日常

藤田一照さん

2016-03-22 17:10:34 | 
尊敬する藤田一照さんから直接伺う座禅講義は素晴らしいものだった。

藤田一照 公式サイト
仏教的人生学科 一照研究室
現代坐禅講義―只管打坐への道(佼成出版社 (2012/7/24))
ティク・ナット・ハン、 藤田 一照『禅への鍵』
ティク・ナット・ハン「禅への鍵」(2012-12-23)


藤田一照さんの存在からは、常に開かれた心を感じる。

座禅は入り口に過ぎず、ひとのからだの使い方、ひとのこころの使い方、を学ぶことが本質にある。
仏教はするもの。
外から眺めるものでも、ありがたがるものでもなくて。

ブッダは、からだの使いかたやこころの使い方の本質を話していたのだろうと、自分も思う。
そのSpiritを、一照さんは受け取っている稀有で貴重な存在だと思う。
仏教界における最重要人物のおひとりだ。
宗派の縦割りは方便でしかなく、いのちやからだ、生老病死への深い理解に至ることが「仏教をする」生き方において大切なことだ。


座禅の話は、ひとのからだの構造の話に行きつく。
からだの構造は、骨の配置や骨の形がベースになる。
そこには進化的な痕跡が数多く残るため、生き物全般の動き方の話にもつながる。


座禅へ移る前に、からだを緩めるワークをあらゆるアプローチから行い、自分の内的空間が最適な状態になってから、そのあとに座禅へとうつった。極めて自然な流れだった。

座禅は適切な骨組で人が存在する、ということに本質があるのだろう。
骨盤や背骨や頭蓋骨。仙骨や恥骨など。
多数の骨が同時並行につながりながら動いている。
その骨組を覆う筋肉が、いかに邪魔せず協調的に働くことができるか。もう一度取り組んでみることが座禅につながる。


人間は、骨、内臓、血管や神経、筋肉、皮膚・・・などの多層構造になっている。その多層構造がなんの意識もせずに勝手に精妙に動いている。
人は最初からこういうスーパーシステムを与えられていて、あまりに当たり前すぎて感謝やすごさすら忘れてしまう。

水、という物質が気体や液体や固体へと万華鏡のように状態を変化させながら、自然界を永遠に循環している不可思議さのようなものと同じ。あまりに近くありふれていると、その凄さ自体に気づきにくくなるのは皮肉なことだ。自分は子供のころから、水は生命だと思って接してきた。


からだが多層構造になっているのと同じで、こころも多層構造になっている。
それは表層意識から深層意識のグラデーションでもある。
そこにも、からだと同じくらい人間の秘密が隠されてあり、いのちの歴史の時すらも封印されている。


多様性と調和、という、いのちの原則は、からだにもこころにも、生物にも、いろんなところを貫通して鳴り響ている重層低音のようなもの。
こころ、からだ、もいのちの顕現だから、その原理原則から外れることはない。

藤田一照さんの座禅講義からは多くのことを学んだ。
学ぶ、教える、体験する、、という、よき学び場作りそのもののことも多く学びました。

葉山という場所も、日常の意識構造から離れるために、本当に素晴らしいところだったのでした。


・・・・・・・・・

また別の日。
小松美羽展(2016-03-20)へと午前中に向い、午後には藤田一照さんの仏教塾のプレイベントへ参加した。

藤田一照さんの対話の相手は、
ロルフィングの藤本靖さん
Think the Earthの上田壮一さん

お二人の話はInspireされるものばかりだった。
自分の体が喜び楽しみ興奮していた。



体の専門家である藤本靖さんは、筋肉のセンサー、筋膜のセンサー、、、そうした体が「受け取る」働きを、再度目覚めさせる。その働きかけは極めて優しく温かいものだった。それでいて的確で。

人のからだは、触れられるだけで何か動き出す。
触れる側の意識状態とも共鳴して、そのプロセスははじまる。

触れる側が明確な意図を持つと、そこに動きは限定される。
ただ、意図を持たなすぎると、何も起こらないかもしれない。
その中道を保ちながら、相手の体へ働きかける。

意図がありながら意図がない、、、、、言語的には表現しがたい状態は、自分も実感としてよくわかる。
あたまは理解できなくても、からだはよくわかっている。
あたまは直列処理だが、からだは並列同時処理なのだから。

