ビバ!迷宮の街角

小道に迷い込めばそこは未開のラビリント。ネオン管が誘う飲み屋街、豆タイルも眩しい赤線の街・・・。

瀬戸内国際芸術祭2013 秋会期(~その2)

2014年02月04日 | 瀬戸内の名所・旧跡
 瀬戸内国際芸術祭2013 秋会期(~その1)の続き

香川県丸亀市の猪弦一郎美術館において2013年7月13日~11月4日の会期で、大竹伸郎展「ニューニュー」が行われました。
今回行われた瀬戸内芸術祭の参加作品では無いのですが、芸術祭の立役者というべき作家の展示ということで、拝見しました。

  
 


 今回の大作、2012年、カッセルの森で展示されていた野外展示を屋内美術館に移しての展示「モンシェリー:自画像としてのスクラップ小屋」です。

 
 
 スクラップというと、昭和世代が旅行をすると、旅先の観光案内のパンフレット、旅館の箸袋、ホテルのコースター・・・なんでも印刷されたものは持ち帰り、写真と共にスクラップしたもので、そういうノスタルジックな甘さや、年代と共に色あせていく写真が示す、思い出の儚さがスクラップという言葉にあります。・・・と同時にそれは、本来の何かを表示していた目的から切り離された紙媒体たちが、貼りこむ行為によって死滅せられた残骸をも示してして、旅先での思い出を共存し得ないスクラップした本人以外の人が見るとまさにスクラップゴミであるという皮肉があります。

  

 中では、自動演奏をするエレキギターが、不気味な音を奏でていたり、昔の音楽番組の音がエンドレスで流れています。「俺達を忘れるな!」と作品が叫んでいるような気がしました。

 

 海岸沿いの寒村のスナックのような・・・そんな感じです。打ち捨てられたボートやキャンピングカー。いろいろなメッセージがそこから読み解けそうでいて、ブクブクと飽和しては、その重力で形を成さずに崩れ去る泡のように、印象の根幹が捉えられないもどかしさ・・・そこもまた魅力です。(分かりやすく言うと、なんじゃこりゃ!って事です。)
 
   

 他にも新作の立体やドローイングの作品、遊戯施設の廃墟の一部を作品としたものなのどがありました。また美術館の入り口上部には、「宇和島駅」のネオンサイン。とてもノスタルジック。
  

 もうひとつ、瀬戸内のアートを語る上で外せない香川県高松市にある建物をご紹介いたします。丹下健三の「香川県旧庁舎」です。1958年竣工、地上8階建て、鉄筋コンクリート造りです。当時、権威的な戦前の洋風建築が主だった県庁舎の建物の中で、このコンクリートの洋風な装飾を廃した建築物は大変モダンな存在でした。幼少の頃からこの建物を見ていた私は、公共の建物というものは逆にこういうスクエアを重ねた作りのものだと思っていたので、地方の無機質な図書館や公民館などを見ると、妙に懐かしかったりします。
 

 しかしただの無機的な建物だと思っていたのは子供の無知ゆえ、建物は五重塔のような重層構造で、築山や太鼓橋のある日本庭園を設け、ロビーには茶の湯の精神を現した猪熊弦一郎の陶板壁画・・・と実に贅沢なつくりです。
 特筆すべきは、強度ギリギリに張り出した各階のバルコニーとそれを支える薄い梁で、50年以上経った今も、コンクリートには亀裂が入っていません。大勢の職人たちが竹竿で生コンと砂をかき混ぜて、完全に空気を抜いてコンクリートを固めていた当時だからこそ出来た技術で、逆に現在のスピードを重視した建築工程では、再現できないという話です。

  

 一枚岩を削り出したテーブルや、砂利を敷き詰めた地面、作り付けの家具、すべて美術的価値があるという事で、新庁舎に機能が移った今も旧庁舎は、公開保存されています。

 

  

瀬戸内国際芸術祭2013 秋会期(~その1)

