが、目白は学習院のある閑静な高台の場所、近所住民の反対運動に合い、池袋が今見るように西武線、東武線を初めとした西の玄関口となってから、急速に発展する事になったのです。今はもうありませんが戦前は思想犯を収容し、戦後はA級戦犯を裁いた巣鴨プリズンと言われた東京拘置所(現在サンシャインシティ)があった事も昔話。サインシャインシティの水の流れる憩いの場に、戦争の歴史を物語る慰霊碑があるのを知っている人は少ないのではないでしょうか。

  
 池袋の東側、東池袋にグリーン大通りという緑のまぶしい通りがありますが、ここは市電が以前走っていて、その両隣の周辺一体は、大きな雑木林で、「根津山」と言われる丘がありました。今は削り取られて、跡形もありませんが、根津山の林の境界にあたる部分が以前ご紹介したアップダウン著しく、古い家屋が立ち並ぶ「日之出町」なのではないかと思います。根津山は戦時中、大きな防空壕があり、大空襲の際、多くの死傷者を仮埋葬した場所でもあります。現在、本立寺などお寺が集積する場所に、単純に空き地として解放されている池袋南公園があり、そこが仮埋葬の墓地であると言われ、建物が今現在も建てられない所以となっているようです。


 グリーン大通り沿いに昔ながらの薬局の建物が残ってます。

 グリーン大通り、北側の東池袋一丁目は人々でごったがえす大繁華街です。しかし、大きな通りの奥には闇市の跡がまだあります。戦後の焼け野原、駅の周辺など突如現れたのは廃材など建てられたバラックの店舗が軒を連ねる闇市で、政府の侘しい配給品では飢え死にすると、闇で流通していた米や焼き鳥などを初めとする食品やアメリカ軍の横流しの物資が公然と売られていました。武蔵野市吉祥寺のハモニカ横丁、現在は駅周辺が整備されていますが荻窪の荻窪銀座商店街などは、闇市が商店街へとゆるやかな時間をかけてシフトしていったために、かつての世相などを知る手がかりになると思います。池袋の闇市のあとを示す通りは、「美久仁横丁」、「栄町」、「人生横丁」、「ひかり町」という小さな折れ曲がった路地でしたが、現在人生横丁、ひかり町は惜しくも更地となり、再開発のためビルが建設中です。
  
 この横丁・・・飲み屋が主ですが、ラブホテルも周辺に多数あるので一見すると違法に客とやり取りする青線地帯のような場所です。池袋は新宿、板橋のように、赤線地帯(宿場町に併設された色町として、売春防止条例が出来るまで長く政府に容認されていた公娼がいた遊郭町)がありません。しかし駅のどの出口もビジネスホテルやファッションホテル街が連なる地域が数多くあり、街中が歓楽街と言ってもいいでしょう。

   
「栄町」はL字に折れ曲がって見晴らしの利かない不思議な通りです。

    
 飲めば天国?それともお酒に溺れる地獄?

   
 美久仁小路は、その小粋な当て字の名称や、少し折れ曲がった通りの様子などからあれこれ想像を掻き立てられます。そして従業員しか通らない真っ暗な裏小路まで、「通り抜けられます」と書いてありますが、これは墨田区の玉の井遊郭の「この先抜けられます。」をもじっているのでしょうか。
 

通りの中央にあたる店舗がなくなった為に、かつてはジメジメして真っ暗な通りが現在は見晴らしが利くようになってしまいました。 
   

 新婚姉妹や和・・・美人姉妹の店なんていうと聞こえがいいですが、ママはもう相当なお年の筈。しかし3階建で小料理屋のような丸窓が粋です。3階建ての木造建築が他にも何軒かありましたが、隠し部屋がありそうで興味深いものがあります。
  

   

 今もこの通りには根強いファンがいると言うことです。
  

 黄色い外壁が昭和な雰囲気をかもし出す池袋区役所の近くはボロボロのビルが多いのですが、少しずつ壊されていく建物が増えてきました。画像のお弁当屋さんは今はもうありません。
   

 区役所通りの北側、明治通りと山の手線を挟んだ細長い土地は、大きな再開発もなく古びた場所です。わずかなお店がかろうじて営業している寂しい場所です。
     

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