ビバ!迷宮の街角

小道に迷い込めばそこは未開のラビリント。ネオン管が誘う飲み屋街、豆タイルも眩しい赤線の街・・・。

夜のお菓子の里~その2(静岡県浜松市)

2015年10月28日 | 古い建物
 夜のお菓子の里~その1の続きです。一日目、浜名湖を後にして、名古屋の友達と浜松の居酒屋で飲み、宿泊したのは東海道沿いにあるビジネスホテルです。東海道宿場町の忘れ形見みたいなボロい商店跡が貼り付いてました。ちなみにこのホテル、卵かけご飯が絶品。東海道沿いには大きなお地蔵さんがありました。江戸時代、文字や立て看板はみだりに立てることが禁止されていたので、道標の代わりはお地蔵さんや、大きな一本松などの樹木でした。
 

 徒歩で、浜松市街地にある徳川家康の城跡を訪ねます。徳川家康は27歳から45歳までを遠州で過ごしました。1568年、引馬城を攻め、2年間過ごした後、引馬城が手狭なために新しい城を築城し、引馬の地名を浜松と改め、45歳まで留まります。役目を終えた引馬城は穀物倉として活用されたという事です。現在、引馬城跡は1886年、「東照宮」(家康公を神として祀る神社)となりました。
 東照宮周辺は不思議な空気。こじんまりとした場所ですが、ここが浜松城、駿河城、江戸城へと、天下取りを目指していったスタートラインなのです。
  

 社殿の脇、滝に打たれる獅子。鷹が龍神へと变化する様子が描かれた手水舎。鷹は家康が最も好んだ生き物で、江戸の近郊の山林ではしばしば優雅な鷹狩が催されました。
  

 西側の丘陵地の上に建つ「浜松城」へ。征夷大将軍となった家康を始め、多くの幕府の要職になった侍を輩出したために、通称、出世城と呼ばれています。現在、浜松城公園として整備され、市役所、美術館なども敷地の中にあります。天守閣は鉄筋の再現された建物ですが、野面積みの石垣は戦国時代の遺構そのままです。天守閣から望む、浜松城から西へ伸びていく浜松の三方ヶ原台地。
   

 台地の上に建つ諏訪神社。浜松城内にあった、二代目将軍秀忠の産土神を祀る神社が、三代将軍家光の命で、この地に遷座されました。七五三で有名です。近くにあった素敵な洋館。昭和3年に建てられた静岡県の浜松警察署庁舎で、現在はアートセンターとして活用されています。お硬い建物なので室内装飾は控えめでした。向かいはやはり洋館の木下恵介記念館。
  

 地図なしの勘だのみで、地名も知らないまま、赤線地帯だった双葉遊郭を目指して歩いていたのですが、なんとなく美容院やバーバーの数が多くなっていきます。
  

 近い・・・そう実感させてくれる粋な作りの商店やブロック塀の意匠に期待は膨らみます。
 

 たじま・・・

 夜の菓子の里~その3に続く。

戦隊ヒーローを訪ねて(東京都練馬区東大泉)

2015年10月26日 | 古い建物
 最近、東映の戦隊ヒーローシリーズ「手裏剣戦隊ニンニンジャー」に年甲斐もなくはまってしまいました。日曜日は朝早くTV番組を見て、都内各所で行われる住宅展示場や公園で催される戦隊ヒーローショーの活躍に、2~3歳児に混じって奇声を発し、夜は関連雑誌などを読みふけりながら、ニンジャたちに思いを馳せる日々なのですが・・・。

 
西東京市や埼玉県志木の住宅展示場。積◯ハウスの担当さんが♪セキ◯イ~ハウス~♪と歌う歌謡ショー付き。

  
江東区のステージでは千人以上の親子連れがおしかけました・・・。


誰からも顧みられない男の心の隙間を埋めるのは、いつだってヒーローよ。


ニンニンジャーに会いたいよ~。


この前、住宅展示場に来てたでしょ?遊園地にも来てたでしょ?何度も会ったでしょ?


お外でやるヒーローショーは代替商品だと気がついたのでしゅ。


んまあ!代替とか難しい事ぬかして!中の人に失礼よ!皆我こそは本物だと思って日々戦ってるんだから!


TVの本物の戦隊ヒーローに会いたいから、東映の撮影所に行くでしゅ。


やだ!松竹撮影所があった大船の飲み屋で粘っても、寅さんがひょっこり飲みに来たりしないように、ニンニンジャーには会えないわよ!