2013年10月29日 | 瀬戸内の名所・旧跡
3年に一度開催される瀬戸内国際芸術祭に行ってまいりました。今回は春夏秋と3シーズンに分かれた会期で開催され、瀬戸内の「栗島」「高見島」「本島」が新たに開催場所として加わりました。
 前回、お邪魔した時は「男木島」「直島」へ行きましたが、今回は「木島」「女木島」「本島」へ伺いました。

 「女木島」はうどん県にあるメインポートとなる高松港に一番近い島で、昔は遠泳の授業で泳いで渡ったとさえ言われているぐらい、高松よりの島です。通称は「鬼ヶ島」。人工の大きな洞窟が島の山頂にあることから、ついた名ですが、海賊と思しき賊が住んでいたであろう洞窟の歴史的価値など詳しいことは分かっていません。

 のっけから台風の影響で大荒れで不安な旅路。しかし波頭が少し白い程度だった瀬戸内より、太平洋側のほうが大変な事になっていたようですが・・・。

 「女木島」「男木島」を行く「めおん」という船の名が既にアート。女木島の港にはかわいいカモメのアート。
  

 女木島の港の近くに松林の神社があって、その裏に休校になった小学校があります。その中庭に展開されているのが、大竹伸郎作品の巨大な「女根/めこん」です。男木島だったら「〇根」ですから、もうとてつもなく意味深なネーミングです。 
   

 小学校の下駄箱周辺が入り口になっていて、最初に目にするのが女性のお股の根っこです。
   

   オマタ・・。
 

 まるで昭和に開催された万国博覧会の展示のようににぎやかな虹の庇。




 同氏の作品「直島」の「I💛湯」のように密度のあるコラージュされたタイル装飾。
 

 淫靡な雰囲気の熱帯植物は、昭和に流行した「ローマ風呂」「熱海温泉」といった南国的パラダイスへの憧憬を感じます。
  

 作品を埋め尽くす廃材は一度その命を終えたのに、作家によってアートに蘇った屍達が、思わず漏らす歓喜の声・・・。
  

 

 

 休校した学校に残された子供たちの作品もまた趣がある感じです。かつては子供たちの教育の現場だった場所が、性のパラダイスを表出する作品展示会場となってしまった事が「女根」というスケールの大きな作品にさらに、奥行を与えていると思います。
 
 
 女木島の小高い山頂に登山して行く途中に古墳がありました。ここは古墳時代に、瀬戸内の海運において何か重要な場所であったのかもしれません。そして、わたしが幼少の時、目にした洞窟には無かった鬼のオブジェがお目見え。(B級観光地の必須アイテムセメント人形)
 

 真っ暗な洞内で展開されていた「カタツムリの軌跡」という映像作品。そしてB級観光地ならではの鬼に閉じ込められた女の人形。ちょうどこの時洞内には私一人きり・・・。
 

 鬼がサヨナラーはいいけれど、後ろのパネルで大人数なのを演出なのはいかがなものでしょう。帰りの道すがらは、蛇やスズメバチに遭遇しして、「高野聖」のお坊さんのように自然の脅威に蹂躙されながら転がるように下山しました。「めおん」の船内には不思議な抽象絵画。
  

交通安全の母子像(さぬきうどん県)

2013年06月01日 | 瀬戸内の名所・旧跡
 さぬきうどん県にしばし里帰りしましたが、体調が優れず、セルフうどんの店でうどんを食しただけで貴重な休日は無くなってしまいました。

 のっけからシュールな光景。刑務所の三文字よりも、うどんの三文字に目が行くのはもう、うどん王国民の悲しい性・・・。


 どこもかしこもうどん。うどん焼きに、うどん130円の行列店・・・。
 

郊外から国道11号線沿いに徒歩で市街地まで歩くと、目に留まる異形の交通安全親子。


 割烹着を着ている母親の姿か形からすると戦後すぐの作品かもしれません。
   そうかもね!

