ビバ!迷宮の街角

小道に迷い込めばそこは未開のラビリント。ネオン管が誘う飲み屋街、豆タイルも眩しい赤線の街・・・。

夜のお菓子の里~その2(静岡県浜松市)

2015年10月28日 | 古い建物
 夜のお菓子の里~その1の続きです。一日目、浜名湖を後にして、名古屋の友達と浜松の居酒屋で飲み、宿泊したのは東海道沿いにあるビジネスホテルです。東海道宿場町の忘れ形見みたいなボロい商店跡が貼り付いてました。ちなみにこのホテル、卵かけご飯が絶品。東海道沿いには大きなお地蔵さんがありました。江戸時代、文字や立て看板はみだりに立てることが禁止されていたので、道標の代わりはお地蔵さんや、大きな一本松などの樹木でした。
 

 徒歩で、浜松市街地にある徳川家康の城跡を訪ねます。徳川家康は27歳から45歳までを遠州で過ごしました。1568年、引馬城を攻め、2年間過ごした後、引馬城が手狭なために新しい城を築城し、引馬の地名を浜松と改め、45歳まで留まります。役目を終えた引馬城は穀物倉として活用されたという事です。現在、引馬城跡は1886年、「東照宮」(家康公を神として祀る神社)となりました。
 東照宮周辺は不思議な空気。こじんまりとした場所ですが、ここが浜松城、駿河城、江戸城へと、天下取りを目指していったスタートラインなのです。
  

 社殿の脇、滝に打たれる獅子。鷹が龍神へと变化する様子が描かれた手水舎。鷹は家康が最も好んだ生き物で、江戸の近郊の山林ではしばしば優雅な鷹狩が催されました。
  

 西側の丘陵地の上に建つ「浜松城」へ。征夷大将軍となった家康を始め、多くの幕府の要職になった侍を輩出したために、通称、出世城と呼ばれています。現在、浜松城公園として整備され、市役所、美術館なども敷地の中にあります。天守閣は鉄筋の再現された建物ですが、野面積みの石垣は戦国時代の遺構そのままです。天守閣から望む、浜松城から西へ伸びていく浜松の三方ヶ原台地。
   

 台地の上に建つ諏訪神社。浜松城内にあった、二代目将軍秀忠の産土神を祀る神社が、三代将軍家光の命で、この地に遷座されました。七五三で有名です。近くにあった素敵な洋館。昭和3年に建てられた静岡県の浜松警察署庁舎で、現在はアートセンターとして活用されています。お硬い建物なので室内装飾は控えめでした。向かいはやはり洋館の木下恵介記念館。
  

 地図なしの勘だのみで、地名も知らないまま、赤線地帯だった双葉遊郭を目指して歩いていたのですが、なんとなく美容院やバーバーの数が多くなっていきます。
  

 近い・・・そう実感させてくれる粋な作りの商店やブロック塀の意匠に期待は膨らみます。
 

 たじま・・・

 夜の菓子の里~その3に続く。

夜のお菓子の里~その1(静岡県浜松市)

2015年10月27日 | 寺社仏閣
 過ぎ去った夏の面影を残しつつ、詩情を含んだ秋の日差しに、琥珀色に輝く湖を汽笛を鳴らして進む遊覧船。浜名湖は忘れえぬひとときを訪れた旅人に約束します・・・。
  


浜名湖に行ってまいりました。お目当ては浜名湖畔にある遊園地「浜名湖パルパル」で土日に催されるニンニンジャーショーでした。 淡水と海水が交わる汽水湖の浜名湖に付き出した庄内半島。その付け根に広がる、岸が入り組んだ奇景に広がる遊園地施設は、1959年堀江城の城跡に遠鉄によって建てられ、その名も「遠鉄舘山寺遊園地」。周辺の舘山寺温泉が1958年に出来たので、それに合わせたレジャー開発だったのでしょう。
   

 折り悪くその日は雨。JR浜松駅前からバスで起伏に飛んだ道を45分、やっとこさ浜名湖パルパルに着きましたが、雨に煙り、全ての遊具も停止していて、ショーは中止!?の不安がよぎります。そうこうしている内に晴れ間が広がり、期待のショーが開催。ところが悪役の漫談みたいなやり取りが、のんびりとしたローカル色溢れる雰囲気で、目をパチクリ。でもスーツアクターのアクションはカッコいいし、半円形の舞台は、古代ローマの剣闘士の戦いを見ているみたいな気分にさせてくれました。撮ったアクターの写真はブログに投稿不可なのが悔やまれます。


 パルパルを後にして、日が暮れないうちに観山寺温泉街を散歩。温泉街の寂れっぷりは全国共通。しかし秋の連休中にこれでは・・・。
  

 湖畔に新旧の旅館が立ち並んでいましたが、廃屋旅館も沢山あって・・・うなぎパイの看板だけがつやつや。
  
 連れ込み旅館やスナックはわずかに痕跡を残すのみ。
  

 湖に突き出た小島のような館山に佇むお寺は「曹洞宗秋葉山舘山寺」です。遠州秋葉山の僧侶が修験道の修行の末に神格化され、秋葉大権現という火伏せの神様となった秋葉信仰のお寺です。この館山寺の歴史は古く、平安時代に弘法大師が開山したという由緒正しきお寺です。山の中には遊歩道があって、湖水を眺めながら散策を楽しめます。これまた古い社殿の愛宕神社もありました。
  

 館山の中腹にある穴大師です。横穴式古墳を基礎とした岩窟です。古墳の横穴でお大師様が修行!?
  

