乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

コイビキャクヤマトオウラオ/ ニノクチムラ

2006-06-04 | TVで 歌舞伎・能楽
  

  こい飛脚やまとおうらい~ふういんきり・にのくちむら 





          にざえ門・そめご郎・ひでた郎・かかた郎他

          ちかまつ門左衛門作




 こい飛脚やまとおうらい~ふういんきり・にのくちむらは私の好きな演目の一つです。

 このお芝居は子どもの頃から慣れ親しんできた芝居の一つで、観ていてもワクワクするのです。

 



 この芝居のDVDを何度もみましたが、まだまだもっとみたい。

 八平役とにのくちむらの父役がにざえ門っていうのは、たまらなく魅力的。

 彼のこの役も何度見ても好きで、彼の演技の幅の広さには釘付けのわたし。

 また見るたびに表情や台詞の言い回しが新鮮に感じられ、彼の世界にますます引き込まれるのが本当のところです。

 あまりのうまさに、ブレス部分で、
「うまい。」
とか
「まつしま屋」
或いは
「おうwww~」
と声を張り上げてしまった。

 ご近所の方は木が狂ったのではないかと心配されていたのではないでしょうか・・・・

 



 そめご郎とたかた郎のやり取りのテンポのよさ、加えておせんに扮するひでた郎のうまさと台詞の掛け合いは絶妙。

 



 
 ふういんきりとにのくちむらの通し狂言で、見ごたえがたっぷり。

 時間にして合計二時間半くらいはあったでしょうか。

 三十分、15分の休憩を加えると、劇場ならは、最後に三十分くらいの舞踊で閉めとなるのでしょうか。

 とにかく、この大好きな大作を5回も見たのですから、こい飛脚やまとおうらいのことで、頭がいっぱいです。

 








 【ふういんきりの前半は上方和時狂言】


 そめご郎の一部の台詞以外は、染も考も秀も、大阪弁をみんなうまく使いこなされていた。

 特にひでた郎さんの言葉の調べは、音楽のようで心地が良い。

 喜劇性も含んだ梅川と中兵中兵衛のジャラジャラとしたやり取りは、良い意味で こそばがゆく楽しいものでした。








 【ふういんきりの後半は中兵衛と八兵衛殿やり取りと死の決意】




 後半の忠兵衛と八兵衛殿やり取りは、テンポや内容、三味線の心を表す変化までが見事に描かれていたようです。

 大和の田舎を馬鹿にされ、郷土愛と親に対する思い、梅川や置屋の手前の男としての見得などの諸々の思いが、胸元の金子の封印を切り、それがきっかけとなって後戻りのできない状態に・・・

 後悔とこれでいいのだという複雑な思うの中で、席が切れたように事態は深刻化し、残酷にも時は流れます。




「取り返しののつかないことをしてしまった。梅川、私といっしょに死んでくれねば、どうにもこうにもことがならん。」
と、てをつく忠兵衛に、梅川は
「もったいない。」
と、自分も忠兵衛と死ぬ決意を精神的に促され、固める。





 ふういんを切る決意を固める直前、三味線の音は乱れ、その調べは二度繰り返される。

 ここで二人の心情に合わせてライトは変わります。

 なんと素晴らしい舞台なのでしょう・・・・







 【にのくちむらにて】 


 雪景色の中、二人は黒の装い。

 中兵衛はおなじみのすそ広がりの着物、顔には手ぬぐいをきりりと締め、艶っぽい。

 二人はむしろで顔を隠し、雪のなかに表れる。



 むしろをぱっと開いた時には、忠兵衛の顔の白の美しさと雪景色とが統一感を持って、構成されています。


 途中で農家のばあさんが登場するが、その大げさなまでのしぐさは、私たちにこの芝居の悲しさや切なさの抜け道を与えてくれる道化師的な役割をも果たしているようです。

 このばあさんの焼くも重要で、このときもお芝居がうまいと感心してしまう。






 二人が名残惜しみ、親に対するをも切々と話しているうちに、中兵衛の父親が帰ってくる。

 ここで二役、待ってましたのにざえ門が登場される。




 父と梅川のやり取り、それを聞いている息子。

 父は婉曲的に、そして時間がたつにつれ、直接的表現で、息子に対する悲しみや愛情、しに行く息子に対する腹立ちやなんともいえない切なさを、息子に聞かせる当に切々と話し込んでゆく。
 その言葉や表情方の落とし方などの彼の表現法は見事といわざる終えないように感じます。