そういう大らかで限定しない自由な態度こそ、生命はのびのびと動き出すことができるのだ。


相手の呼吸を感じるワークもした。
相手の呼吸を触れて感じていると、自動的に自分の呼吸と同期して共鳴し恥じているのを感じた。そこに生きた場が発生するのを発見した。とても面白い体験だった。
藤本さんのワークは、とても面白い。

体の細胞が喜んでいるのか、思わず勝手に笑ってしまう。
日常の中でそういうことは起こりにくいので、とても貴重な時間だった。もっと学びたい。


藤本靖さんには素晴らしい本がたくさんあるので、また改めて紹介したい。

藤本靖「身体のホームポジション」BABジャパン (2010/8/9)


藤本靖「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる! 」さくら舎 (2012/7/3)


藤本靖「感じる力をとり戻しココロとカラダをシュッとさせる方法 わりばし&輪ゴムのワークが効く!」マガジンハウス (2015/7/30)



上田壮一さんは、地球をひとつのプラットホームとして、多方面で活動されている方。
この仕事に至るまでの経緯も非常に面白かった。

風邪をこじらせるような天啓の中で、必然としか言いようのないプロセスで動かされている。


感動したのは太陽系を感じるワーク。
太陽を1.5メートルくらいの大きな玉ころがしの風船だとすると、地球は150m先くらいにビー玉の大きさで位置しているらしい。
頭ではなく、体で体験して知るために、みんなで実際に150メートル歩いてワークショップをするらしい。一歩一歩、歩く。宇宙遊泳を楽しむように。
体験者は、思わず笑ってしまうらしい。体が喜ぶのだろう。

150メートル先から振り返って太陽を見てみる。
身体感覚を伴うことで、宇宙という不思議な空間の住民であることを、体の体験として深く刻むことができる。ビー玉の地球に対して月はビーズのようなもの。日食や月食は本当に奇跡だ。
流れ星は、星のチリの星団へ向かって、地球が公転して突っ込んでいくもの。相対的に流れ星としてあちらが動いているように感じているものらしい。

上田さんの太陽系の話は、すべてが驚きに満ちていた。
自分の意識は宇宙へ放り投げられ、この現実世界に戻ってくるのに少し時間がかかった。ほんとうにいい体験をさせてもらった。


上田壮一さんも、素晴らしい著作に参加されている。

Think the Earth Project, 池澤夏樹,アッバス・キアロスタミ,フリーマン・ダイソン,鄭義,クロード・レヴィ=ストロース,小崎哲哉(著)「百年の愚行 ONE HUNDRED YEARS OF IDIOCY」Think the Earthプロジェクト (2002/4/22)


Think the Earth Project, 小崎哲哉(著)「続・百年の愚行」Think the Earth (2014/12)


Think the Earth,飯田哲也,小林弘人,佐藤卓,澤浦彰治,篠宮龍三,瀬谷ルミ子, 芹沢高志,富野由悠季,前野隆司(著)「EARTHLING 地球人(アースリング)として生きるためのガイドブック」ソル・メディア (2011/12/22)




一照さんの座禅講義もそうなのだが、藤本さんも上田さんも、頭で知ることよりも、体全身で学ぶことを大切にされている。
その工夫が本当に本当に素晴らしいと思った。

この高度な情報化社会の中でこそ、学びは頭で行うものではなく、全身の細胞で体験として行うものだと思う。
教育自体も、実際にシフトしていくと思う。学校教育も、必然的に変化せざるをえない。
全身で学ぶことこそ、学習や教育の本質がある。
これは、本当に未来の学校だと思った。素晴らしい場。場は、場の中で体験しないと分からない。      


教育は予防医学だ。
わたしたちが生まれてから死ぬまで、共に同伴する心や体というかけがえのないパートナーを深く知ることは、自分の体を大切にすることへ直結する。
それはすでに予防医学になっている。

新しい学びの場は、みんなで作り上げていく共同の芸術作品なのだと思う。
仏教という狭い枠を超えて、医学、教育、生命、体、芸術、、、、様々な領域での越境と統合のプロセスが起きている。