日常

「忙しさ」について

2009-08-19 09:34:53 | 考え
「忙しい」という言葉がある。
この言葉には呪縛の力がある。
その呪縛に縛られても、本人は気付いていないことが多い。


「忙しい」とは心を亡くすって漢字で書くんだーみたいな金八先生的な話も聞いたことあるし、忙しいのbusyを名詞にしたbusiness自体が仕事って意味だったりもする。


「忙しい、忙しい」という言葉は自分を縛る。
一般的にも「ことば」は物事を固定化し、人間を固定化する働きがある。それはよく自覚していないといけない。

特に、自分の時間に対する感じ方を縛って固定化してくるのだと思う。


「過去、現在、未来」という時間軸を考えてみる。

現在から見た未来は、常に単なる想像や想定でしかなくて、一番起こりやすいと予想される未来でしかない。
現在の地点から、過去を総合的に考えた上でその起こってもいない未来を想像する。
そうして、僕らは「過去、現在、未来」という時間軸を無意識につなげながら生きている。

僕らは、常に過ぎ去りながら生成されている、動である静である「現在」という地点に立っていながら、「未来」を先取りしながら生きている。

その未来の時間にとらわれ過ぎると、その漠然とした未来が徐々に固定化してくる。起きてもいないのに、固定化した未来として認識されてくる。
その固定化された未来と「現在」との「あいだ」にあるズレが僕らの「現在」に侵入してくると、強迫観念として「忙しい」という言葉となって外に飛び出してくる。


未来を計画することがある。計画とは英語でProjectと書くが、Pro-とは前のめりの姿勢の事を意味する。そういう風に、起きてもいない未来にたいして前のめりになりすぎると、「現在」を「現在」として、「今」を「今」として受け止めることができなくなる。


起きていない「未来」という時間は、自分の思い通りになるわけがない。
すべては自分の都合通りに行くわけがない。


僕らは、「意識」を「意識」しながら日々生活している。
だからこそ自分の意識は自分の意識ばかり考えるように基礎付けされている。
そして自意識過剰で自意識が肥大して、自意識だけでしか世界をとらえることができなくなってくる。

全てのことは自分以外の無限に近い人や物との兼ね合いでいい塩梅が決まって、平衡状態に落ち着く。

自分の都合通りには仕事や物事は進むわけはなくて、想定していた未来と現在のズレが、ふとした「あいだ」ができることがある。


その「あいだ」の時間を「忙しい」という観念で縛られた自分の妄想に時間を費やすことが多いので、その「あいだ」の時間すらも「今」「現在」としてありのまま受け入れることができない。

そして、「忙しさ」という観念的な時間感覚に縛られながら、「今」を過ごすことになる。
時間は流れていくので、それは何かが変わらない限り、続く。



僕は、「忙しい」の由来は、ほとんど観念的な産物なんだと思う。
物理的な時間をはるかに超える物理的な仕事量があると、自分のキャパシティーを超えるかもしれないけれど、それと「忙しい」という観念は違う。
「忙しい」という言葉は、自分の時間に対する感受性を潰し、自分の「今」を潰し、最後には自分をも潰す。



ある時期から、自分は「忙しい」と思わなくなった。

そんな観念に縛られて「今」が潰されるくらいなら、気の合う人と会って「今」を共有したい。

そんな人と会って話しているだけで、自分のズレタ時間感覚に縛られることはない。
そして、「忙しい」という言葉がつけ寄る余地すらなくなり、そんな言葉すら自分の中から消えてなくなるんだと思う。


5 コメント

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どきりとしました (maki)
2009-08-19 10:41:16
もう、そのご指摘の通りですね。
しかも、「忙しい」を『ちょっと頑張っている自分アピール』的に頻発しちゃったりして。
本来の仕事の質、よりも忙しそうにしていることが求められているように見えるときもあって。
仕事の効率がよく、過不足なくぱっと仕事を終えられる人の能力が認められるのではなく、粘り強く、長く頑張って『忙し』そうな人、まさに心亡くすほど頑張っている人、が”よくやっている人”みたいな評価になってしまう場合って、よくあるし、自分はやや違和感を感じることがあります。ありますけど、自分も時にそうふるまおうとしてしまうこともあったりして、嫌気がさします。

****
その「あいだ」の時間を「忙しい」という観念で縛られた自分の妄想に時間を費やすことが多いので、その「あいだ」の時間すらも「今」「現在」としてありのまま受け入れることができない。
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ですよね~

いやあ、こういう風に言語化してくれるとまた、わが身にもしみいる様に考えさせられるので本当にいつも、感心していますし、”ありがたい説法ブログ”みたいだなあと拝見しておりますわ!
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自分への戒めで・・ (いなば)
2009-08-21 00:32:44
>>>>>>>>maki様

そうなんですよね。
働き始めた最初って、「忙しい」っていうのがかっこよく見えるというか、いろんな仕事をこなしているように見えるんじゃないかと思って、そうして『ちょっと頑張っている自分アピール』に間違って使うことがあるんだけど、実は外部に対してどんどん壁を作っちゃうんですよね、
「あーあの人はいつも忙しそうだから誘うのやめといたほうがいいなー」って感じで。


