『東北』(とうぼく)
後シテ
前シテ 金春 欣三
ワキツレ 是川 正彦
ワキ 福王 和幸
ワキツレ 山本 順三
間 丸石 やすし
2008年おん祭後宴能を楽しませていただいた。
とても美しい。
気品に満ちた美しい幽玄なお姿と動きは、私の心をとらえ 堪能させていただいた。
能が、こんなに美しいものと感じるようになったのは、ごく最近のことである。
こんなに優美なお姿を、私のようなものが写真に写すのはおこがましいと感じた。
写真はほとんど撮らなかった。
私は、まばゆいばかりのお姿を見つめた。
そして、謡などを聴いていた。
『東北』が終わって、ため息が出た。
私は、腰が抜けるような錯覚を覚えた。
前シテでは、声がハスキーであった。
ところが後シテでは まるで式部の亡霊が乗り移ったかのように、なめらかでつやのあるお声だった。
私は、これは能楽なのかと、初心者なりに感じていた。
名ノリ(?)はカッコウが良い。
どの曲を聴いても、好き。
写真は一応載せさせていただいた。
本当は、この何百倍何千倍も美しかった。
私がなかなかおん祭後宴能2008の記録を書けずにいた理由は、『東北』があまりにも美しすぎたから。
今も思い出すと、身震いする。
それほどまでに美しかった。
『東北』
三番目・鬘(かずら)物。
五流現行曲。
春の闇(やみ)に漂う梅の香と、恋愛歌人として名高い和泉(いずみ)式部の王朝の艶(えん)を重複。
抽象化された幽玄能の原点ともされる曲目とのこと。
東国の僧(ワキ、ワキツレ)が都に着き、所の者(間(あい)狂言)に東北院の門前の梅を和泉式部という名と聞いて眺めている。
里の女(前シテ)が呼びかけて、和泉式部の愛した軒端の梅であると教える。
また、梅の主(あるじ)は自分と告げて消える。
僧の読経のうちに、式部の亡霊(後(のち)シテ)が現れる。
和歌の徳と仏法をたたえ、都の春をめで、美しく舞う。
シテの性格を和泉式部の霊とする脚本。加えて、梅の精のイメージを強く演出する流儀とのこと。
最後になりましたが、このような美しい能を楽しませていただきまして、ありがとうございました。
心より感謝申し上げます。