ビバ!迷宮の街角

小道に迷い込めばそこは未開のラビリント。ネオン管が誘う飲み屋街、豆タイルも眩しい赤線の街・・・。

天下無類の高尾山(東京都八王子市)

2015年05月25日 | 寺社仏閣
 最近、何処の観光地に行っても人人人・・・特に若い世代の娯楽の多様化が一段落して、目線が国内にシフトした結果、寺院巡りや名所見物の日本国内観光ブームが到来しているのでしょうか。忘れ去られた歴史的建造物や、寂れた観光地に、再び脚光が当たるのは喜ばしいことですが、そうとも言えない事例も多々有ります。
 「いにしえの街並みに心休まる一時」と謳った場所に行くと、まるで渋谷か原宿かといった様相の若者や外国人観光客が押し合いへし合い・・・。そしてよく見ると手には悪魔の教典ならぬ「ミシュラ◯・ガイドブック」・・・。
 東京都八王子市の標高599mの「高尾山」がミシュランの格付けでフィーバーして大変な事になっている、と噂される以前に登った時は、とても静かな山でした。しかし現在、平日でも縁日のような人混み。ケーブルカーさえ使えば、足腰に自信がない人でも山の尾根を散歩でき、都内から簡単にアクセスできる手軽さに加えて、昨今の山ブームでその賑わいは天下無類です。勿論、山登りのマナーなんてものは殆ど無視されてますから、横に広がって道を塞ぐお年を召したご婦人方のために、先に進むのも大変です。

 京王高尾線の高尾山口駅から少々歩くと、ケーブルカーの清滝駅の表参道。
  

 駅前周辺の古いみやげ店。もちろん、可愛いグッズショップなどもあります。


 

  

 清滝駅の右側、表参道一号路を登山。悪天候の次の日だったので、山が冷えていて休憩無しで山上まで登れました。浄心門を潜るあたりでは、ケーブルカー利用の参拝客も合流し、人々の列にもまれて大変。1200年より守護された薬王院の山門と、入り口を守護する四天王のうちのお一人。
  

 薬王院の御本堂。中では護摩祈祷が行われていました。 
 

 薬王院は真言密教ですが、天狗信仰もあって、片刃の鉄下駄などが奉納されています。
  

 1729年建立の御本社、飯縄権現堂(都有形文化財)。お寺なのに、御本社をお参りするには鳥居を潜るので、神仏習合のお寺です。奉納された鐘楼堂には沢山の寄進した寿司屋の店名が掘られていました。御札の販売所の周辺、ちょうど傾いた杉の木の周辺に神聖な物を感じるのは気のせいでしょうか?
   

 楽しい茶店の看板。下山はスリル満点のリフトで。
 

 高尾山口駅からひと駅のJR高尾駅は木造の駅舎。高尾は大正~昭和の天皇が眠る武蔵野陵墓地がある関係で、駅舎は新宿御苑から移設された由緒正しい建物です。駅前の広い通りは、甲州街道で、高尾駅の近くで町田街道と交わります。
 

 通りに河原宿という地名がありました。本来は、高尾駅から離れた場所に駒木野宿、小仏宿という宿場町があるのですが、簡易的な宿場街が後から出来たのでしょうか?
  

 戸口の設いといい、お稲荷さんといい、色街の跡のようにも見えますが、資料が無いので何とも言えません。駅前にはビジネスホテルもありました。
  

 

 

消えた新宿の景勝地(新宿区)

2015年05月25日 | 芸者町・三業地跡
 江戸時代、新宿中央公園の西(西新宿四丁目)を通る十二社通りは、もともと大小の湧き水による池がある「十二社池」という景勝地でした。随所に滝があり、涼を求める人々が乗り込んだ屋形船を、十二社池の一つの弁天池に浮かべた周辺には、茶屋が並び、三味線の音が絶えず聞こえ、浮世を忘れさせる光景であったと思われます。
 池のあった場所は、十二社通りの周辺で、1934年に十二社通りが出来て池は縮小し、水質の悪化などが原因で、1968年完全に埋め立てられました。現在都庁を中心とした高層ビル街の西新宿一丁目に、かつてあった淀橋浄水場が廃止されたのが1960~1965年ですから、60年代が一つの時代の終焉であると思われます。
 
  

 現在、西新宿は再開発で、どこもかしこも高層ビルだらけですが、池を望んでいた東側には今在も熊野神社があり、西側の高台のあたりには今も三業地(芸者置屋、料理屋、待合)の名残が僅かにあって、唯一落ち着きを感じさせる場所となっています。
  
 
 また以前は、「十二社天然温泉」というマンションの地下にある昭和カラーな温泉施設がありましたが、2009年に閉館。創業された当時は、堂々たる4階建ての遊興施設で、漆塗りの中国式様式の内装、各階に100畳敷の大宴会場があったというから驚きです。しかしそんな竜宮城のような芸者館は一切消え失せました。

 温泉施設も現在は貸しロッカーに。池の畔にあったのか、イチョウの大木が残っています。
 

唯一近年まで営業していた料亭、「一松」の風情はどうでしょう。

   

 赤線風の沢山ドアのある建物。電信柱には三業の文字。木造モルタル造りの貸座敷は殆ど民家と見分けがつきません。

  

 コンクリートの坂道に佇む連れ込み旅館「一直」。以前は待合で、柵の部分の意匠など凝っています。

  
  



 コンクリートの狭い階段。花崗岩の石畳ではありませんが、それなりの時代を感じさせます。
 

 花街のお稲荷さんや、周辺の居酒屋。
   

 品川亭は三業地時代からの料理店。まだまだ使えそうな待合の跡もあります。
  

 大谷石と砂利の洗出しの塀がモダンな家屋。
 

 都内には、四谷荒木町や、溜池山王のようにかつて池であった場所が沢山あります。高台から、中央公園、都庁を望むこの光景から十二社池を連想する人がどれだけ居るでしょうか?