重低音のBlue Canary

♪ 思いつくままを、つたない文と photo で …

その日のまえに

2006-03-01 | つれずれ
出勤途上、見上げたテレビ塔のてっぺんが、低く降りてきた雨雲の中に隠れていました。



今日から3月。
けれども1日中、雨。肌寒い日でした。
名古屋地方の桜の開花は今月26日と予想が出ましたが、それまで順調に「一雨ごとの暖かさ」になるといいんですが。

小説「その日のまえに」(重松清著/文藝春秋社刊)を読みました。


「その日のまえに」

昨年9月、週刊文春が「人前でゼッタイに読めない<男が泣ける10冊>」の中で推奨した1冊。
涙腺が人並み以上に緩い自覚があるので、あえて、読むのを遠ざけていた本だったんですが、仕事上やむなく……。

案の定、わが涙腺はこらえ性がありませんでした。

「主人公と同世代なので、つい自分に置き換えて読んでしまい、涙が止まらなかった」と、ネット上で読後感を書いていらっしゃる方が少なくありません。同感です。

亡くなった「その日」から3カ月後。託されていた看護師長が主人公の夫に届けてくれたのは、妻の最後の手紙。書かれていたのは、「忘れてもいいよ」の、たった一言でした。

「忘れてもいいよ」――彼女がその一言に凝縮させて詰め込んだ思いは、何だったのでしょうか。

私が死んだ悲しみを、いつまで引きずってちゃダメよ。あなたと、2人の子供たちには、これからまだまだ長ーい未来が待っているんだから、割り切って、これからの人生を考えてくださいね。新しい奥さんをもらうとかも……と、心優しい彼女は伝えたかったと考えるのが一番自然なんでしょうね。

でも、それだけだったんでしょうか――。

たとえ最愛の人を失っても、残された家族は、いつまでも立ち止まったままではいられません。好むと好まざるとにかかわらず、明日への一歩を踏み出さなければならないんですから。

仕事のこと、こまごまとした家事のこと、子供たちのこと……
現実の生活の一つ一つに対処しながら毎日を積み重ねていくうちに、悲しみというものは、否応なく薄らいでいかざるを得ません。それが、人間の強さでもありますし。

ちょうどそんな時期の敢えて「3カ月後」に届けてほしいと手紙を託した妻の「忘れてもいいよ」は、実は「でも…忘れないでね」という真反対の矛盾した思い、敢えて言えば「未練」をも、その裏側に忍び込ませた一言ではなかったんでしょうか。

人それぞれの境遇の中で、それぞれの思いをめぐらせる1冊。

いずれにせよ、マイカー通勤でよかったと、つくづく思いました。
だって、いいトシのオッサンが涙をこぼしながら本を読んでいるザマを、通勤電車の中で見たいとは思わないでしょ?