 母子像・・・。


 この町に育つと「あれな~に?」と親に問うことが戒律に触れるということを覚えます。
 

 瓦町の商店街にある鳥居を潜ると、ブルーフィルム映画館で「男の壺飼育」を上映中。
  

 バーりぼん・・・。


 でもやっぱり順子の部屋は瀬戸の玉石!
 
 
 商店街中心部は、クリスタルパレス風・・・うどん県らしからぬ感じ。
   

 さぬきうどん駅。徹底したうどん主義にナチを思う今日この頃。
  そうかもね!

瀬戸内国際芸術祭の思い出その二(瀬戸内)

2010年12月30日 | 瀬戸内の名所・旧跡
 直島の続きです。「木村エリア」を堪能した後、島の反対側の宮浦港にある「宮浦エリア」へ向かう事にしました。標高は低いですが、行きは、港から木村エリアまでバスでの山越えでした。帰りは何を血迷ったか、炎天下の中徒歩での強行軍を自らに強いたのです・・・が迷子ちゃん。アスファルトの道を行きつ戻りつ、地図を逆さにしたり回したり、そうこうしているうちに、熱中症で意識が朦朧としてきて、ようやく分かりやすいバスの一本道を見つけて、ヨタヨタ歩くうちに出会った横断歩道を渡るこのぼくちゃん。




小学校の前とは言え、車といってもバスが一時間に数本・・・。この人形、本当に必要なのか・・・頭が煮えたカニ味噌になりそうになりながら、ようやく宮浦港へ到着。

 
 古びた食堂のある小さな路地に、見えてきた直島の銭湯。こちらは銭湯自体がアート、入浴できるので究極の体感型アートです。「Iラブ湯」の正式表記はラブの部分がハートです。

 直島銭湯「Iラブ湯」大竹伸朗
  

 目を奪う、女性が座ったシルエットのネオンサイン。これを見た父は「遊郭だ」と言っていました。戦後のある時期、遊郭はタイルとネオンサインで入り口を飾りたてられていたのでさもありなんです。私は、昭和に開催された神戸や筑波の博覧会や今はもう閉園してない奈良や横浜のドリームランドを見たときに感じたある種のものを感じました。「体が浮遊するほどのワクワク」・・・最近のイベントや建物にはこれがありません。子供の頃いろいろなものを見聞きして、感じたものは思い出の中で美化されているわけではなく、やはり造形が力強かったからだと思うのです。田舎のデパートの屋上にもささやかな遊園地があって、お城にモノレール、鬼にボールをぶつけるゲーム、ウルトラマンショー・・・全て子供だましですが、克明に覚えています。

    
 壁面は湘南の海の家のような、廃材アートの数々。汚れているような壁面は丁寧に色づけされていて、不思議なオブジェの置き方にも相当気を配っているようです。
   

 もう何処を切り取っても面白い造形の花畑。上も下も、縦横無尽にコラージュされたオブジェの博覧会、機知と冗談が交じり合う夢の遊戯場・・・けれど用途は島の人も入りに来る銭湯なのです。
      
 近隣の民家にまで不思議なオブジェは飛び火してます。屋根の上には船まで・・・。ラブホテルやアミューズメント系のレストランでたまに見かけるおかしな内装や看板も5分も見れば見飽きます。しかしこの銭湯の概観、見飽ることはありません。
      

 中の浴室では、泥だらけの素足でウロウロしたり、撮影禁止なのに撮影したりの無法者達にゲンナリさせられましたが、そこそこ楽しい空間でした。カランには小さな日活ロマンポルノのポスターがアクリルで閉じ込められていたり、窓の外はジャングル風呂のような観葉植物の傍にエマニエルチェアー、半透明の浴槽には春画がコラージュされていて、性と欲の博物館のようでした。不謹慎の象徴として、とある秘法館の入り口にあった象さんのオブジェが、男湯と女湯のちょうど間に鎮座しています。浴室にあの世感漂う電子音楽も流れていて、半透明の天蓋からはやさしい光が注いで、日中熱中症になった事もあって、しばらく浴槽から出れませんでした。

   

