ビバ!迷宮の街角

小道に迷い込めばそこは未開のラビリント。ネオン管が誘う飲み屋街、豆タイルも眩しい赤線の街・・・。

江戸情緒の和風ビジネスホテル~その2(都内)

2011年11月14日 | 旅荘・簡易宿所
 和風ビジネスホテル~その1の続きです。

  池袋「水○」
 ハイソな目白から一転、ラブホらだけの池袋です。戦前は電車も止まらない、巣鴨刑務所があるだけの辺ぴな巣鴨村という場所でしたが、戦後は、国鉄、西武池袋線、地下鉄が繋がるターミナルとして目覚しい発展を遂げました。また池袋は西口駅前から池袋1丁目~3丁目とはてしなく続くホテル街があって、その規模は歌舞伎町や鶯谷のホテル街を凌いでたぶん都内最大です。ホテル街の最も入り組んだ果ての静かな民家が立ち並ぶ場所にあったビジネスホテルの水○。長期滞在の方が多いようで、ドヤ街にある簡易宿泊所のような雰囲気もありますが、コンクリートの擬木を使った装飾に、ささやかな高級感が見て取れます。
 

 
 裏口の茶室のような擬似木と、青いゴミバケツの取り合わせ。
 

 砂利の洗出しの塀に光るご案内看板。
 

 長期滞在もご歓迎いたします。


 大久保「なが○き」
 大久保界隈は江戸時代は、徳川将軍の警護にあたる百人同心の住んでいた場所(百人町)で、のちに音楽家などが住まう高級住宅街になりましたが、東京大空襲で焼け野原になった後は、木賃宿のドヤ街、コリアンタウン、街娼御用達のラブホテル街・・・と場末に転じていきましたが、今現在は韓流ブームのお陰で、かつての後ろめたい雰囲気のホテル街は、韓流スターのグッズショップや焼肉屋さんがひしめく賑やかな通りに変変わりました。でも古めかしいビジネスホテルの通りもまだ健在でした。
 
 まるでカフェーのように不思議なタイルの柱や、V型にえぐれた屋根の斬新なデザインに昭和のセンスを感じます。
  
 和洋折衷の店舗が二店舗続いていますが、どちらのアプローチも上品です。夜の看板の色合い・・・。
  

 昼は静かな心の奥の情念が 日暮れとともに騒ぎ出し
   

暗がりに佇む人に マドンナの微笑を見出してしまうそんな夜
月よりも明るいネオンが そっと囁く愛の秘密
  

 またのお越しをお待ちいたしております。

江戸情緒の和風ビジネスホテル~その1(都内)

2011年11月13日 | 旅荘・簡易宿所
 和風ビジネスホテルがとても気になります。昔は逆さくらげのマークがついていた「連れ込み旅館」と呼んでいたそうなのですが、今現在は和風ビジネスホテル、または「旅荘」と呼びます。
 ビジネス・・・こんなに都合の良い響きがまたとあるでしょうか?お父さんが後ろめたい事を突かれた場合、ここぞとばかり「これは仕事の上の付き合いだから仕方が無いだろう!」といぶかる妻を叱責しつつ煙に巻く時、「ビジネス」の言葉の威力は絶大です。
 もうお仕事ならしかたないわね!

 今回ご紹介するビジネスホテル(旅荘)とは、営業や出張などのお仕事の為や、観光ホテルを敬遠して旅費を抑える旅行者のための簡易宿泊施設としての事ではありません。なんだかウドン屋と蕎麦屋と小料理屋がごっちゃになったような外観の純和風を売りにしたビジネスホテルです。そういったビジネスホテルはラブホテル街に存在する事が多いようですが、殆どの場合、その前身は、連れ込み旅館でした。その他、芸者さんとの宴席を持つ御茶屋さん(待合)が不景気で連れ込み旅館に転業したり、もともと日雇い労働者の木賃宿(ドヤ)だったり・・・様々です。
 和風ビジネスホテルはやはりその古風な外観こそ命。仲居さんが接待して、中に景色抜群の露天風呂でも装備して居るんじゃないだろうかとさえ思わせてしまう、ビジネス旅館をご紹介いたします。

 吉祥寺「旅荘 和歌○」
 
 神田川の源流でもあり吉祥寺の駅から近い井之頭公園にある井の頭のお池は、徳川家光候のお鷹狩の場所として、また井の頭の池に浮かぶ井の頭弁財天は、江戸郊外の名所として古くから人々に親しまれておりました。そんな場所にある緑色の外壁が木立に溶けて眩しく微笑む和歌○です。
 

 