 

 雨でジトジト、もう帰りたい~。アクセスも楽な江ノ島のほうが数千倍楽しいでしゅ。  

 お大師様の霊場を軽んじると刻んでうなぎの餌にしてよ。(館山の慈悲深い大観音様)

 うなぎの骨のお土産もありました。うなぎに捨てる場所なし。夜のお菓子の里~その2へ続く。

戦隊ヒーローを訪ねて(東京都練馬区東大泉)

2015年10月26日 | 古い建物
 最近、東映の戦隊ヒーローシリーズ「手裏剣戦隊ニンニンジャー」に年甲斐もなくはまってしまいました。日曜日は朝早くTV番組を見て、都内各所で行われる住宅展示場や公園で催される戦隊ヒーローショーの活躍に、2~3歳児に混じって奇声を発し、夜は関連雑誌などを読みふけりながら、ニンジャたちに思いを馳せる日々なのですが・・・。

 
西東京市や埼玉県志木の住宅展示場。積◯ハウスの担当さんが♪セキ◯イ~ハウス~♪と歌う歌謡ショー付き。

  
江東区のステージでは千人以上の親子連れがおしかけました・・・。


誰からも顧みられない男の心の隙間を埋めるのは、いつだってヒーローよ。


ニンニンジャーに会いたいよ~。


この前、住宅展示場に来てたでしょ?遊園地にも来てたでしょ?何度も会ったでしょ?


お外でやるヒーローショーは代替商品だと気がついたのでしゅ。


んまあ!代替とか難しい事ぬかして!中の人に失礼よ!皆我こそは本物だと思って日々戦ってるんだから!


TVの本物の戦隊ヒーローに会いたいから、東映の撮影所に行くでしゅ。


やだ!松竹撮影所があった大船の飲み屋で粘っても、寅さんがひょっこり飲みに来たりしないように、ニンニンジャーには会えないわよ!


でも2歳児には物の理屈が分からないから来ちゃったでしゅ。

 西武池袋線、大泉学園駅からほど遠くない所に、「東映東京撮影所」があります。戦前は「振興キネマ東京撮影所」という名前でした。主に時代劇などは、京都の太秦の撮影所で制作されるでしょうから、もっぱら東京の撮影所では任侠映画や不良番長シリーズ、そして子どもたちに夢を与える戦隊シリーズなどが作り出されて来たのでは無いでしょうか。映画が娯楽の中心だった時代には、銀座の街並みを再現したオープンセットなどもありましたが、現在は跡地に大型ショッピングモールが入っていて、当時の面影は微塵も感じられません。
  
 
 正面入り口は当然警戒が強く、背後から回ってみたり・・・途中、馬頭観音を見つけました。周辺は坂道が多く、交通の難所であった事が伺えます。塀の中を覗こうといくら背伸びしてもニンニンジャーは見当たりませんでした。 
  

 唯一、映画が盛んであった時代を感じるとしたら周辺にやたら美容院が多いことでしょうか?美容師も華やかな映画産業を支える仕事です。レトロ調のガラスブロックで埋め尽くされた美容院も住宅地にありました。
 
 
 大泉学園駅周辺は広範囲に開発がなされていて、古い商店の街並みは乏しいです。大きな木立が印象的な北野神社がありました。
  

 撮影所東側の風景。東映橋を渡った所にある銭湯のある通りも寂れていました。
  

 撮影所すぐ脇の通りにある飲み屋の建物。
   

 大泉学園駅名の由来はそこそこ面白く、ご紹介いたします。古くから奥多摩から運ばれた湧き水の流れる白子川などがある事から大泉という地名になり、関東大震災後、箱根土地という業者が一橋学園を大泉の地に誘致しようと周辺域を開拓しましたが、叶わず大泉学園という名前だけが残ったと言うことです。また北側の埼玉県朝霞市の自衛隊駐屯地に、昭和16年、前身となる陸軍士官学校が出来ました。それに合わせて教官の住宅地が、大泉学園駅の北の高台に築かれました。整然と区画整理された場所で、通称「将校住宅」と言われています。
 これだけあれこれ栄えていた場所ですから、怪しいスナック通りぐらいありそうなものですが、これが一掃されて居て見当たらないのです。正義の味方がぶっ飛ばしちゃったんでしょうか?(さよならをするのは戦隊ヒーローの源流ゴレンジャーレッド)