 
 入り口のタイルも色とりどり。銭湯が派手な破風を構えた寺社のようだったり、浴槽のタイルがド派手であった時代、楽園は人々の生活の身近にありました。さて現代の楽園はいずこへ・・・パソコンの中の仮想現実やキャバクラだけだとしたら悲しいですよね。直島に現れたお湯の流れる竜宮城は艶やかでありつつも、楽園不在の世の中を憂いているような気がしました。

  


  
 宮浦港にあるカボチャのオブジェは物凄い違和感・・・だけどこの異物がここから無くなってしまったらどうしようと思わせる・・・いい造形にはそんな力があります。太陽の塔、エッフェル塔、そしてこの港のカボチャ。このカボチャを見つつ、直島からフェリーで岡山の宇野港へと向かい帰途につきました。

 瀬戸内国際芸術祭2010

瀬戸内国際芸術祭の思い出その一(瀬戸内)

2010年12月27日 | 瀬戸内の名所・旧跡
 朗報。2010年瀬戸内国際芸術祭の数々のアート作品が、会期が終わった後も公開されるという事です。あの猛暑の中、これで見納めと、死にそうになりながら歩いていたのは何だったんだと思いつつも、今度は空いている時に見よう・・・とのん気に旅への期待を膨らませています。
 もう会期が過ぎてしまいましたが、ご紹介するのは直島です。直島は瀬戸内で原発が事故でも起こさない限り、すべての作品が四季を通じて見ることが出来ます。安藤忠雄の建築したベネッセミュージアムや、地中美術館で名高いアートの島ですが・・・しかし今回は大阪万博アメリカ館の月の石を見るよりも困難を極めた安藤忠雄の建築はスルーし、フェリー乗り場周辺の「宮浦エリア」と、民家をそのままアート作品として大胆に改装した家プロジェクトのある「木村エリア」を散策しました。まず、宮浦港からバスに乗り、島の反対側の木村エリアへ。のんびりした小さな集落を地図を片手にうろうろすると、まず綺麗に整備された家並みに驚きます。家々の塀は腐らないように黒く焼かれた焼板で、白い漆喰とのモノトーンの対比が鮮やか、所々にある凝った金具の意匠など、島の集落の建物というよりも武家屋敷や商人町を眺め見ているような風情です。京都ですら、町屋の存続が難しいというのに、古い町並みを建物の保存もかねてアートの島にしたという着眼点、恐れ入ります。
  
 もちろんアートの展示場以外のタバコ屋や喫茶室も店舗は少ないながら、個性的なお店ばかりで、中途半端な草木染や健康グッズなどを売る怪しさ満点の土産物屋が建って、来訪者をゲンナリさせるような事もありません。
   
 真夏の日差しは耐え難いほどでしたが、惚れ惚れするような古い家並みのたたずまいを歩くと、古い日本映画の主人公になったようです。しかしやはり主役はアート、個々の会場の質にばらつきはあるものの、スケールの大きさで魅了した作品を紹介してみます。
 
   
 「はいしゃ」大竹伸朗
 一見ありがちな2階建ての住居は、トタンや廃材、様々なオブジェでくるまれて異形の館となりました。中に入ればポップでクレイジー、とどめは吹き抜けに巨大な自由の女神、見るものの常識や観念を打ち砕く巨大な装置と化したこの民家の元が歯医者だったとの説明を聞いて「そのはいしゃだったのか」とまた笑いが起きる楽しさ。まるでダンボールアートの日比野克彦とかが活躍していた時の80年代の夢が蘇ってきます。芸術か、冗談か、所々に垣間見えるアートかぶれの学生が熱病のようにボロアパートを勝手に改装しているような中途半端さは意図されたものなのか・・・違和感であったり、驚きであったり、笑いであったり・・・そんな感覚がミルフィーユのように記憶の上に確実に層をなして蓄積されていきます。
    