でも2歳児には物の理屈が分からないから来ちゃったでしゅ。

 西武池袋線、大泉学園駅からほど遠くない所に、「東映東京撮影所」があります。戦前は「振興キネマ東京撮影所」という名前でした。主に時代劇などは、京都の太秦の撮影所で制作されるでしょうから、もっぱら東京の撮影所では任侠映画や不良番長シリーズ、そして子どもたちに夢を与える戦隊シリーズなどが作り出されて来たのでは無いでしょうか。映画が娯楽の中心だった時代には、銀座の街並みを再現したオープンセットなどもありましたが、現在は跡地に大型ショッピングモールが入っていて、当時の面影は微塵も感じられません。
  
 
 正面入り口は当然警戒が強く、背後から回ってみたり・・・途中、馬頭観音を見つけました。周辺は坂道が多く、交通の難所であった事が伺えます。塀の中を覗こうといくら背伸びしてもニンニンジャーは見当たりませんでした。 
  

 唯一、映画が盛んであった時代を感じるとしたら周辺にやたら美容院が多いことでしょうか?美容師も華やかな映画産業を支える仕事です。レトロ調のガラスブロックで埋め尽くされた美容院も住宅地にありました。
 
 
 大泉学園駅周辺は広範囲に開発がなされていて、古い商店の街並みは乏しいです。大きな木立が印象的な北野神社がありました。
  

 撮影所東側の風景。東映橋を渡った所にある銭湯のある通りも寂れていました。
  

 撮影所すぐ脇の通りにある飲み屋の建物。
   

 大泉学園駅名の由来はそこそこ面白く、ご紹介いたします。古くから奥多摩から運ばれた湧き水の流れる白子川などがある事から大泉という地名になり、関東大震災後、箱根土地という業者が一橋学園を大泉の地に誘致しようと周辺域を開拓しましたが、叶わず大泉学園という名前だけが残ったと言うことです。また北側の埼玉県朝霞市の自衛隊駐屯地に、昭和16年、前身となる陸軍士官学校が出来ました。それに合わせて教官の住宅地が、大泉学園駅の北の高台に築かれました。整然と区画整理された場所で、通称「将校住宅」と言われています。
 これだけあれこれ栄えていた場所ですから、怪しいスナック通りぐらいありそうなものですが、これが一掃されて居て見当たらないのです。正義の味方がぶっ飛ばしちゃったんでしょうか?(さよならをするのは戦隊ヒーローの源流ゴレンジャーレッド)
 

 




 
 

変わるもの変わらないもの(新宿区)

2015年03月04日 | 古い建物
 悪徳の巣、新宿の百人町が近頃、どんどん綺麗になっていくので、撮影してまいりました。
新宿区百人町はもともと、徳川家の護衛のために百人同心が住んでいた場所で、のちに高級住宅街になるも、戦火にさらされた後は、コリアンタウンとなって、街娼のメッカとなりました。一頃などは、山手線と中央線に挟まれた三角州のような暗黒地帯に、世界各国の売春婦が様々なお国訛りで「オアソビ~」「シャチョサーン」と呼びかけるさまは、大人の国のイッツアスモールワールドのようであったと、伺います。しかし、石原都知事在任時に、売春婦が一掃されると、ビジネスホテルや連れ込み宿の類は退去する他なく、韓流グッズやチヂミを販売する店舗に変わって、至って健康な町並みへと変化しつつあります。

 悪徳が栄え、風雅な連れ込み旅館から、ビジネスホテルまで新旧の宿泊施設が垣間見れる三角州地帯です。
  

 かつてのビジネスホテル天国も、風前の灯火。
 

 職安通りからの眺め、この愛すべきボロボロな光景も、少しずつ建て替えなどが進んでいます。
 

 おそらく進駐軍時代からの連れ込み宿の跡でしょうか。こうなると文化財です。
 

 皆中稲荷神社は、百人同心の守り神。鉄砲がみなあたる事を祈願しているので皆中と言います。現在は、スピリチャルな書籍などで、宝くじが当たるなどと紹介されたために、次から次へと人々が訪れ、ボロボロだった境内が綺麗になってしまいました。
 

 結婚式場の看板などに時代を感じます。 
   

 こちらは歌舞伎町、2015年、建て壊しになる映画館、ミラノ座を見てきました。以前は新宿コマ劇場があったり、歌声喫茶の洋館があった事で、大衆娯楽を支える街の雰囲気を留めていた歌舞伎町も、騒々しいだけの街に様変わりしてしまいました。歌舞伎町でおそらく一番ディープな場所に、大正時代に建てられた弁天堂までいつのまにか無くなっていました。

 レビュウや演歌歌手のショーを催していたコマ劇場は、現在東宝シネマの施設に。ボーリング場があったピンクのミラノ座は果たして何に変わるのでしょうか?
 

 

 かつて淀橋浄水場があった西新宿の、都庁を始めたとした場所は、高層建築にあふれていますが、税務署通りを挟んだ西新宿と北新宿は、古びた家屋や商店がひしめく町でした。ところが、税務署通りの拡張工事が完了すると共に、また大開発が入ってしまったのです。
 そんな中、時の流れを止めたかのように永久不変の姿で高層ビル群に対峙している建物があります。その名も「ときわ荘」。ちなみに漫画の神様達のかつてのお座所はトキワ荘ですので、関係ありません。


 吸い込まれそうな入り口。永久不滅のときわの文字・・・。
  

 数々の消えていったオンボロ物件たちの無念の叫びがここに集結して、街を無機質なビル群に豹変させる開発屋さんに呪詛電波を発していると思います。正直、住みたくはないけれど、いつまでもそこに有らんことを、と願わずにはいられません。
 

