インソムニア
楽しめど ★★★★☆
2002年 アメリカ 1時間59分
監督 クリストファー・ノーラン
キャスト アルパチーノ
ロビン・ウィリアムス
ヒラリー・スワンク
マーティン・ドノヴァン
この作品は以前映画館で観たことがある。
今回はテレビ大阪。
重厚感のあるできのよいサスペンスではあり、人間心理のるれ動きを楽しめる作品。
人間の『善』と『悪』を『良い刑事』と『悪い刑事』、或いは『自分自身』と『犯人』という対比の中での心の葛藤を見事に描き出している。
『罪の意識の強迫観念』を『インソムニア』つまり不眠という苦しみにさいなまれもがき苦しむ姿を、客観的にカメラはとらえています。
この作品の面白みは人間の『善』と『悪』を『良い刑事』と『悪い刑事』、或いは『自分自身』と『犯人』という対比が、KABUKIの『シバラク』と『女シバラク』や『ナルカミ』と『女ナルカミ』、『ダンシチ』と『女ダンシチ』のように裏返しでと例えているところでしょうか。
もちろんKABUKIの場合はその中にパロディや女形で演出することの重要性も含まれているようですので、又違った意味合いも持っていつのでしょうけれど、共通点はあるように感じます。
刑事と作家という具合に立場は違ってはいるものの、その関係はまさしくロール・シャッハーのようで非常に興味をそそられます。
そのような不樽の関係の中で、刑事は最後には自分の信念と刑事としてのプライドを持って、一週間も続く不眠の極限のさなか、犯人に立ち向かい、女刑事を助けます。
最後のシーン、女刑事は刑事の深くの事実を知りながらも、死に行く刑事に向かって、
「こんなものは必要ないわ。」
と、証拠品の拳銃の弾を捨てようとしますが、刑事は女の模範上司、或いは名刑事として、
「早まるな。」
と、玉を捨てることをさとします。
「ゆっくりと眠りたい。」
「警部、警部~~。」
女は尊敬できるもとの上司の言葉に人間的安らぎを感じ、玉をそっと袋に戻します。
男の顔にはやっと白昼夢から開放されたという安堵の微笑が戻り、意気を引き取ります。
男にとっての死は、白昼夢イコール不眠は、己の罪悪意識から開放されたという安らぎであり、そんな形でしか心を開放することができなかった心理に、ある意味同情を覚えてしまいます。
話は前後しますが、上に対比して女刑事を助け正義に立ち向かった刑事に相打ちを喰らった犯人(作家)もある意味精神的に追い詰められ、自分では引き返せなかったのでしょう。
最初殺す気はなかった作家がファンの女の子と逢瀬を重ねているうちにその気になりつつある。
それを女の子は若い世代特有の表現の一つ、頭から茶化されてしまいプライドを持った作家は感情を抑えられなくなる。
一度殴るとその行動におぼれ、歯止めが利かなくなり、結果殺してしまう。
殺したものの彼は愛情を持って身体を洗礼のようにいたわり、清潔にする。
しかし一方では裸にし、残虐にも袋つめして、ごみ埋め立て所の中に捨ててしまう。
その精神的アンバランスは、小説と現世との見境がつきにくくなった、ある意味での犯人の精神的『白昼夢』といえよう。
そういったことを照明してくれるかのように警官に腹部を相撃ちされ、水中に沈んでゆく犯人の表情は微笑さえも浮かべ、死んでゆく開示の表情と重なって映る。
自分の無意識なる罪の意識との葛藤の末の開放間はこの上なく彼らにとって幸福なひと時であったのかもしれない。
この作品で 印象深かった場面は何日もめむることができない男が、ホテルの波戸や隙間を布やクッションやベッドカバーで覆いつくすシーン。
覆い尽くしたはずの窓からもれる本のわずかの光。
それは不眠で精神的に弱りきった彼にとっては、西日のように耐えがたき日差しなのである。
メードが、
「他のお客さんが眠れないって、苦情が出ているの。」
「明るいんだ・・・」
メードは蛍光灯のスイッチを押すと、部屋は人工的なまばゆい明るさに一瞬にして変化。
「堪忍してくれ。」
男はすぐさま蛍光灯をけす。
ここの彼の心理的に追い詰められたシーンはカラーなのにモノクロームな印象を受け、まるで一流の画家のデッサンを観ているようです。
実際はカラーなのにモノクロに感じさせ、その中に、逆光のオレンジが坂越ばかり差し込んでくる、上質の演出です。
外国特にヨーロッパでは『白昼夢』や『月』は精神不安定材料の一つとして取り上げられることが多いようですが、この映画もまさしく不眠を白昼夢ととらえ、精神的な不安や不安定期の中では運命に逆らえず、事件の大小を別とするならば、あなたさえも起こりうる可能性がありうる出来事を描きあげています。
そんな怖さも警告する心理学的に計算された映画でした。