日常

石牟礼道子さん

2016-05-02 19:57:19 | 
明日から3日間。東大の安田講堂で水俣展が行われる。
自分の外側へ向けて使う祝日もあれば、自分の内側へ向けて使う祝日もある。

水俣病公式確認60年特別講演会

2016年5月3日「祈るべき 天と思えど 天の病む」
2016年5月4日「地の低きところを 這う 虫に逢えるなり」
2016年5月5日「われもまた 人げんの いちにんなりしや」



今も熊本に住まれている石牟礼道子さんの生中継を含め、初日は新作能「不知火」が梅若玄祥先生らにより舞われる。

熊本で地震が起きる前から予約をしていたが、こうした時期に40年前の熊本・水俣の鎮魂が、能楽により行われるのは意味があるように思う。
自然と人間との関係性を改めて考え直す場として。


水俣病やハンセン氏病での歴史的な過ちが、今の職業のきっかけになっているので、まさか安田講堂でこのような場が開かれる時が来るとは、夢にも思わなかった。


石牟礼道子さんの「苦海浄土」は、 池澤夏樹さん個人編集の世界文学全集にも日本文学で唯一選ばれている作品だ。
「苦海浄土」では、土着の熊本弁が重層低音として響きながら、海や魚や風や水銀や人間や自然の声とが、融通無碍に交差しながら音楽のように聞こえてくる。
類書なく、誰にも真似のできない奇跡のような文学作品だと思う。



自分は小学生のころ、地球がコンクリートで蓋をされて窒息しそうになっているんじゃないか、息ができないんじゃないかと思い、突然外に出れなくなったことがある。
ただ、子供だったのでそのことをうまく表現できなかった。
周りに話して馬鹿にされたことを覚えているが(両親は確か馬鹿にしなかった)、なぜ馬鹿にされないといけないのかよくわからなかった、ということも覚えている。

子供はそういうことを受信して感じていいても、うまく表現できず、何かおかしな行動をとっているように見えることもある。
自分は幼時の原体験を、意識して記憶している。
世間との違和感を感じた出来事は、自分の記憶に旗印をつけて取り出しやすいようにしているからだ。
大人になってから、そのことがよく思い出されるようになってきた。それが自分の成長の軌跡だから。


石牟礼道子さんの文学作品は、そうした自然とつながった子供の感性を大切にすくいながら、優しく見守りながら、美しい織り糸のような言葉で芸術作品のように綴っている。


水俣病公式確認60年特別講演会
【日時】
2016年5月3日[祝]・4日[祝]・5日[祝]
午後1時-5時(12時開場)

【会場】
東京大学安田講堂(1,136席、全席自由)

【出演】
全日共通

生中継による発言:石牟礼道子(作家)
3日「祈るべき 天と思えど 天の病む」
新作能「不知火」より 梅若玄祥、櫻間金記、一噌隆之ほか
杉本肇(患者・漁師)、除本理史(環境経済学)、柳田邦男(ノンフィクション作家)、森 達也(映画監督・作家)、小宮悦子(キャスター|司会)

4日「地の低きところを 這う 虫に逢えるなり」
フォーレ「レクイエム」より 中村良枝、谷地田みのり、関奈美、前川陽子
吉永理巳子(患者・リグラス工芸)、鶴田和仁(医師)、中村桂子(生命誌)、若松英輔(批評家)荻上チキ(評論家|司会)

5日「われもまた 人げんの いちにんなりしや」
雅楽と声明(しょうみょう)による追悼会(ついとうえ)「往生礼讃(おうじょうらいさん)」より 築地本願寺
緒方正人(患者・漁師)、成 元哲(社会学)、加藤典洋(文芸評論家)、奥田愛基(SEALDs)、高橋長英(俳優|司会)

石牟礼道子『苦海浄土』より
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「そしてあんた、だれでん聞いてみなっせ。漁師ならだれでん見とるけん。
百間の排水口からですな、原色の、黒や、赤や、青色の、何か油のごたる塊りが、座ぶとんくらいの大きさになって、流れてくる。
そして、はだか瀬の方さね、流れてゆく。あんたもうクシャミのでて。
 はだか瀬ちゅうて、水俣湾に出入りする潮の道が、恋路島と、坊主ガ半島の間に通っとる。
その潮の道さね、ぷかぷか浮いてゆくとですたい。
その道筋で、魚どんが、そげんしたふうに泳ぎよったな。
そして、その油のごたる塊りが、鉾突きしよる肩やら、手やらにひっつくですどが。
何ちゅうか、きちゃきちゃするような、そいつがひっついたところの皮膚が、ちょろりとむけそうな、気色の悪かりよったばい、あれが、ひっつくと。
急いで、じゃなかところの海水ばすくうて、洗いよりましたナ。昼は見よらんだった。」
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「山本富士夫・十三歳、胎児性水俣病。
生まれてこの方、一語も発せず、一語もききわけぬ十三歳なのだ。
両方の手の親指を同時に口に含み、絶えまなくおしゃぶりし、のこりの指と掌を、ひらひら、ひらひら、魚のひれのように動かすだけが、この少年の、すべての生存表現である。

 中村千鶴・十三歳、胎児性水俣病。
炎のような怜悧さに生まれつきながら、水俣病によって、人間の属性を、言葉を発する機能も身動きする機能も、全部溶かし去られ、怜悧さの精となり、さえざえと生き残ったかとさえ思われるほど、この少女のうつくしさ。

 水俣病の胎児性の子どもたちが、なにゆえ、非常にうつくしい容貌であるかと、子どもたちに逢う人びとはいう。それは通俗的な容貌の美醜に対する問いばかりでもない。

 松永久美子をはじめとして、手足や身体のいちじるしい変形に反比例して、なにゆえこの子たちの表情が、全人間的な訴えを持ち、その表情のまま、人のこころの中に極限のやわらかさで、移り入ってしまうのだろうか。」
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「そのときまでわたくしは水俣川の下流のほとりに住みついているただの貧しい一主婦であり、安南、ジャワや唐、天竺をおもう詩を天にむけてつぶやき、同じ天にむけて泡を吹いてあそぶちいさなちいさな蟹たちを相手に、不知火海の干潟を眺め暮らしていれば、いささか気が重いが、この国の女性年齢に従い七、八十年の生涯を終わることができるであろうと考えていた。

 この日はことにわたくしは自分が人間であることの嫌悪感に、耐えがたかった。
釜鶴松のかなしげな山羊のような、魚のような瞳と流木じみた姿態と、決して往生できない魂魄は、この日から全部わたくしの中に移り住んだ。」
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日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち 第6回 石牟礼道子(動画)