 

街角アートフェスティバル

2013年08月20日 | 古い建物
 ふと訪れた町の不思議な光景に、思わず歩みを止めてしまった事はありませんか?玄関先に並べられたお花や創造的なオブジェの数々・・・またある時は思い思いのメッセージを詩情溢れる言葉に託した手書き文字看板・・・町や商店をまるでキャンバスのように自由に彩る画家や詩人達に、今回は焦点を当ててみることにしましょう。題して「街角アートフェスティバル」・・・。
 
 作品タイトル「カーニバル」(東京都H市)
 東京都と言えどもかなり郊外にもなると、外食をするのも一苦労。そんな時に訪れた、うどん屋さんがもし美術館のようなうどん屋さんだったとしたら・・・。いえ、こちらは本当はうどん屋さんのような美術館かもしれません・・・。
 
 
 本物のアクセサリーをつけた不思議なオブジェと信楽焼きのタヌキの取り合わせがグー。
 

 何処を切り取っても絵になる光景・・・。
 

 五重塔の飾りはなんとサンタクロース。
 
 
 ミラーボールだって、このとおり盆栽に!そして来客にお茶を勧めるやまとなでしこ。
 



 作品タイトル「愉快なマーチ」(東京都T区)
 風邪も病気も入り口に居る愉快なカンガルーさんを見ただけで吹っ飛んできそうですね・・・。


 

 手書き文字やイラストに味があるのはアーティスト達に共通するポイントです。
 



 作品タイトル「幼心の君へ」(東京都S区)

 大規模な開発に揺れるS区ですが、すこし懐かしい通りに踊る言葉のシンフォニー。幼心を忘れない貴方と読みたい言葉です。
 



 ・・・・・・。


 作品タイトル「幸福の鳥はいずこへ」(東京都S区)
 ふくろうは苦労知らずの鳥。そんな鳥にあやかって自宅をふくろうのパラダイスに変えてしまったようです。

 

 


 作品タイトル「エチオピア」(東京都T区)
 飲食店は街行く人々の目に留まるようにあれこれ店舗のデザインに試行錯誤をするのは当然と言えば当然。でも時としてそれは町を美術館に変えてしまうミラクルも潜んでいるようです。
 




 作品タイトル「待ち遠しいティータイム」(東京都S区)
大御所の風格さえ漂うこちらのお店・・・。あれこれ言わずに時を忘れてじっと見ていたい、そんなお店です。
 



 
 作品タイトル「我ら番人達」(東京都S区)
 野外に縫いぐるみ・・・愛くるしい動物たちの物語にそっと触れてみませんか?物語は無断駐車をする車を、動物たちが見張っている所から始まります・・・。
 

 中世の騎士や動物の目が一方向を向いているのが鑑賞のポイントです。
 

古民家カフェ絵巻

2011年11月05日 | 古い建物
 数年前まで、遠くに足を伸ばさないと行けなかった古民家カフェが、東京に少しずつ増えてきているような気がします。これは家の相続の問題や家屋の老朽化などで、古い持ち家を手放す人が増えているのにも関係していると思いますが、やはり人々が日本家屋の間取りや、古い材木がかもし出す雰囲気に癒しを感じ始めているのでしょう。人々のライフスタイルは古く手のかかるものをバッサリと切り離し、身軽になった便利さと引き換えに、精神面では個々が持て余すほどのストレスを享受する生活になってしまいました。かといって、漆喰の壁や、花を飾った床の間、手入れの行き届いた庭先を照らす石灯籠などを、突然生活に持ち込む事は不可能です。その代わりにお客は古民家カフェに来さえすれば、お茶を飲む一時だけは、田舎の祖父母の家に帰省したような錯覚に囚われ、情報や雑音に振り回されている日々をしばし忘れるのです。
 しかし京都の町屋カフェなどと違って、関東では築浅の古ぼけた家屋に、古道具のテーブルを並べた、古民家もどきのお店が多いのも実情・・ここでは比較的、周囲の環境も含めて歴史を感じさせてくれる場所をご紹介いたします。

 
 東京ではありませんが、一軒家カフェ「パチャンガ」は小江戸、川越にある、一見すると、ど根性ガエルのひろしのお家みたいな、大正時代に建てられた慎ましい平屋のカフェです。廃材なんかをアートっぽく配したエントランスが面白いです。観光コースの蔵の街の通りが有名な川越ですが、カラオケや百貨店の立ち並ぶ繁華街の路地にありました。

 
 
 テラスを張り出したために庭が手狭な感じになっていますが、それがTVドラマの中庭の風景のようで、非現実的空気が流れていました。


 自由が丘にある抹茶や甘味が味わえる「古桑庵」です。大変由緒あるお家を改装したという事ですが、自由が丘は人気スポットで、休日となれば席が空くまで順番待ちで、若年層でごったがえしていました。平日にコソっと訪れるのが良いかもしれません。