 



 彼に対する複雑な思いやジレンマに達した時、梅川は二人を一目あわせる。

 親子は抱き合う、そんな時間もつかの間。

 親は子に遠くに行って、追っ手には捕まらずに、死んでくれと願う。

 父は藪で怪我することをきづかい、二人に
「はよいけ」
と、泣く泣く二人に別れを告げる。




 ここで舞台には見事なまでの美しい大雪が降り注ぎ、藪の中で父親に別れを告げる二人は、幻想の世界。


 手前には手をあわせ、悲しみを殺し、二人が遠くまで閾値打てくれることの親心。

 その表情は一口では言い表せない。




 親はうろたえ、松ノ木に当たり、木に積もった雪は現実を思い出させるように、父親に覆いかぶさる。

 そのときの効果音は太鼓で、ドドドンと短い。

 父は一心にてをあわせて、祈るばかりであった。


                          幕

 


  
複数回見た割には、かなり頼りない感想で申し訳ありません。



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ご斗三ばそう

2006-06-02 | TVで 歌舞伎・能楽


         ご斗三ばそう         






  なかむらきちえもん



 きちえもんの名演技。

 彼は茶目っ気のある笑顔で舞台を一層華やかにして、さんばそうのような縁起物や喜劇もよくこなす。




 特に酒を飲めとそそのかされて、一献(一杯)が二献・・・と飲むにつれよいが回わってきた頃に奴(道化師)たち十人が表れる。 

 その折の道化師たちと彼とのやり取りやそれが高じてっめでたい舞を踊りだす。


 上の場面は彼のこの演目における印象深い場面。

 個人的意見ですが、彼の特徴や旨さがかなり生かされた演目のひとつといえるかも知れません。


 この芝居はベースは喜劇。


 随所々々に言葉遊びや動作の面白みが盛り込まれて背理が、けして平たい笑いではない。


 松の間(部屋)や詐欺の間を紹介した後に、酔いの回った男をくるくると回して、怪我をしない程度の低い階段から滑り落とし、

「くるっと回って、鶴の間。」

といった洒落言葉が続き、ついつい笑ってしまう。






 この演目は昨年京都みなみざnoかお見世、とうじゅうろうの襲名披露(昼)でも演じられた。

 リアルタイムでみたこの演目、ビデオで再び見ることができて、大変嬉しい思いがしました。

 




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D-TOX

2006-06-02 | 映画
        D-TOX





                 楽しめど   ★★☆☆☆




               制作  2002年
                   アメリカ・ドイツ

               監督  ジム・ギレスピー

               キャスト  シルベスター・スタローン
                     チャールズ・S・ダットン
                     クリス・クリストファーソン
                     ロバート・パトリック   他