医者の世界ってこういうのが多い。
自分のキャパを仕事量が超えていて、時間を大きく拘束されるのは確かによくあるけれど、だからといって「忙しい、忙しい」って言うと、自己暗示みたいに、本当に時間に追われてしまう。もうそれ以外のことが頭の中に入ってこなくなる。

だから、「忙しい」っておそるべき言葉だなぁって、ふと妄想した時に思ったのです。ま、その妄想を書き連ねたくなって、自分への戒めも含めて書いたわけです。

ブログって、文章化すると自分への戒めにもなるし、相乗効果なんですよねー。
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忙しさって楽 (H.P.)
2009-08-21 10:52:15
先日、前の病院で一緒に勤めていたDr.から
電話を頂きました。
双方とも、ぐっと時間的余裕のある病院へ
異動したのですが、
「余裕の分をどう過ごしてよいのかわからない」といった嘆きが出てきた様子でした。
声に力がなかった。
Dr.は以前、よく勤務中に
「完全にキャパオーバーだ!狂いそうだ!」と噴出することがありました。
あまりの様子に、怒りとはエネルギーだと感じるほどでした。
かつての「目の前に山積する問題を解決していく」作業。現在の「目の前に新たななにかを創り出す」作業。
かつての忙しさは、実は代替可能だが、とりあえず、自分の今の時間を自分に納得させられる。今が大変だから、未来のことは考えなくともと自分に許す。
Dr.の嘆きをきいて、忙しさは、自分への安心材料になっていたなと思い出しました。

創造する作業に忙しいとき、果たして、忙しい忙しいという言葉が、口をついて出てくるのかどうか!
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忙しさについて (Shin.K)
2009-08-22 01:55:52
興味深い考察ですね。

新生活が始まり、最近、怒濤の日々を実感していますが、心だけは亡くすまいと考えています。

タイムリミットまで後少しというとき、どうしても視野が狭くなりますが、違う世界を想像してみると、さっと焦りが消えます。
忙しいというより、今は集中して時間を投じる時期で、それはそれだけのことであり、少し長い目でみればバランスがとられている現象なのだ、と落ち着いて納得してしまいます。

そういえば、日本では同僚同士がエレベーターで久々に顔を会わすと、「どう、最近は忙しい?」というやり取りをよく聞きます。
どうも、確率的に忙しいという雰囲気の回答をしている人の方が多い気がします。
組織の力学というか論理上、暇だと思われたくないんでしょうね、きっと。答える方も、少し誇らしげに見えます。

もっとも日本社会って忙しいのが長らく美徳だったのでしょうから、「最近の仕事は調子いい?」の置き換えくらいで言っているのかもでしょうけど。

あと、ビジネスメールで「お忙しいところ大変お手数ですが」という決まり文句もよく見るね。これも決まり文句で深い意味はないんだろうけれど、忙しいと思うことは相手に対して悪い気分にさせないという一つの例かもですね。

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同時並行に存在している世界 (いなば)
2009-08-23 00:32:23
>>>>>>>>>>>>>H.P.様

そうなんですよねー。
忙しい時間って、それを言い訳にして、何も考えなくていい、そういう麻薬的な快感があるんですよね。
時間は過ぎていくし、その間に何かやっているような気になる。
でも、実際は大したことを何もやってないことが多い。
目の前にある課題をどんどんこなしているだけのことって多くて、ふと立ち止まって考えてみるのが怖くなる瞬間がある。

でも、そうやって仕事漬けの忙しい漬けで、30~60代の人生を過ごしたくないなぁって思っているとこでもあります。
人から与えられた課題って、やっぱり自分にとっては「とりあえず」の課題でしかなくて、自分の大事な人生を何に費やしていくかは、その「とりあえず」な時間の間に、同時並行で探していかないといけないと思うんですよね。 自分を見つめる作業とも近いのかもしれないです。


確かに、自分で自分の仕事を創造する作業に没頭していると、「忙しい」という言葉は出てこないんでしょうね。むしろ「楽しい~」でしょうね。
そんな「楽しい!」と思えることで自分の人生が満たされていくように、自分で自分の人生に向き合わないといかんのでしょうねー。それは友人関係でも男女関係でも同じようなことなんでしょうね。



>>>>>>>>>>>>Shin.K様
異国の生活はどうでしょう?ブログ読むと体重減っているようですが、お元気ですか?!


確かに、「忙しい」とかって、ほとんど挨拶に近いですよね。
「今日は晴れましたね」と同じような挨拶に近いかも。

「忙しくない」って答えると、手を抜いているとか、そういう風にネガティブに評価されがちですよね。その辺は不思議です。
でも、よくわからない「忙しさ」に頭が満たされている人って、頭の中も乱雑な感じがして、目つきも血走っていたり、生気がなかったり、最近はそういう働き手の顔つきや目つきがよく見えるようになってきました。見えない敵と戦っているように見えてしまいます。

まあ日本では挨拶のような言葉ではありますが、自己暗示のように、その言葉の呪縛にとらわれないように注意せんといかんですよね。
その落とし穴にはまりそうになったときは、Shin.K君が言うように、同時並行で流れている別の時間を想像すると、きっと軸はぶれないんでしょうね。
異国でも、自然でも、友人でも、芸術世界でも・・・この世界が圧倒的に広いことを知っていれば、世界では色んな時間が同時に流れていることを考えれば、「忙しい」の世界で自分が閉じちゃうことは、きっとないような気がします。
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