 ちょっと騒々しい街ですが、古桑庵は高台に立ち、隣の敷地は神社なので、この高級住宅が並ぶ周辺でもさらにハイソな感じが漂います。ギャラリーも併設しています。
 

 このお店利用したお方々の感想が、なぜか一様に「お婆ちゃんの家みたい~♪」なのよ。どんだけ立派な家柄のお出なんだと・・・。
隣は田園調布だから、お嬢様方しか来ないんじゃない。あとは脳内お嬢様とか。

 中央線阿佐ヶ谷駅の南口を降りてパールセンターという商店街の傍にあるアジアン食堂「ワラビヤ」です。雑貨販売の店舗スペースと共に住居スペースだった場所では、2部屋でお茶や食事が出来るようになっています。天井をぶち抜いて梁を見せて、大正時代に建てられたという古民家独特の狭さを解消しています。通りにはひょうたんを栽培しているご家庭があったりと周辺もいい雰囲気です。
 

お茶室のような住居スペース部分の玄関口。
 

 同じ中央線の駅、西荻窪に普通の民家を改装したカフェレストランと衣類雑貨のお店「りげんどう」というお店があります。古民家再生のスペシャリスト達による大改装という事で、店内の内装や補修に隙がありません。
  

 荷物を運ぶリヤカーを看板代わりに使ったり、センスが光ります。
 
 
 料亭のような入り口の庭の草木の色使い・・・。
 

 最後に、三鷹にある大豆・和風創作料理「田舎」です。カフェではありませんが、平屋を大正ロマンの隠れ里的な雰囲気に改装している面白い場所です。
 

 板戸には何故か欄間が・・・。中を覗くとリゾート風の芝生やパラソル。
 

 板戸で周囲を目隠しして玄関まで歩かせる演出です。
  

  

美醜対決(渋谷区・表参道ヒルズ&代々木会館)

2011年01月19日 | 古い建物
 「青山同潤会アパート」が無くなってから、表参道周辺を行き来することが無くなって幾年月・・・。楽しかったハナエモリビルの企画展示の数々を見に行ったりの他は、なんとはなしに買い物や飲食をするでもなく、ただJR原宿駅から渋谷までよくブラブラしたものです。長年排気ガスを受けたためか、コールタールをまぶしたようにドロッとした外壁の同潤会アパートの通りに面した一階部分、絵画ギャラリーやアンティークギャラリーの窓から見えるのは、様々な絵やガレやドームのランプシェードの夢のような色合いで、夏には青々とした蔦が絡みセミがかしましく鳴いていました。都内の各所に震災後に建てられた災害に強い鉄筋コンクリートアパートの走りだった同潤会アパートが、いつごろからか急速に都内から姿を消してゆき、昭和2年に建てられた青山同潤会アパートも惜しまれつつ建て替えとなりました。2006年に表参道ヒルズとして安藤忠雄設計のオサレなファッションビルとして生まれ変わりました。
オサレと聞いて黙っていられるか。
 
 先日、たまたま青山のギャラリー巡りついでに表参道ヒルズを覗きましたが、細くとがった立地の建物の中は、広大な吹き抜け空間で、造船工場を上から覗いているように感じました。
    
 とても綺麗な照明設備と神秘的な音楽が流れていましたが、なんとなく落ち着きません。それは路地裏までガラス張りのテナントビルだらけになってしまった表参道周辺にも言える事です。明治神宮の参道として、江戸時代は林だった傾斜地を切り開いて出来た表参道が、こんな未来都市のように変貌するなんて誰が想像しえたでしょうか。
未来都市ですって、これだから田舎者は・・・。

 明治時代、参道は切通しで、斜面は石垣でしたが、その当時の姿を残しているビルです。
  

 同潤会アパートの遺構が、一部残されていましたが、綺麗に補修されていて、ちょっとがっかりです。汚く古びた雰囲気のまま残してほしかった・・・といってもテナントに活用する為にも補修は必要だったのでしょうが、なんだか白骨標本を見ているようでした。
  

 

 キラー通りの公団原宿団地も、建てかえです。
 

 代々木周辺にも足を伸ばしました。こちらは大きな変化といえばニューヨークの摩天楼のようなドコモビルが建った事でしょうが、駅前に非開発地域が僅かに残っています。専門学校や予備校の町なので、どこかしら垢抜けないのに加えて、西側のJR駅舎の外観は新しいながらも、周辺の高架下や東側の駅の出入り口は、未だにとてもクラシックなデザインです。 
 

 ドコモビルの足元には、一軒家まるごとカフェの古民家カフェ。築50年程度ですが、建て替えの多い都心では十分古民家です。板張りの垣根に風情があって隣の駐車場には屋敷守だったのか比較的小さなお稲荷様の社がありました。
 

 代々木駅の傍らにある、やはり築50年ほどの「代々木会館」のビルです。

2001年に解体予定でしたが、権利問題がこじれてまだテナントが入っていますが、2階の飲み屋街には明かりはなく、殆ど廃墟状態です。1970年代にTVドラマの撮影に使われていたようですが、その時から廃墟のような外観だったと言うことです。


 私が上京したての20年前には、軍関係の施設や、近代建築は各所にあり、このようなオンボロビルは珍しくなかったように記憶しますが、この古び方は、アジア的とでも申しましょうか・・・。
  

 勇気を振り絞って中へ。
 

 

 何ゆえに歪みが生じているのか、中途半端に螺旋のような階段・・・。
 あざ笑え洗練されたデザインを!ぶっ飛ばせ有名建築家のオサレビル!