 「門屋」宮島達男
 島の人々にそれぞれ早さを設定してもらって、様々な速さで点滅する無数の光のデジタルカウンターが、築200年経つ、真っ暗な古民家の中で点滅します。目まぐるしく進むカウンターもあれば、時を止めたようにゆっくりと点滅するカウンターもあります。それが示すものは、人のそれぞれ持つ時間の流れの違い、それは人生の長さという神様しか見ることの出来ない生命の時計のなのでしょうか・・・。古い民家の形作る夜のような闇は深く、明り取りの建具を通して降り注ぐ外の光はもはや別の世界、はたして電子蛍のようなカウンターを見ている私は生きているのか死んでいるのか・・・時間や思考を拡散していくように点滅するおびただしい光の中で誰しも、言葉を失うはずです。
  

 「護王神社」杉本博司 
 島の小高い山の上にある神社、森の中に突然開ける広い場所。
   
 夏の日に照らされて輝く、氷のようなガラスの階段は下の石室へと続き、その石室の中ではわずかな光がガラスを通して石室に届きます。 
 
 神聖な存在をガラスというクラシカルな趣とモダンなテイストの両極を併せ持つ素材で視覚化する所に面白さがあると思います。石室は本当の暗がりで、細長く、懐中電灯でも足元が見えないほどでした。この土地がが本当の神社の敷地である事など、スケールの大きな作品です。(下の石室で暗闇にも関わらずガキが大ハシャギしていて、鑑賞どころの騒ぎではありませんでしたが・・・。)
 
 「石橋」千住博
 製塩業で栄えた石橋家の中庭を望む部屋では禅寺風の襖絵、暗い部屋では千住博の有名な滝の絵が鑑賞できます。中庭はけして絶景とは言えません。襖絵はどんな絵だったのか記憶がありません。口々に批評家のように揶揄している関西弁のオバチャン達のオーラに掻き消されてしまったのです。また滝の絵は、いつかデパートの冷房が効いた展示会場で見たときは水しぶきの中に佇むようでその静けさに圧倒されたのに、夏の蒸し風呂のような家屋の中では苦行でした。氏の作品が現代アートというよりはやや古典に傾いているので、日本家屋との相性はいいのですがやや全体的に地味な作品になってしまったようです。
 

 (瀬戸内国際芸術祭の思い出そのニへ続く)

瀬戸内国際芸術祭閉幕間近(瀬戸内)

2010年10月21日 | 瀬戸内の名所・旧跡
 瀬戸内国際芸術祭が10月末に閉幕します。まさに今カウントダウンの段階ですが、ちょっとだけ先月に起きた火災について触れておきたいと思います。男木島で未明に工場から火災が発生して、隣接していたアートの展示会場となった海辺の公民館と共に、画家の大岩オスカールさんの作品「大岩島」が全焼した事についてです。

 壁面に鏡を使って絵画の巨大風景を形作った作品「大岩島」。

 この公民館を含む4棟が焼ける火事でした。

未だに解せなくてよ・・・何ゆえに消火が出来なかったのか・・・。

島じゃ蛇口からはウドン出汁、ホースも下手すりゃウドンなのよ!(不謹慎発言)


瀬戸内の島々はアートの島としてこれからも発展してゆくでしょうから、今回の事故が何がしかの教訓になれば良いと思います。全国区に知れ渡る催しとして明るい期待を寄せていただけに、残念な事故です。
 
 この家並み、守り伝えて欲しいと思います。

  
メイン会場の直島、特に様々なイメージがコラージュされた建築アート『愛ラブ湯』について、芸術祭会期中に更新できんことを祈って・・・。

瀬戸内国際芸術祭2010

君知るやアートの島その二(瀬戸内)

2010年09月05日 | 瀬戸内の名所・旧跡
 9月を過ぎましたが、まれに見る猛暑のおかげでいまだ夏気分。
「瀬戸内国際芸術祭2010」の会場のひとつ、男木島。君知るやアートの島その一の続きです。 
    