 料金表の看板が扇型なのが洒落ています。吉祥寺は、戦後は連れ込み旅館のメッカで、池の周辺は旅館だらけであったと言います。現在は静かな住宅地に囲まれていますが、和歌水はそんな数少ない連れ込み宿の生き残り。池の北側の繁華街の近くには小規模ながらホテル街があります。
  

 駒込「江○駒」
 江戸時代、城下に暮らす諸大名の娯楽と言えば、広大な下屋敷に繰り広げられた日本庭園造りで、その庭園を飾ったのが駒込で生産される桜やサツキといった花々の立木でした。また駒込には六義園、旧古河庭園など、都内でも屈指の日本庭園が現存していて、町全体が風雅な雰囲気に溢れています。駒込駅の近くにある坂道を登ると神社があり、その石段脇に立つ江○駒。入り口には植木と石を配して江戸情緒を存分にアピールしているようでした。なんといっても石段の隣というロケーションがたまりません。
   

   

  

 高田馬場「多○旅館」
 高田馬場は言わずと知れた早稲田大生が多く集う街。いわゆる新宿や池袋のような大規模な歓楽街というものは形成されていないようです。しかし、小さな通りのそこかしこに連れ込み旅館があったであろう通りが残っていて、今はラブホテルやスナックに転業したりしているようです。この多○旅館、所々下目張り板だったり、石張りの壁だったり、チグハグの印象を受ける外装が、かえってお洒落な雪山の山荘のようにも見えます。
 

 今は民家ですが、やはり連れ込み旅館のような建物もチラホラ。
  
 
 
 目白「ビジネス塩○屋」
 目白駅周辺は皇室の方々もご通学されていた学習院があるために歓楽街は形成されていません。しかし大きな目白の大地を掘削して通された山の手線の駅の傍は、切り通しの崖になっていて、坂道沿いに料亭や風情のあるお稲荷さんがひっそりと並んでいました。目白から下落合、中井にかけての台地は、戦前は高級住宅地で、政治家、洋画家、文人達の住まう豪奢な洋館と、広々とした田園が織り成すのどかな場所であったということです。ビジネスホテルひとつとってもこの雰囲気、確かに頷けます。
    

 入り口の目隠し。


 近くにあったとある大豪邸の洋館に引けを取らない堂々とした和風ビジネスホテルです。
   

ビジネス旅館・・・そこは都会の風雅な隠れ里。
 和風ビジネス旅館~その2へ続く。

溢れる風情~和歌水(武蔵野市・吉祥寺)

2010年06月18日 | 旅荘・簡易宿所
 
 JR中央線と京王井の頭線が交わる、吉祥寺駅から南へすぐの所に、井の頭公園があります。桜の大木が公園内を埋め尽くし、神田川の源流となる湧き水が流れ、古くは徳川家康の時代から鷹狩の場所となっていました。また公園内の広大な池にある井の頭弁才天は、弁才天としては都内では比較的大きな社殿を持ち、江戸名所図絵などにもその様子が描かれています。ただ、この近辺に戦時中、軍事飛行機製造工場の中島飛行機工場があった為、都心から離れているにも関わらず、都心の西端の町、八王子と共に比較的大きな空襲があったため、昔を凌ぐような建造物などは無い町です。


 焼き鳥屋の老舗、いせやの公園口店は古くて、特に一階は中国の屋台みたいですが、御殿山にあるもう一つの店舗は改装して上層階はマンションに。(2012年より、公園口店も改装のため取り壊しが決定しました。)

 花見のシーズンでなくても何かと人が集まり騒々しい井の頭公園ですが、実は閑静な場所もあります。そこは井の頭公園の西の階段脇にある「旅荘和歌水」という所です。
 

駅の近くでありながら、郊外の静けさ。近くには料亭やフランス料理屋もあります。
 

入り口に雅な小庭で心づくしのおもてなし。(常識的にお一人様はX) 
 

この和歌水、終戦後井の頭公園周辺は、池をぐるりと囲む形に、連れ込み旅館だらけだったと言いますが、その数少ない生き残りです。しかし連れ込み旅館というのは俗称で、「旅荘」「ビジネスホテル」「観光旅館」などと、一応は旅館業の形態を取っていることを政府にアピールしなくてはなりません。
 
 和歌水と同じ敷地には、これまた物々しい「井の頭ホテル」がそびえます。これは何処から見てもラブ○です。
  
 昨今は地方のドライブウエイでもなかなかお目にかかれない中世のお城型をしたラブ○、出来た当初の近隣住民の当惑は凄いものがあったと思われますが・・・。
『最高設備と景観』と何気に高級志向を売りにしてます。観光の文字まで見えます。生まれも育ちも根っからのスベタが「あたいはこう見えても育ちだけはいいんだよ!」と見栄を切るのは人に限らず建物も同じです。
 
 井の頭の池に浮かぶこのスワン・・・どの娘も器量よし。