  

 

  パ・・・。

日の出優良商店会(豊島区・東池袋)

2011年01月02日 | 古い建物
 豊島区、かつて巣鴨プリズン(東京拘置所)と呼ばれていたサンシャインシティの東、造幣局跡地が現在、東池袋駅東池袋駅再開発で、建設中のアウルタワーを始め、高層ビルが沢山建てられています。それと同時に行われている道路の拡張による民家や商店の立ち退きやらで、周辺は殺風景を極めています。以前ラーメンブームの時などは、ラーメンの名店大勝軒がある町としてよくTVでも取材があった場所です。しかしそんな中、奇跡的に開発を免れた場所があります。アップダウンが大きい土地で開発に適していなかったのが幸いしたのでしょう。昭和の雰囲気が色濃く残っているそこは、都電荒川線東池袋四丁目駅近く、かつて「日の出町」と呼ばれていた場所です。元旦にご来光を仰ぐ意味で、この日の出町に訪れました。

 
 道路拡張され見晴らしが良くなった通りの場所に、ポツンとある鮮魚屋。物干し台がいい感じです。この建物のさらに先に吸い寄せられていくと・・・都電荒川線と造幣局跡地との間に帯のように広がる非開発地域です。

  
 すでに町名として消えてしまった日之出町を偲ぶ「日之出ハウス」の文字のアパートや、蔵のあるちょっといかした工場など、不思議な雰囲気です。

  
 城壁のような石組みの下は窪地で、下った先は個性的な建物がひしめいていました。

 
 
    
 中華食材の工場、明らかに2階から上は建て増しで、強度が足りなくて震度5ぐらいで崩れてきそうな・・・。

    
 開楽・・・股に挟んで餃子を作っていそうです・・・。線路脇の不安を駆り立てる倉庫。

   
 荒川線が見えました。線路脇の建物の色合いが抹茶色。

     
 線路を渡ると日の出優良商店会です。松本零二の漫画に出てきそうなオンボロ商店街と再開発された近代都市との対比が凄いです。 

     
 ボロくもあり、懐かしくもある個性的な店舗の数々。都電沿いの商店街はかつては想像もつかない賑わいがあったと言います。隣町の大塚には芸者町の三業地もあります。


10円玉で日本旅行。

  
 強力ヂアトミン。スナックやすらぎは霊場の雰囲気でおもてなし。

つくりつけ(武蔵関~上石神井・練馬区)

2010年08月18日 | 古い建物
西武新宿線の駅のご紹介です。上石神井駅と武蔵関駅(練馬区)です。
 武蔵関駅は、その名の通り、昔関所があった場所です。武蔵関駅南口の煎餅屋。一応画像を撮る許可は頂きました。お店は立派なデザインです。湾曲したガラスケースや、煎餅を入れるガラスの丸い菓子容器、すべてつくりつけの特注だと仰っていました。お煎餅は固焼きで、香ばしいです。


  
武蔵関の料理店。色あせたビニールの雨よけに赤いガムテープを貼りなおしてドットのようにしているセンスもさることながら、ガラス戸に描かれた奇怪な動物達の顔、そしてオリジナルの手書き暖簾と、見所がつきません。
  
変ですとしか言いようがないですが、練馬区はアニメの聖地。案外プロのアニメーターが・・・。


 上石神井駅の傍、富士見商店街、季節料理おざきは、路面に面した小さい入り口の、白いモルタル壁の下の部分だけ、黒い溶岩石を貼り付けてあります。この溶岩石は静岡産で、富士石とも浅間石とも言います。神社では、狛犬やお稲荷さんの狐の台座に使われるゴツゴツとしたいかにも神秘的な雰囲気を醸し出す石で、私はこの溶岩石が殊の外好きです。
 
 
 富士石はまた、古い居酒屋の店舗のいけすを飾ります。現在のようにチルド輸送の発達していない頃は、猟師が船上で絞めた魚よりも、路面に晒された瀕死のいけす魚のほうが、生きていると言う点でいかにも新鮮に目に映り、重宝されたようです。
  
 
 青い呪縛。店内の化粧品も青で統一されていました。(上石神井・富士見商店街)
 

 青ほど高貴な色があるでしょうか?そしてすぐ隣には愛らしいフランス菓子の店チロル。(上石神井・富士見商店街)
  

チロルは昔の遊園地のおとぎの館のような、そんな夢とロマンのある店舗です。つくりつけの唯一無二のデザイン。昔の商店は、看板のロゴ、包装紙から粗品の手ぬぐい、家具にショーケース、すべてがオリジナルなので、時代を経ても古びた感じがしません。チロルの山がグラスに入ったロゴマーク、とても良いです。

赤いロマンの要塞(光座・中野区)