 今回展示会場に選ばれたのは、島で使われなくなった廃墟同然の木造建物で、修繕された後に、アート作品が展示されています。廃墟に訪れた事がある方ならご存知とは思いますが、住む人の居なくなった建物は凄まじい雰囲気を放つものです。かつての住人の歴史が痛ましく風化していくことを示す生活用品の残骸やら、朽ちていく木や壁の放つ埃やカビの匂い・・・。
何名かの作家は、男木島ののどかな風土よりも、廃屋が散在する朽ちた島ということに焦点を当てて作品つくりをしているようでした。若手の作家の作品で、蔵の中は、残酷な殺人事件の新聞の切抜きで一杯というインスタレーションがありましたが、島全体がお祭りムードだったために凄惨な感じは受けませんでした。

   

 こちらは殆ど修繕されてういないボロボロの民家の中で、小型モーターをつけられた羽がプルプル震える作品でした。鈴がつけられていて、羽が動くと切なくチリチリと鳴くのですが、とても怖くて声を上げてしまいました。
   

 急勾配の島に住むお婆さん達の生活を支えるオンバという乳母車に焦点を当てたオンバファクトリーは、実際に今でも使われているオンバに無料で、ユニークな装飾を施すカスタマイズの工房と、島に訪れた人をもてなすカフェを作り、楽しい憩いの場を提供しようという試みです。また様々な島の人の家屋がカフェやお休みどころとして提供されていました。

     

 うちわの骨の家は、香川県丸亀の名産品である、うちわの骨をかつて駄菓子屋だった建物中に張り巡らした展示。昔ながらの生活用具として親しまれたうちわの骨に囲まれると、まるで瀬戸という風土、歴史そのもののカタコンベのようであり、すだれで日光をさえぎった町屋のような美に時すら忘れる心地でした・・・。 
   

 

 と思いきや、島のガキども数名がけたたましく叫びながら出たり入ったり、挙句の果ては家屋の中で飛び跳ねてうちわが取れそうだったので、「壊れたらどうするの?君たちは島の子なのか?」と聞いたら、そのうちの主犯格のガキが「わしゃ丸亀の子じゃあけん、島の子じゃないきん、でもこの男木島は丸亀よりおもろいで~」と一声叫んだかと思うと、山猿のように山の中に消えて行きました。・・・まあ、丸亀より面白いというのは頷けます。丸亀の息苦しくなるような町の過疎っぷりを知るだけに、ここは、ガキにとっては特別羽目をはずせる島なのでしょう。

 島の海沿いにある加茂神社の参道にもアートがありました。ユーカリの木の根を積み上げているのだそうです。 
   

 あまりの暑さにフラフラ、小さな路地に駄菓子屋を発見、ペットボトルを買うと、店のバー様の発した粗忽な物言いに軽く失神・・・。

   

 この島の言葉、正気の沙汰じゃないわ!
 陸の言葉を知らないのね!
 ソコチュな物言いがアートなんでちゅ!

 イライラは禁物・・・そこへ地元の人の浮きを改造した和みアート登場で、気分がほぐれます。正式にエントリーしているわけじゃありませんが、インパクトで他を圧倒中。島では他にも多数作品を目に出来ました。
   

 帰りの船の時間が近づいたので、海岸に戻る事にします。ちょうど、船の通ったあとが、ファスナーの開閉のように見えるこれもアート作品のファスナー船が湾に入りました。
   

 海岸近く、公民館だった場所に鏡を張って、巨大なモノトーンの壁画を登場させた大岩オスカールの作品。イメージしたのが瀬戸内の島々ということだが、絵は西表島のようなジャングルの植生に近い感じ。これは接してきた風土の違いでしょうか。
  

 
  他の島と違って会期中のみの作品が主ですが、男木島は古い石段の町並みが得がたい雰囲気をかもし出していて、思い出深い場所です。(瀬戸内芸術祭の思い出その一に続く)

君知るやアートの島その一(瀬戸内)

