日常

坂口恭平くん

2016-10-16 08:05:22 | 
高校の同級生でマルチな活動をする芸術家である坂口恭平くん。既存の職種であてはめることができない。だから芸術家と(仮)に読んでおく。

彼は生まれ持っての芸術家。
創造し続けるしか生きる道がない、という意味で真のアーティストだと思う。
そこに計算や意図がない。純粋で素直で切実で本気で命がけだ。



対談の場で話していて改めて思った。
今彼は、自動書記のように文章を書き続け、絵を書き続けている。
媒体か通路のようになっている。


「現実宿り」河出書房新社 (2016/10/27)という本も、文字で書きながら文字全体が図形のように描いていたとのことだ。

文章全体が絵画であるような表現方法は、本と言う媒体で表現できないかもしれない。すでに表現の限界を超えようとしている。

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<内容紹介>
砂は語りはじめる。失われた大地の声を、人間の歌を、そして希望をーー21世紀の鬼才がおくる熊本地震を挟んで執筆された長編小説。
坂口恭平「現実宿り」河出書房新社 (2016/10/26)
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この本の主体は坂口恭平から「砂」にうつる。
彼の意識は砂のようにさらさらと漏れてしまうことがあり、だからこそ主体を「砂」にしたのだろう。
「砂」が主体となった小説が、なぜ無意識の深みから生まれてきたのか・・・、ふと思ったことを書きたい。


「砂」は岩石が風化することにより生じるものだが、「石英(Quarz、クォーツ)」は風化に強いため、砂は石英主体となることが多い。一般的に、砂漠や砂丘の砂は石英が主成分となっている。

石英(Quarz、クォーツ)は、二酸化ケイ素 (SiO2) が結晶してできた鉱物。無色透明なものを「水晶(crystal)」と呼ぶ。古来は「玻璃(はり)」と呼ばれた神聖なものだ。ちなみに、石英を成分とする砂は珪砂と呼ばれ、「鳴り砂、鳴き砂」と呼ばれる海岸が日本にたくさんある。

砂は太陽の熱をすべて発散させた「クリスタル」の集合だから、人でいえば「悟り」の象徴なのだ。
愛を受け取る側から、愛を発散し与え続ける側にまわったことは、「砂」のメタファーとなる。人間の世界でいえば「悟り」のメタファーでもある。


人は、色々な苦難を体験し、心身は変容を起こす。
「みずから」起こすものと「おのずから」起きるものがある。
「みずから」心身の変容を起こすものは、概して自我やエゴの枠内で考えているものが多く、根本的には何も変わらない。目先の利益と自己の保身を考えただけの矮小なものになってしまう危険性がある。
それに対して、「おのずから」心身の変容が起きる場合は、一般的に「苦難」や「苦労」として体験することが多く、誰もが進んで体験したいとは思えないものだ。ただ、だからこそ自分の枠内を大きく超えた本質的な変容が起きてしまう。

それこそが、愛を受け取る側から、愛を発散し与え続ける側にまわるための前準備となるのだろう。
「砂」のメタファーは、深層意識ではそういうことの象徴として自分は捉えている。


ちなみに、日本での石英(Quarz)の産地は、山梨県甲府市、岐阜県中津川市、愛知県春日井市で産出されたものが有名。岩手県の南昌山では宮沢賢治が水晶を採集していた。先日、自分も中津川の旅をしたのも、何か無意識でのシンクロニシティーが起きているのかもしれない。


プリズム(prism)は、光を分散・屈折・全反射させる。ガラス・水晶などの透明な媒質でできたもの。
水晶(crystal)は光を別の形に映し出し、見えない姿を見せてくれる存在でもある。
光は常にこの瞬間にも降り注いでいるが、その背後に虹の七色が隠れていることを、自然界は時に偶然というあり方で示し出してくれる。
虹の体験として。
大気中に隠れた水の全体がプリズムとなり、光の隠された別の側面を顕在化させる劇場となる。

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坂口君と話していると分かるが、彼は意識水準が普通の人より低い。
つまり、普通だと寝てしまい夢を見ているような意識水準の時に起き続けている。
夢を現実世界として生きているようなものだ。普通の人には想像できない世界だろう。

なぜなら大部分の人が夢自体を記憶していないし、夢という謎に満ちた世界を全く解明できないのだから。夢という世界を大切にしている人は少数派だ。

そうした夢の世界で生き続けていることにこそ人間の創造や創作の秘密があり、芸術の秘密がある。


夢見の状態で日々生きているから、無から混沌を経て有として存在が生まれていく瞬間瞬間に立ちあいながら生きていて、正気を保つには創造し続けるしかないのだ。
創造の手段は、時には文字や文章であるが、音楽や絵画や詩や踊りや状況次第であらゆるものになる。


彼は自殺者をゼロにしたいと素直に考え、「いのっちの電話」(いのちの電話が十分に機能していないため)という試みをたった一人でやり続けていて、切実なひとたちの電話相談を無償で引き受け続けている。携帯電話番号も公開し続けている。

自分も本職の仕事でオンコール当番をやっているし、職場の電話は携帯に転送しているので、24時間365日電話は掛かってくるが、坂口君がやっている途方もない営みには本当に頭が下がるし、心から尊敬する。

「愛」というものは、自分の中で籠らせているだけだとむしろ逆方向に作用する。
坂口君のように「愛」を純粋に放射し続けて生き続けることが真我の生き方だと思う。
同級生ながら、本当に尊敬する。自分もそのように生きていきたいし、彼の生き方をできるだけサポートしたい。そういう社会にしたいとも思う。



「夢を現実のように生きて、現実を夢のように生きる。」
自分もそうして生きているつもりなので、彼の生きざまには共感する点が多い。


人間の生命は、覚醒と睡眠のリズムを持たいないと生きることができない。そういうシステムを内在している。
それは部分と全体の関係の中で、複雑なシステム全体の調和を図る意味で、極めて重要な意味を持つのだろう。

だからこそ、「夢」という意識状態には、生命そのものの大きな秘密が隠されている。
生命が更新する時の橋渡しをしている場所なのだから。
その間をつなぐ場所を知ることは、医療にもつながるし、芸術にもつながるのだ。

生命の謎は、毎日毎日誰もが体験している現象の中に、問いも答えも全てがあるようだ。


「坂口恭平 躁鬱日記」(2013-12-13)
ワタリウム美術館「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(2014-05-12)

坂口恭平 (@zhtsss) | Twitter


「なにせうぞ
くすんで
一期は夢よ
ただ狂へ」
『閑吟集』



2 コメント

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夢の状態で生きることとプリズム (スイッチ)
2016-10-22 09:50:21
最近、プリズムを写真に撮るのが好きなんです。

それで、なんでプリズムが好きかっていうと
こんなにきれいな光が射してることを
普通にしてたら忘れちゃうから
光の美しさと不思議さを 浴びてるなあって

感じたいんですね。
夢の世界にいたことも
思い出したり、味わったりしてると
とても良い心地で。ついコメントしちゃいました☆☆☆
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Unknown (INA)
2016-12-06 23:55:40
>スイッチさん
プリズム写真、自分も好きです。
光って、なんと奥が深く神秘的なのだろうと、常に思います。
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