2010年08月07日 | 古い建物
 中野南口から、徒歩三分の所に、中野五差路一帯のシンボル的な存在の「中野光座」はありました。半廃墟といった具合の用途不明な建物で、その周囲も全て、同調するように古くレトロな建物ばかり、通るたびに不思議な後ろめたい感覚を味わったものです。中野光座はドス黒い赤のトタン張りの3階建ての建物で、隣接するマッチョな男性の色あせた手描き看板が掲げられていた中野ヘルスクラブというトレーニングジムの建物と共に、異彩を放っていました。長らく光座の赤い要塞は夜ともなると悪徳が巣食う魔物のネグラのようで、近寄る事も憚られていましたが、いつしか中野ヘルスクラブが駐車場になり、この再開発ブームの中では、光座も無くなる日も近いのではないかと思い、撮影してみることにしました。撮影後、ネットで調べると、中野光座は、昭和30年代に建てられたにっかつロマンポルノの上映を行う映画館であったということで、光座一帯を取り囲む後ろめたい空気の元凶の謎が解けました。ここ数年光座は、貸し小屋などを行っていたようですが、去る今年の5月に光座の解体のお知らせが貼られていました。

 現在はこの有様です。シートに覆われてしまったのは、赤いロマンの要塞。右は一昨年、夜中に撮影した光座です。1階は闇市のようなマーケットや飲み屋街で、様々な商店が入れ変わり立ち代り入るテナントでした。そして2階、3階は映画館でした。
 

 1階の印鑑屋の看板。
 

 一階の中の通路は吹き抜けで、上部から自然光が入る仕組みでした。光座の赤くて高い外壁は、側面だけだったようです。路面に面した店は営業していましたが、内部は長い事、廃墟化していました。


 初めて見たのに、何か懐かしい、廃墟が心の原風景であるのはどうしたことでしょうか?


 光座の向かいには、やはりこの度、閉店してしまったサウナ中野スワークのネオン看板が。ボーリング場、バッティングセンター、サウナ・・・70~80年代初頭に開店したお店や看板は何かこうデザインが斬新で訴えかけてくるものがあります。 


 五差路の角地に立つ店はとてもレトロな感じを与えます。こちらも昭和30年代の建物でしょうか?飾り窓が大正ロマンの雰囲気を残しています。


 五差路周辺は坂道なので、看板建築が若干傾いているように見えてしまいます。
 
 
 近くの暗渠の上にはモダンなデザインの橋。製菓の商店はとことんまで古いです。
  

 光座から通りをさらに南下すると、裏道沿いに2棟の古いアパートがありました。所々、ステンドグラスが入り、海外のアパルトマンのような作りですが、大木があって全容をお見せできる事ができません。中野は、地下鉄新中野もそうですが、半世紀ほど時間が止まっているような場所が沢山あって、興味がつきません。
 

 映画館の受付は黒いタイル張りで、2階にあったロビーは豪華な作りであったと言うことです。映画館の下は寿司屋、立ち飲み屋でした。映画館が独立した建物でなく、下をテナントに貸していたので、当時としては、先進的な施設だったのではないでしょうか。現在の映画館施設はショッピングモールやファッションビルに吸収されてしまう事が多く、以前のように独立した繁華街の花形といえなくなってきています。銭湯、映画館など人々の社交場はどんどん町から姿を消して行きます。銀座の景観と、日本人の文化的価値を形作ってきた歌舞伎座のような殿堂すらもガラス張りの高層貸しビルに建替えという殺伐とした時代・・・この風潮、なんとかならないものでしょうか。

末広通り(吉祥寺・武蔵野市)

2010年07月30日 | 古い建物
 開発された巨大なビル群に隠れて小さな飲み屋や商店が、忘れ去られた路地裏でひっそりと息づく様に惹かれます。
 今回は若者が住みたい町ナンバーワン(?)の吉祥寺の魅力を余すところなくお伝えします。でもお洒落なカフェに、渋いジャズバー、美味しいパン屋の類は専門外ですので不思議な場所をご紹介いたします。
 まず、井の頭公園口から出ますと、狭く、騒々しいです。バスのロータリーが無いので、バス通るとなると大騒ぎ、それに居酒屋の呼び込みが拍車をかけて、毎日がお祭りです。
 そんな祭りの中のエレガントな総合ビル。『井の頭ビル』。ロゴがなんだか昔の「女囚さそり」とか「性獣学園」とか、ちょっと怖い昭和の映画のタイトルみたいです。「井の頭ヒル(蛭)」みたいな。


 井の頭ビルに入ってるテナントのご案内の看板が、文字が猛烈にひしめき合って並んでてカッコいいです。
 
 
 カラフルで見飽きる事はありません。
 

 井の頭ビルに佇む、銅像。何気に怖いです。銅像のタイトルは「花の精」。定礎は昭和49年です。
 

 東へ進むと、井の頭線のガード下です。ガードも駅に隣接するユザワヤのビルも現在改装工事中。以前は高架下に公共トイレがあって、昼でも薄暗い場所だったんですが、これからは変わるのでしょうか?南東へ500メートル程伸びている、大きな井の頭通りの裏通り的な「末広通り」をご紹介します。
  