2010年08月26日 | 瀬戸内の名所・旧跡
 君知るやアートの島。 「瀬戸内国際芸術祭2010」 が、岡山県と香川県の島々で行われております。1992年、岡山よりの孤島に宿泊施設と美術館が一体となった、安藤忠雄設計のベネッセハウスミュージアムが建設されたことで、アートの島として海外でも注目を集めている今回のメイン会場とも言える「直島」と、会期中のみアート作品が展示される大小の島のひとつ、「男木島」に行ってきました。また、この芸術祭会期後も女木島、犬島、豊島などは現代美術を扱う美術館や施設は残され、瀬戸内全体がアートの島となる日も近いようです。

 

 いまや直島は、アートの竜宮城。アートファン、とりわけ安藤忠雄の建築物の愛好家なら一度は訪れてみたいところ・・・といっても私の郷里は瀬戸内で、毎日嫌でも眼に入る海に浮かぶ島々に今更何ができようと知ったことは無いのでした。
 子供のころから、私は郷里を呪い、海を呪っていました。いや、呪われていたというほうが正しいのです。瀬戸内海はそれは恐ろしい場所でした。鉛色の海面を度々、海水汚染の赤潮に染める瀬戸内は、今でこそ瀬戸大橋が開通していますが、それ以前は本州へ行くのは連絡船のフェリーや高速艇のホバークラフトのみで、海難事故とは背中合わせでした。瀬戸大橋開通後も、本州とのアクセスは俄然便利になると思いきや、ひとたび風が吹けば橋は通行不可、ここでもまたかつての連絡線登場で、荒れ狂う海の中をタイタニック号やさながら船室の中を横滑りしつつ海を渡らねばならないなどと、海の猛威は海沿いに住まうわわれに度々襲い掛かります。その他にも、人食いザメの島、産業廃棄物の島、ハンセン病患者を隔離した島、(今は人権侵害的な隔離は行われていません。)土葬がいまだに行われている島、鬼が住まったといわれる島など、奇々怪々な島々は、打ち捨てられた網や魚貝の死骸がジリジリと焼け付く日差しによって放つ腐敗臭を海岸に漂わせ、地中海ブルーの海面を飛び交うカモメやオリーブの林が誘う楽園のような穏やかな瀬戸内のイメージという作られた虚像をあざ笑います。
 でも、なんだか、周囲が「安藤忠雄の地中美術館ってとっても凄いのよ!」とか騒いでいると「なんがでっきょん、なんしよん(何か行われるのですか)」と、田舎者根性で覗き見したくなってしまって、帰省も兼ねてアート巡りに勤しんできました。
・・・とその前に、島へ行く方への三カ条、

   その1、島は田舎者だらけです。

 田舎のひとは基本的に無礼です。彼らが観光客へ向けての挨拶代わりに行う罵倒や悪態には深い意味もありません。洗練された物腰は期待せず、いかに無礼とはいえ、サルやコウモリしか居ない無人島でない事に感謝しましょう。

  その2、水は井戸かため池で汲みましょう。蛇口をひねると出るのはウドンの出汁です。

 瀬戸内、とりわけ香川県寄りは雨が降りません。喉を潤す水は井戸か、あらかじめ讃岐平野に点在するため池で汲みましょう。自販機には飲み物は無く、避妊具、乾電池が中心です。また蛇口を捻って出てくるのはウドン出汁です。ちなみに愛媛県ではミカンジュースが出ます。

  その3、島へのアクセスは連絡船および高速艇で。 

瀬戸内には芸術祭の会場を周遊する船がありません。島に行っては陸に引き返す、連絡船および高速艇をご利用ください。なおどうしても周遊したい方へはたらいウドンのたらいでどうぞ。快適な海の旅をお約束します。