               上映時間  1時間36分










 警官のみ九人も異常な殺され方をされる、猟奇的な殺人事件が相次ぐ。


 FBlの捜査を相手の犯行は明白。

 姿を隠し証拠も残さない犯人に捜査は難航。

 それは捜査官マロイ(スタローン )への挑発であり挑戦であった。

 犯人の狙いはマロイ。

 彼をおびき出す手段として、彼の恋人をも残虐に殺す。。




 愛する者を失い、時が流れても尚、心の深い傷を癒せないマロイはは酒に入り浸り、自殺をも企てる。




 見かねたFBIの同僚は警察の上層部しか知ることのない厳寒の地ワイオミングに彼をつれていく。

 まさしく秘密施設D-DOXである。




 D-DOXには精神のバランスを失っ手入るが、精神的バランスを喪失した各国の優秀な警官たちが収容されていた。

 事件はこのD-DOXでさえも、残虐に繰り広げられる。




 マロイはD-DOXの中での連続殺人は自分に関連していることに気づき、犯人を突き止める。

 しかし相手も一足先に気が付き、自分の独房に間朗を閉じ込める。

 マロイはそこで、相手の所持品から彼が犯人と確信。

 愛する恋人の為に買った指輪を利用して、換気口から脱出。

 犯人を皆に告げるが、その後も次々と殺されていく。




 恋人を失ったあの時と同じだ。

 犯人はマロイの信頼している女医にまで魔に手を差し出す。

 マロイは業務をまっとうするという意思と同時に、自分の身の危険をかけて、彼女を全身ぜんいで守り抜く。

 マロイは難を逃れ、
「見るがいい。」
と複数の鋼の出たぜんまいに正面から犯人を放り投げ突き刺す。

 そして、彼はこの瞬間救われた。

 マロイは女医を助けることによって、酒の依存症と自殺願望、そして根底にある彼女を殺してしまったという自己嫌悪から、解き放たれた。
 



 

 それは同時に彼の第二の人生の始まりなのだ。

 



『ことは終わりを告げた・・・』
 マロイは一人微笑む。
 そして・・・・



 マロイは彼女のために買っていた、命の救い手ともなった指輪のネックレスを首からはずし、雪の積もる糸杉の枝にかけていく。

 全ての悪夢は雪が消し去ってくれることであろう。

 後は長い雪の後の身近な春を待つばかりである。

 彼は白い道をたどり、残されたD-TOXの連中の元へと急いだ。






この映画はグレーホワイトの使い方が上手かった。

 猟奇的な残酷なシーンは複雑な色、恐怖の静けさのシーンではグレー、最後はホワイト。

 グレーは茶と同じく一歩間違うと汚らしい色に成り下がってしまうが、上手く表現されていた。

 途中、殺人後の残酷な場面や肉のつるされた場面は『羊たちの沈黙』、瞼をめくると記されていた『お前を見ている』は『・・・・』(劇場で観たのですが何でしたっけ?爪の中にメッセージがはめ込まれていた映画だったのですが・・・)を思わせた。



 
 私は過去にシルベスター・スタローン の作品はあまりみていないのですが、彼の作品の中では結構楽しめた映画だったように思います。



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下妻物語

2006-06-01 | 映画
        
  下妻物語






              楽しめど  ★★☆☆☆






                  2004年  日本

                  監督   中島哲也

                  原作   嶽本野ばら

                  脚本   中島哲也


                  キャスト 深田恭子
                        土屋アンナ
                        宮迫博之
                        篠原涼子
                        阿部サダヲ
                        樹木希林   他






 ロココ時代に夢見る(肝のすわった)少女桃子と、(根は小心者の)暴走族でヤンキーであるイチゴの心温まる(良い意味で調子っぱずれな)コメディ。





 二人が個々の持ち味を生かされた規格がちの映画。

 途中説明として織り交ぜられたショートの劇中コントは視点が良い。

 テンポも良く、途中及び最後はほのぼのとした深田の持ち味が生かされた 楽しめる娯楽映画だと思う。

 東京から2時間ほどかかる下妻の田舎を舞台にした、若者のジレンマをたくみに描きあげているといえよう。




 現実から脱皮して誇張されたカントリー・ロード。

 そこから見える唯一の大型スーパー店、ジャスコ。

 この展開は腹を抱えて笑わせていただいたが、けしてジャスコのマイナスイメージを植えつけるものではない。

 むしろ好感を抱かせた演出者はただものではない。
「あっぱれじゃ!」
と拍手を送ってしまう自分が怖い。

 見事な描きようだ。




 この映画で深田、土屋以外に注目すべき役者が二人。

 篠原涼子と樹木希林 。

 篠原はいつものテンポと持ち味で、この映画を守り立てる。

 また樹木希林は独自の持ち味と演技力で、この映画を少し深める。

 樹木も昔はかなりの悪で左目をなくしたという設定で、田舎風に気取った黒の眼帯をはめていた。

 以前に彼女の失明危機問題と彼女の役者としての演技論を耳にしていただけに、彼女の役者魂に触れる機会が設けられて幸せだと感じたのは私だけなのでしょうか。

 彼女と彼女を起用した監督にも拍手!




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