 末広通りのわき道にある阿羅耶識院というお寺。とてもお寺には見えない駐車場に絵馬や地蔵ががズラリ。その近くには堂々とシャボンの国のネオン管・・・。
 

 宝古堂は何時もご店主が店先に座り込んで古物というより何か朽ち果てた物を売っていますが、閉店時に店の横を覗くと、ゴミ屋敷風味が若干効いています。お店の中も多分・・・。
 

 古い商店が並んでいます。吉祥寺では珍しく雰囲気のある一角。


 整髪院「ロダン」に「ぴかそ」に「ドガ」。美術の巨匠の名前が乱立している割にはアートな雰囲気は乏しいです。
  

 アートがありました・・・でも怖いです。お化け屋敷居酒屋ならぬ、恐怖バーでしょうか?それともただのアート作品?

   

そうこう言ってると、恐怖スポット浄霊導所に。建て増ししまくった2棟の物件の、非常階段と階段が繋がって、互いに行き来できるようです。
   

末広通りの表、井の頭通り沿いにも看板が沢山あります。なんだか、建物の内部からは刺すような視線を感じます。所々、バリケードのような柵もあって、全体の雰囲気が浅間山荘を思わせます。

 
 インチキなんて口が裂けてもいえません。末広通りは、大きな井の頭通りとの高低差があるために、時空そのものがずれているような雰囲気です。500メートルほど駅前から進むと途中で、井の頭通りに合流する形で、末広通りはなくなります。
   

 末広通りからそう遠くない所、井の頭公園傍にある高級住宅街の中、まことちゃんハウスは君臨します。針葉樹と赤のストライプが絵画的な雰囲気で、春は花々で満たされます。
   
 吉祥寺の魅力を伝えるつもりがなんだかオカルト案内になってしまいました・・・。

西荻窪のタイル店舗(杉並区・西荻北)

2010年06月19日 | 古い建物
 JR中央線、西荻窪駅北口から、北へ直進したあたりにあるユニークな建物を紹介いたします。

 美容院の隣の若草というお店ですが、モダンなタイル装飾が・・・。
 
 タイルは水に強く、清潔の象徴であったから、カフェー(遊郭)や美容院の建物で好んで使われたようです。時代感覚を感じさせるデザインです。


 同じく杉並の善福寺にある建築家レーモンドが建てた、東京女子大の入り口です。2007年まで老朽化などの理由で取り壊されたチェコ・キュビズムの重要な2つの建物、旧寄宿舎と体育館がまだ校内に存在していたようです。残された校舎や、門構えなども、立派です。

練馬の休日(練馬区・豊島園)

2010年06月16日 | 古い建物
 西武鉄道が出している「探索さんぽ」を片手に、大ケヤキが境内にある白山神社(練馬四丁目)に行きました。豊島園遊園地にアクセスする豊島園駅の東側あたりですが、豊島園駅は西武池袋線、練馬駅から西武豊島線に乗り換えてたった一駅の単線です。このわざわざ一駅の為に乗り換えるのが、都電に乗っているような感じで、否応なしに遊園地への道程のワクワク感を募らせるわけですが、たしか15年ほど豊島園に行った時は、駅前の飲み屋街などが汚くて、田舎じみていた記憶が・・・。
 しかし降りて仰天。なんかそこかしこが垢抜けています。それもその筈で、都営大江戸線が開通してますし、巨大映画館施設や「庭の湯」というスパ施設もオープンしたことで、駅前周辺はすっかり近代化してしまった様子。あのひなびた田舎町のような雰囲気は何処へ行ってしまったのかと、ちょっとした浦島太郎気分になってしまいましたが、めげすに、練馬四丁目の「十一ヶ寺」から見ることに。関東大震災以降、都心から引っ越してきた11軒のお寺ですが、一区画に二列に並んで綺麗にまとまってしまっている様子がなんだかお寺の出店通りみたいです。ただ、それぞれに趣向を凝らした建物で、中にはこれでもお寺か?と思ってしまうようなものも。

 怖くない仁王像・・・。浄土宗のお寺はエントランスから来世感なムードに誘います。
  

蕎麦食い地蔵は九品院がもともと浅草にあったころの、江戸ならではのユニークな逸話のあるお地蔵様。蕎麦を毎日食べてにくる僧を蕎麦屋の店主がつけて行った所、地蔵が僧に化けていたとかで、その後地蔵に蕎麦を供え続けたところ、疫病などの災いから逃れることが出来たという・・・。文京区のこんにゃく閻魔様や塩地蔵のように食べ物が信仰に絡んでくるのが面白いと思います。通りの一番奥は流石に霊場の雰囲気。お寺の犬にしたたか吼えられたので退散。
  

 練馬4丁目にある「白山神社」は、大きな窪地の中心部にありました。神社の玉垣が新しく、どうやら近年、周辺域も含めて整備された様子・・・定期的に新しくなるお伊勢様はともかくとして、真新しい神社はなんか神様が居ないような気がしてしまうのは気のせいでしょうか?拝殿は傾斜する土地の一番高いところにあり、全国的にも珍しいと言われる相当な樹齢のケヤキの巨木が2本、天を目指して生えています。根元がくぼんだり、捻じ曲がっている様子が迫力でした。