 いい加減分かっているつもりでも、毎回この三カ条を忘れるために、田舎では、難儀をする私です。それでは、香川で一泊後、アートの島、直島にいざと思いきや、香川県側の高松港で、連絡線か高速艇のアクセスどちらかで迷っているうちに、どちらも出航してしまうという味噌っかすぶりを発揮してしまい、次の出航を待っていると日が暮れるので、比較的アクセスの簡単な男木島へ行きました。「♪瀬戸は日暮れて夕凪小凪~ あなたの元へお嫁に行くの~」と、船内に流れる「瀬戸の花嫁」が旅情を誘います。同名の映画で主演した森なんとかさんも、歌を歌っていた小柳何とかさんも「♪愛があるから大丈夫なの~」と歌どおりにはいかないのは皮肉です。
    

 男木島は地元では鬼が島と呼ばれていた女木島とセットの島で、泳ぎに自信のあるものは、陸地から泳いで渡るような場所です。たらいウドンのたらいが見当たらなかったので、男木島連絡船に乗ると40分の航行でした。出航を見守るのが、今は廃墟のかつての高松港管理事務所。芸術祭期間中は鏡でおめかししてます。大空襲を経験している高松市街地では唯一残る戦前の近代建物です。20年前は、栗林動物園の苔むした門、被災して黒こげのまま戦後も使われた琴平電鉄瓦町駅舎の十角堂など、古い建築物がチラホラ残っていました。

     

 みじかい船旅の末に見えてきた男木島の町並み。尾道みたいな綺麗で味のある屋根の連なりに期待が高まります。
 「瀬戸内海いうて馬鹿にしょったけど、こんなん知らなんだわ!」
 白い建物は、男木島の総合案内所となるジャウメ・プレンサ作「男木島の魂」です。外堀を持つ建物で、貝を模した白い屋根はとても綺麗でした。しかし今年の夏は異常な暑さ。世界中の文字を透かし彫りにした屋根からは殺人紫外線が中の我々を照射!おまけに建物の中のうどん屋の店員が島のばーさま連中で、空腹に喘ぐ客を尻目に、ドリフのコントみたいな鈍さ具合はもうアートでした。ようやく出てきた腰の無いソフト麺みたいなウドンを食っていると、足元には船虫が熱でやられて転がってしました。


    

 男木島は急勾配の島で、アートの展示場となるのは海の航行を見守る山の中腹に立つ、安産の神様の豊玉姫神社の参道となります。海岸からも小さく山の鳥居が見えてとても神聖な感じがします。
      

 鳥居を潜ってひたすら、石段をあがります。明治以降に作られたという石組みですが、所々崖だったり、石組みがずれていたりで、下駄やサンダルでは歩き回るのは無理です。すごい場所をアート会場にしたな、と呆れつつも、見た事の無い景色、町並みの連続で驚嘆しました。まさに海に浮かぶ迷宮!
     
 
 迷路を只管登っていくと、程なくしてパラパラ姿を現す、アート作品。屋外展示の雨の降らない島で井戸水が生活の糧だった頃を偲ばせるインスタレーシュンは面白かったです。景色にもなじんでいるし、穴があけられて、水が滴り落ちる容器も生活感があります。絵画や彫刻しか見た事の無い地元の親族などは理解に苦しんだようですが。
  
 
 昔の人は太鼓橋が大好き。意図的なのか、青い一輪車が置いてありました。猛暑でしたが、かすかな海風が複雑な家並みの間をソロリと駆け抜けていきます。


これといった案内も無い道を右往左往。有料の地図も心もとないもので、スタッフも居るだけで質疑応答は出来ない人が殆どでした。ですので、少し時間に余裕をもって、周囲の町並みを含めてブラブラ見るのがお勧め。
   

 山の中腹、豊玉姫神社の眺めと境内にあった椅子とゴーヤの蔓で木陰を作った展示。
 
      

 こんなに暑くさえなければ楽園のような景色。
   
 
 見晴の良い場所にある中西ひろむと中井岳夫合作「空の海と石垣の町」。景色の赤い屋根、小さな小人のお家、家並みの複雑さを視覚化したようでもあり、自由研究課題の巣箱のようであり・・・。作品上部の壁は古い船底の板で不思議な風合いです。

   



 男木島では誰でもきっと好きな光景に出会えると思います。(君知るやアートの島そのニへ続く)