山本晴美 ここで愛ましょう

歌語りシンガソングライター 山本晴美のブログ

ひとりじゃない

2020-03-06 00:25:00 | 広島
「おじさんとコタツで話をしました。
        ありがとうございました!」

広島NHKのアナウンサー八田クンから電話がありました。

八田クンは、作品のドキュメンタリーが番組になる年、お世話になったアナウンサー。広島の方は毎日何かしらの番組で見かけているか、声を聞いていると思います。

北海道出身、長崎を経て広島、そして・・・この春、東京本社に異動になったと連絡をくれました。

約9ヶ月、一緒に作品を見つめた期間、そしてそれからも時々おじさんの事を通して連絡を取り合ってきたけれど、公の人だからブログには写真は載せなかったし、触れませんでした。


初めて電話で話したとき、あまりの熱さにバリバリの中年のアナウンサーを想像しましたが、ドーム前で対面した時、その若さにニヤケてしまいました・・・大丈夫だろか(笑)と。

ほぼ、rinに近い年代。
息子という感じ。

何回かお仕事をさせてもらうたびに、熱心さと真面目さと生意気さと、生意気さと・・・心配性だったり、、つまりありのままで向き合ってくれるので、テレビの中でニュースを読む姿に、画面越しに「もっと笑えよ」と突っ込むけれど、ニュースだからね。


でね、何が言いたいかというと、

作品を通じて知り合ったスズメのおじさんに対し、作品が仕上がった後も、それっきりにしない事が嬉しい。

大人目線で言うけれど、
彼はちゃんと原爆の事を「仕事」ではなく、彼の人生の中の大切な記憶として学んでくれたという事。
おじさんとの出会いを「仕事」と処理していないこと。

   


作品を通して、または取材を通しておじさんと出会い、人生を紐解き、時には深いところまで入っていく・・おじさんの人生が背負っている戦争孤児としての「苦」「汚れ」までを共有したってことに、人として責任を感じるとしたら、おじさんの孤独に寄り添うことだと思うんです。私は当然ですが、彼は仕事だったからと割り切ることもできるけれど、彼にその選択はないことです。

ずっと気にかけて、公園に会いに行くし、しばらく会えないときは私に電話がきます。

「おじさんは元気かと。」

それが嬉しい!

これは性格かな?感性かな? 幼少期のご両親の背中、生き方にお手本があってのことだと思うのです。

おじさんは今は体の都合で平和公園に行くことが出来ません。
携帯の使い方もだんだんおぼつかなくなっています。
私も12月に会ったきり。

「あの日からずっと人りじゃけぇ」おじさんの心の叫びを受け取った私は、おじさんの残りの人生に寄り添いたいと思います。

きっと彼もおじさんの取材を通してその覚悟が出来たのだと思います。

八田クン、ご栄転おめでとう!

 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Imagine | トップ | NY 9月17日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

広島」カテゴリの最新記事