 いったん豊島園入り口まで戻って、そのすぐ側にある、「向山庭園」へ行ったけれど整備中で、見学できずじまい。なんでも政治家の邸宅だった場所を今は、茶室のある和風庭園として開放しているらしいです。豊島園は中世に江戸城の基礎を築いた大田道灌によって滅ぼされた豊島氏の支城(本拠地は上石神井城)があった場所で、今も城址が史跡として遊園地の園内に残っているそうです。お化け屋敷には本物の落武者が出そう・・・。

 
 豊島園の入り口の北にある「庭の湯」は日本庭園を眺めながら湯に浸かれるらしいのです。まだ整備されていない坂道の空き地の途中に馬頭観世音を発見しました。大正15年に開園した豊島園、周囲にはまだまだ探せばたくさんの小さな史跡が見つかりそうです。ネットでつらつら練馬の歴史を見ていたら、都市の人口が周辺へ拡散した震災以前は、練馬全域は大根農家が殆どで、もともと板橋区だったと言う事です。

 歴史的な事はさておき、光が丘方面に向かう春日通沿いに素敵な美容院を発見。GEMINI理容美容室です。なんておしゃれ!!

 
 まるで007の敵のアジトか、サンダーバードの基地です。
  

 入り口が2つあって、右はハート、左はスペードでした・・・・。美容室と理容室を分けたからでしょうか。なんか男女別々で出てくるのは、銭湯かラブホテルみたいですが・・・。春日通りを北へ進んだ、光が丘には戦後、進駐軍が建てた外人居住地区があったので、こんなに垢抜けた雰囲気になったのでしょうか?いずれにせよ、この建物、日本的なフォルムや嗜好を無視してカッコイイです。
 ついでに節足動物みたいな外観になった建物を見つけました。雁行壁面って言うらしいのですが、伸びたり縮んだりしながら動き出しそうです。

はじめに

2010年06月16日 | 古い建物
 10年を一昔前というのなら、もう2昔前の事、私は郷里を後にしました。田舎という木屑や埃がその文字からポロポロとこぼれてきそうなその二文字と別れを告げたいからに他ならなぬ、上京という名の逃亡でした。
 私の田舎・・・そこは瀬戸内の海沿いの埋立地で、昔の海岸線の名残として、あたり一面どぶ川が広がっていました。アオサの浮いた潮が満ちては、生ぐさい臭気を放つ真っ黒な川。引き潮になれば川のヘドロの表面から炭鉱夫のように真っ黒な蟹が、穴から気ぜわしく出たり入ったりして、いびつな光景を形作ります。川岸には粗末な神社の建物、傾いた木造の商店、手入れのされていない樹林が広がり、町に出れば、けばけばしい黄色やオレンジの電球がグランドキャバレエやモーテルの看板をグルリと囲み、酒場町を猥雑な光で賑やかに満たします。そしてそんな光景と共に、切れ切れとなって浮かんでは消える恥ずかしくも悲しい思い出・・・乾いた膿に絆創膏が張り付いて、剥がそうとしても剥がれない、もはや第二の皮膚のようになってしまった古傷のような思い出がこびり付く街・・・。そんな一切合財を捨てて、東京に出てきたが良いが、あんなにも輝き、未来都市のごとくに見えた摩天楼もやがては色あせ、目まぐるしく変わる都会の刺激的毎日は、目的もなくただ生きているに過ぎないという乾いた日常へといとも簡単に転じてしまいました。
 そんな焦燥感の中、突如、小さなお稲荷さんから有名な寺院まで、祠や寺社建築を見て回る事に取り付かれ、今はその周辺に佇む門前町、花街の跡、街道沿いの宿場町を歩く事に喜びを見出しています。そこでつい足を止めて見てしまうのは、あんなにも呪詛していたはずの、板塀の奥に朽ちている木造の粗末な家々や、煤けたモルタル作りの商店です。それは閑散とした私の郷里に酷似した侘しい佇まいでした。  
 さて、そんなわけでこのブログがご紹介するのは古い街角のそぞろ歩きです。こちらをじっと見つめる猫が道先案内人で、アロエの植木鉢が連なる込み入った路地裏に誘われるままに入っていけば、破れた赤提灯が線香花火の最後のポッチリのように灯る古い飲み屋街、表通りから三間も離れていないのに、戦争前のランプが下がり、魚の煮付けの良い匂い。白い猫の影がおいでおいでとさらに誘う暗がりの向こう、何やら意味深な酒場が連なって、闇と闇とが手を繋ぎ、密やかなハートマークを形作る束の間のパラダイス・・・。そんな場所へ人が誘われるのは、生まれ出てきた生命が意識下で欲する体内への回帰、つまりは母体への思慕なのではないかという凡庸な仮説を唱えつつ、今日もまたブラリブラリとあの街角、この街角へ向かうのです。

浅草観音温泉。ネオン管が残る戦後の浅草らしい風景。